現地の人々がその地で継続的に生活を営めるよう支援したい
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◆ウクライナ人道支援から得た気づき
——ウクライナの隣国モルドバを拠点に活動されているそうですね。
2022年4月からNGOピースウィンズ・ジャパンに参画し、モルドバでウクライナ避難民の診療支援を行っていました。7カ月後には、診療を行っていた仮設診療所を現地団体に引き継ぐことになり、2023年秋までは引き続きピースウィンズ・ジャパンの職員として、ウクライナの病院再建事業に携わりました。2024年からはピースウィンズ・ジャパンを離れ、モルドバでの飲食店の開業と日本への輸入小売業を始めています。ロシアによるウクライナ侵攻の状況にもよりますが、モルドバでの事業が軌道に乗れば、ウクライナや他の東欧諸国でも展開させたいと考えていますね。
——なぜ事業を興したのですか?
長期的かつ本質的に現地の人々へ価値提供するには、ビジネスとして行う必要があると感じたからです。もちろん戦争や災害において、人道支援は重要な位置にあります。特に発災直後の緊急期やそれに続く復興期においては、人道支援の活動は大きな価値を提供していると思います。ただ、支援が長期化する中で現地に貢献するには、人道支援だけでは足りないと考え始めました。
例えば、人道支援団体の多くは助成金や寄付で成り立っているため、裨益者(受益者)には無償で援助することになります。その場合、人道支援団体が設置した仮設診療所の近くの現地の診療所は、集患や価格の競争に負けて経営が難しくなってしまうことがあります。ウクライナ侵攻のように長期化すればするほど、無償提供が根付くことで、雇用を奪い現地の人を支援に依存させていくリスクがあると思ったのです。現地の人々がそこで継続的に生活を営めるような形で価値を提供するには、公平な市場評価を受け、地域の経済に貢献するビジネスとして取り組む必要があると考えました。
さらに大きな枠組みで語るならば、西側諸国と東側諸国の緩衝地帯であるウクライナやモルドバといった地域が、東西の強国に依存せずしっかりと経済的に自立しなければ、今回のような侵攻や戦争が将来的に繰り返されると私は考えています。もちろん国際情勢はもっと複雑かもしれませんし、大きな事業を成功させている事業家からみれば私の考えは非常に青臭いかもしれません。しかし私は、緩衝地帯の国が経済的に豊かになることが、国際情勢の安定化にもつながるとの考えのもと取り組んでいます。
◆人の生活に密接に関わる仕事に就きたい
——ところで、なぜ医師を目指すようになったのですか?
もともとプロバスケットボール選手を目指していて、筑波大学体育専門学群に進学しました。しかし4年間でプロ選手への道は厳しいと感じ、大学院に進学し社会学を学ぶことに。なぜ社会学かというと、バスケットボールを辞めた後、バックパッカーで世界を巡り、インドで格差社会を目の当たりにしたことが大きなきっかけです。私はインドで最も安い寝台列車で移動していました。私が使っているのと同じ等級のたった1席を、4〜5人の子どもを連れた家族で使っていのを見て、なぜこんな格差が生まれるのかと、学問的な興味を持ったんです。
それで大学院で社会学を学びましたが、やはり机上の学問よりも現場での活動に興味を持ち、大学院を辞めてガーナでのNGO活動に参加することに。たまたま医療・保健分野のNGOで、HIVやエイズの啓発活動に取り組みました。この経験を通して、人の生活に密接に関わる業界で働きたいと強く考えるようになったのです。世界共通で普遍的に不可欠なのは衣食住。そこで農業か漁業、医療のどれかで考えていたのですが、医師なら土地に依存せずどこでも働けて自分に合っていると感じ、医学部に進むことを決めました。
——医学部入学後も一貫して、卒業後は国際保健や国際支援の分野に携わろうと考えていたのですか?
高知大学医学部に学士編入し、一度は国際保健から気持ちが離れていました。高知にもまたさまざまな医療課題があることを知り、地域医療への関心が高くなりましたし、医療テックにも興味を持っていました。そのため将来進みたい専門もあまり絞り込めず、初期研修先を選ぶ際には幅広くジェネラリストとしての教育を受けられる病院を志望し、亀田総合病院で初期研修を受けることになりました。
初期研修中の2年間は自分が成長できていると実感でき、非常に充実していましたね。ただ3年目以降の医師としての展望が全く見出せず、非常勤医として働きつつ、ウガンダでの灌漑設備事業を行っているスタートアップ企業に参加しようとしていたんです。そんな矢先の2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻。このニュースを見てすぐにウクライナ支援に携われる団体を片っ端から探し、4月からモルドバの仮設診療所で活動を始めました。
——キャリアを振り返ってみて、ターニングポイントはいつだったと思われますか?
1つは、大学卒業時にバスケットボールを辞めたあたりでしょうか。ここで価値観が大きく変わりました。それまではスポーツの世界の価値観で生きてきたので、自分の能力を高めてそれが承認されれば食いぶちにつながると考えてきました。ただその時期に海外を放浪し社会学の研究室で学んでいるうちに世界観が広がり、いかに世の中に価値を提供して貢献するかという考えに変わっていったように思います。
また、仲の良かった他大学医学部の友人が亡くなったことも大きな転機でした。自衛隊上がりで医学部に入学した彼は使命感に燃え、猪突猛進に突き進むタイプでした。一方私は彼と周囲の橋渡し役を担っていました。彼が亡くなったことで自分の内面にも変化が起き、彼の人生と自分の人生の両方を同時に生きているような気がしています。今でも私は何か大きな決断をする時には「こういうとき、彼ならどうするだろうか?」と考えていて、彼の存在が私にとって大きな支えになっています。ウクライナ支援に行くことを迷わず決めたのも、彼ならすぐに行くだろうと考えたからです。
医師プロフィール
長嶋 友希
千葉県出身。筑波大学体育専門学群卒業、筑波大学大学院2年次に中退。ガーナでのNGO活動を経て、2015年4月に高知大学医学部へ学士編入。2020年3月に同大学医学部を卒業し、亀田総合病院地域ジェネラリストプログラムで初期研修。2022年4月より、国際NGOピースウィンズ・ジャパンに参画し、モルドバでウクライナ避難民の診療に従事する。ウクライナ国内の病院再建プロジェクトにも関わり、2024年よりモルドバで自身の事業をスタート。