医師12年目の春山怜先生は、カンボジアでの子宮頸がんプロジェクトを通して、国際保健に貢献しています。学生時代からアジア各国をバックパックで回るなど、低資源国の厳しい実状に目を向けてきた春山先生。1年間WHO本部に派遣され、子宮頸がん排除に向けた世界戦略の策定に携わっていた経験を生かし、カンボジアへの支援活動を進めています。現地はどのような課題を抱え、それに対してどのような活動を行っているのか、お話を伺いました。
◆WHOでの取り組みをカンボジアで実践する
―現在はどのような活動に取り組まれているのですか?
2018年7月から1年間WHO本部に出向し、子宮頸がん排除に向けた世界戦略やがん対策に関する規範の策定に取り組んでいましたが、2019年8月に国立国際医療研究センター国際医療協力局に戻ってからは、WHOでの経験を生かしながら、カンボジアでの子宮頸がんプロジェクトに携わっています。このプロジェクトは、日本産婦人科協会とカンボジア産婦人科協会の協同事業として2015年に始まり、健康教育、HPV検査による子宮頸がん検診、前がん病変治療の技術強化および体制整備を行っています。9月にフェーズ1(2015年~2018年)が終了し、11月からフェーズ2(2019年~2022年)が始まりました。
フェーズ2では、これまで健康教育と検診の対象としていた女性を、工場従業員から小学校教員・教育省職員・保健省職員に広げます。2021以降カンボジアで全国導入が予定されているHPVワクチン接種は、9歳女子を対象とした小学校での集団接種となりますので、まずは教員や省職員に子宮頸がんに関する正しい知識を身につけてもらいたいという考えです。同時に、質の高い検診・治療を提供できる国立病院の婦人科を、これまでの3カ所から5カ所に増やす予定です。日本側が直接教えるのではなく、前フェーズで指導した13名の先生方に指導にあたってもらいます。HPV検査による検診プロトコルの改訂、浸潤がん管理を行う他科との連携強化、検診登録・がん登録システム整備なども行っていきます。
プロジェクトにおける私の役割は、現地でのプロジェクト活動の調整や研究を担うともに、カンボジア保健省やWHO国事務所の担当官と定期的に協議行い、子宮頸がん対策に関する政策支援を行うことです。一国のがん対策強化に僅かながらも関わることできるのはとても面白くやりがいがあります。
―子宮頸がん排除に向けた世界的戦略作りについて具体的に教えてください。
子宮頸がんは、HPVワクチン接種と検診・前がん病変治療により、罹患を予防できる数少ないがんの一つです。実際、オーストラリアや北欧ではHPVワクチン接種と検診の積極的な普及により、罹患率はゼロに近づいてきています。一方で、低中所得国ではこれらの介入へのアクセスが限られているため、子宮頸がんの疾病負荷は依然高く、今後も増加することが予測されています。
このような現状を変えようと、2018年5月にWHO事務局長が子宮頸がんの排除に向けた行動の呼びかけを行い、多くの加盟国の賛同を得て世界戦略が策定されることになりました。WHOは、「子宮頸がんの公衆衛生上の排除」を10万人あたり4人以下と定義し、2030年までに各国がHPVワクチン接種率を90%、検診受診率を70%、前がん病変・浸潤がん治療率を90%にまで高めることを目標として掲げています。
低中所得国における現状を考えると野心的な目標ではありますが、既に多くの国、関連機関(国連機関、学術団体、ドナー、非政府組織、企業など)が世界戦略の実施に向けて動き出しています。カンボジアでも、保健省は子宮頸がん対策を優先課題として掲げ、専門の担当官を置き、対策強化に乗り出しています。非常に勢いがありますね。世界のモメンタムを好機にして、日本も頑張らないといけないと肌で感じます。
◆産婦人科医の経験を国際保健の分野に生かす
―ところで、なぜ国際保健に携わろうと思われたのですか?
