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地元・茨城から前進させ、日本全体を前に進める

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2023年1月から茨城県議会議員を務める金子敏明先生。大学6年生の時に描いたキャリアビジョンを突き進んでいますが、医学部入学当初は将来への漠然とした不安があったそうです。どのように自らの道を定め、まい進しているのでしょうか?キャリアパスに悩む人へのアドバイスも含めて伺いました。

◆「自分はローカルから変えていくべき立場にいる」

―杏林大学医学部に入学当時は、どのようなキャリアを思い描いていたのですか?

家族や親戚に医師がいる環境ではなかったので、将来像のモデルケースがなく、入学当初はむしろ、医師という職業でどのようにして社会に貢献していけばいいのか、漠然とした不安を抱いていました。そのため、1〜2年生のうちは勉強にもあまり身が入っていませんでしたね。

でも社会に目を向けると当時、リーマンショックや東日本大震災などがありました。大きな社会変動がある中で「今の世の中」を知れるきっかけを探しているうちに、山本雄士ゼミを見つけたのです。この出会いが、将来ビジョンを決める転機となりました。

―山本雄士ゼミで、どのような経験をされたのですか?

同ゼミには、海外でMBAを取得しようとしていたり、医療制度改革など大きな目標を掲げたりしている人たちが大勢集まっていました。そして東京の有名進学校出身者や帰国子女で、東京大学や慶應義塾大学の医学部に通っている、自分よりもハイスペックな人たちばかりでした。

ところが彼らと話をしていて、ニューヨークやロンドンといった海外都市と東京の違いよりも、茨城県や高知県といった地方と東京の違いの方が大きいのではないかと感じました。また、ワールドワイドで解像度の低いことではなく、日本の地方の具体的で小さな変革を考えようとしている人は多くないのかもしれないと感じたのです。

それで「自分はグローバルな視点ではなく、ローカルから変えていくべき立場にいる」と思いました。山本先生がよく「自分のポジションはどこにあるのか、現時点の立ち位置を明らかにしなさい」とおっしゃっていたことが大きなヒントになりました。

―山本雄士ゼミでの気付きから、行政に携わるキャリアビジョンを描くようになったということですか?

そうですね。また、もともと世の中全体のことや政治・行政への関心は高かったんです。自分の興味関心の分野を踏まえて大学6年の時点ですでに、臨床医だけのキャリアを歩み続ける選択肢はあまり考えていませんでした。同時にいずれは政治や行政に携わり、自分の地元から少しでも良くしていきたいと思っていました。

そういった将来設計があったので、大学卒業後の2年間で医療業界を含む「世の中」というものの構造を可視化し、自分の中に落とし込むことを目標としました。この目標を達成するためには、人口が1,000万人以上いる東京では難しいだろうと考え、人口70万人程度で政治家から行政トップ、市民までの垣根が低く、高齢化が進んでいるところで初期研修を受けるのが良いだろうと思い、高知医療センターを選びました。高知医療センターの決め手は、自分なりに築きたいキャリアを全面的に応援すると言ってくださる先生方がいらっしゃったことですね。

2年間の初期研修を終えたあと高知県で地方行政に、厚労省で国の行政に携わらせていただきました。その後地元に戻り、2020年から地域医療に従事しながら政治活動を続け、2022年のかすみがうら市長選に立候補しました。

―2年間で臨床を離れることへの迷いなどはありませんでしたか?

それはありませんでしたね。私は先祖たちがつくってくれて生まれ育った地域を、未来永劫さらに素晴らしい地域にしていきたいと考えています。そのために必要なパーツをたくさん集めることが役割。そのようなキャリアビジョンを大学6年の時に描き、それに沿って進んできただけなので、迷いはありませんでした。それに、私のキャリアビジョンや想いを支え続けてくれた先輩医師、同僚、地元の皆さんや家族の存在も大きかったです。

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医師プロフィール

金子 敏明 内科医・茨城県議会議員

2015年杏林大学医学部を卒業。山本雄士ゼミ出身。高知医療センターで初期臨床研修後、2017年4月から高知県健康政策部医療政策課 主査/高知医療センター総合診療科 、2018年4月から厚労省医薬・生活衛生局総務課主査、法務省訟務部民事訟務課法務専門官、2019年8月から厚労省医薬・生活衛生局食品基準審査課主査を務める。2020年7月に厚労省を退官し、石岡第一病院内科に勤務の傍ら、2023年茨城県議会議員に選出される。

金子 敏明
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