東京大学大学院博士課程に在籍する大熊彩子先生は、精神科医として思春期の子どもの成長過程を調査研究する傍ら、臨床医や産業医、在宅診療医としても活動しています。現在、充実した毎日を過ごす先生ですが、学生時代には臨床に興味が持てず、精神的に苦しい時期もありました。どのようにしてキャリアを築いてきたのか、医学部や初期研修時代のこと、ロンドンでの公衆衛生大学院での学びなどについて伺いました。
◆病院の外へと意識が向いた医学部時代
―東京医科歯科大学在学中、公衆衛生に興味を持ったそうですね。何か理由があったのですか?
患者さん一人一人に向き合うより、病院の外に出ていろいろな世界を見たいという気持ちが強かったからだと思います。中高生のころ、まだ若かったこともあり、両親が医師として毎日忙しく働く姿を見て、医師は、病院という小さな世界に閉じ込められた存在のようだと思っていました。ただルーティンワークをしているだけに見えたんです。病院は、自分と社会を隔絶するもの。そんなイメージを持っていたので、地域や社会という大きな枠組みの中で仕事をする公衆衛生になんとなく惹かれていました。
―外へと意識が向く中、どのような学生時代を送っていたのですか?
臨床医になるより、医学を勉強するというモチベーションで過ごしていたので、環境に適応できず苦労しました。就活やインターンシップに臨んだりもしましたが、最終選考で落とされて――。結局、医学生の立場を使って外の世界を知るにはどうしたらいいのかと考えていた時に、医療と外の世界を結ぶ「マネジメント」の重要性を唱えていらっしゃった山本雄士先生(株式会社ミナケア代表取締役社長)に出会い、「山本雄士ゼミ」を立ち上げました。私たち医療に携わる者は、社会の中でどのような立ち位置にいて、どのようにして社会と関わっていけば良いのか、先生から学びたいと思ったのです。
ただ4年生の時に半年間、ボストンに研究留学して受けたカルチャーショックなどもあり、体調を崩してしまいました。そのため5〜6年生の時はとにかく留年せず卒業試験と国家試験に合格して卒業するのに精一杯でした。今思えば、人には恵まれた環境だったのですが、思春期によく見られる体調の崩し方をしていましたね。
◆自分の中に生まれる手触り感を大事にしたいと思ったロンドン留学時代
―初期研修先に東京大学医学部附属病院を選んだのはなぜですか?
臨床であれ、研究であれ、総合大学に進んだ方が、選択肢がたくさん用意されていると思ったからです。さまざまな診療科を回る中で、それまで持っていた医師や病院に対するマイナスのイメージががらりと変わりました。中でも精神科は、人がなぜそのような心理状態にあるのか、その心の変化の過程について考える作業が面白く、自分の適性に合っていると思いました。傍から見ると、毎回同じことをしているように思えるものも、実際に患者さんに接してみると違う景色が見えて、臨床が楽しくなって私自身が元気を取り戻していった感じです。
―東京大学附属病院での後期研修中にロンドンの公衆衛生大学院に留学されました。そこでは、どのような収穫がありましたか?
私自身が公衆衛生という素材を使って医療を実践した「原体験」を積まなければ、学びを心から楽しめないし、自分の血肉にすることはできないと気付けたことですね。ロンドンでの生活自体は楽しいものでしたが、テキストを読んだり、理論を学んだりするだけでは、自分の中に手触り感は生まれませんでした。自分が手触り感のある方に魅力を感じるタイプだと分かったことも、留学の成果です。
自分の気が済んだことも、収穫の一つといえるでしょう。気が済むというのは、自分を納得させて次に進むためにも大切なことだと思うんです。私には海外で学位を取りたいという思いがありました。もし自分の思いを抑えたまま日本で学び続けていたら、今とは違う方向に進んでいたかもしれません。ですからこの留学の結果、キャリアチェンジしなかったことが私の中でのターニングポイントかもしれません。
―現在、在籍されている東京大学医学部医学系研究科での取り組みについて教えてください。
東京大学、総合研究大学院大学、東京都医学総合研究所の3つの機関が連携して、子どもの成長過程を調査研究する「東京ティーンコホート」に博士の大学院生として参加しています。多感な思春期を子どもが健やかに過ごせるよう支援する取り組みで、東京都内に住む10代の子ども3000人とその保護者を対象に、普段の生活や健康に関するアンケート調査等を行っています。身近な素材であるのと、精神科臨床の経験を積んで想像しやすくなったこともあり、ロンドンで取り組んでいたテーマより手触り感が感じられます。
研究以外に、都内のメンタルクリニックで心療内科と児童思春期の外来、企業に出向いての産業医、在宅診療もしているので、医療にもこんな世界があったのかと知ることができ、毎日が充実しています。
―先生にとって、臨床はどのようなものですか?
偏狭な自分を広げてくれるものでしょうか。患者さんは、自分が感じている状況に対して当然の行動や反応をされているんですよね。その動きに沿って自分も動くことで、患者さんにドライブされている感覚があります。自分が狭い考え方に囚われていたことも分かりました。だからこそ大学時代は、環境に適応できず苦しんだのだと思います。
◆自分を相対化して、自分が行っていることの価値を知ることも大事
―博士課程修了後のキャリアについて、どのように考えていますか?
現在、子どものこころ専攻医としての研修も並行しています。大人と違って子どもは、家庭環境など自分で環境を選択できない部分があります。そのような、彼らがどうすることもできない部分や、言葉にできないつらさを理解したい、と言うとおこがましいのですが、寄り添っていくことはできるのではないかと思っています。
また、今行っている仕事も続けたいですね。子どもに限らず、人の精神を形成する場面や環境には興味があるので、いろいろな人に出会って、その人の悩みに寄り添いながら自分の力量を広げていければと考えています。社会の仕組みづくりを行うには、まだ自分の中に手触り感が足りないので、家庭や学校、職場などにも領域を広げて、それぞれの求めに応じて、人々の人生に伴走できる存在でありたいと思います。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2023年9月8日