幼い頃にアメリカに住んでいたこともあり、将来は国際的に活動する仕事をしたいと思っていました。医師という選択肢が浮かんでからは国際保健に興味を持つようになり、大学時代は低資源国の現状を見るため、アジア各国をバックパックで回っていました。
印象的な経験としては、2003年にインド・カルカッタのマザーテレサの家でボランティアを行った時のことです。訪問前、そこは最も貧しい人たちが来て施しやケアを受けられる場所だと思っていたのですが、実際には、その家にも入ることができない人々が道端や線路脇に溢れていました。貧困や不平等、格差の実態を見た衝撃は今でも忘れられません。
―産婦人科を専門に選ばれたのも国際保健とのつながりからですか?
そうですね。今は低中所得国でも、心血管疾患、がん、糖尿病、慢性肺疾患などの非感染症疾患(NCD)が増えてきていますが、私が学生だった当時は、世界がミレニアム開発目標(MDG)の達成に向かって動いていて、中心となる健康課題は主に感染症と母子保健でした。それがきっかけで産婦人科医を目指したのです。産婦人科医になってからも、学生時代から持ち続けていた「国際保健に携わりたい」という気持ちは変わりませんでした。資源が少ない国でも高い質の医療を届けるためには、私自身がどんな症例にも対応できる臨床スキルを身につけなければならないと思っていました。
医師5年目に参加したカンボジアでの手術ボランティアで、培ってきた臨床技能を発揮できたのはよかったのですが、一方で、直接的な医療支援の限界を改めて実感しました。そもそも、人々が一般の公立病院で適切な医療を受けることができずにNGOの病院に医療を受けに来るのは、医療人材不足や、薬や医療機器へのアクセス困難、医療費自己負担の高さなどの要因があります。問題解決のためにはもっと大きな視点で国の政策的なところから介入していく必要性を感じました。
―学生教育にも関わられていたそうですね。
ちょうど産婦人科専門医を取得したタイミングで、母校である東京医科歯科大学の先生から「ヘルスサイエンス・リーダーシップ・プログラム」の立ち上げに協力してほしいとお声がけいただきました。グローバルヘルスの講義を担当し、いざ自分が教える立場になってみると、難しかったです。学生たちがグローバルヘルスについてどれくらい知っていてどこから説明すればよいのか。まずはそのレベルを知ることから始める必要がありました。
例えば、糖尿病が多い国があった時、それはなぜだと考えるか。多くの場合、「人々がジャンクフードを食べているから」「運動をしないから」という発想になります。しかし実際には、個人の嗜好だけでなく、社会やシステムの問題が背景にあることが多々あります。例えば、新鮮な野菜の方がハンバーガーよりも高価だったり、治安が悪くて運動する場がない環境だったり、治療のための薬が無かったり。疾患の発症には、社会が抱える問題が深く関わってくることをまず理解してもらわなければなりません。
世界の健康課題について社会的な介入を考えていく面白さに気づき、私も改めて東京大学大学院で国際保健政策学を学び始めました。午前中は大学院に通い、夕方からは授業を受け持つ。知識を吸収しながら、学生たちに教えていました。
◆カンボジアから世界へ、活動を広げていく
―今後の展望をお聞かせください。
まずは次3年間、カンボジアの子宮頸がんプロジェクトをしっかりと進めていきたいです。プロジェクトの成果が国の政策形成に役立つよう支援していければと思います。
今後、各国において子宮頸がんへの認識が高まり、HPVワクチン接種や検診が普及すれば、いずれ子宮頸がん自体は減っていくでしょう。しかし、それで終わりではありません。国が発展するにつれて、現在の日本で問題になっている乳がんや大腸がんなどが増えていきます。カンボジアのプロジェクトから得られたがん対策の知見を他の国でも応用していきたいです。
―これから国際保健の分野を目指す人たちへアドバイスをお願いします。
日本では国際保健というと低資源国への医療技術支援と捉える傾向がありますが、実際には、世界共通の健康課題を把握して、どのようにして解決していくかを考えるものです。そのためには臨床だけでなく、政策、研究、教育など、広い視野で取り組んでいく必要があります。学生の時から国連機関や低資源国の現場を見に行ったり、多職種の学生と交流できたりするといいですね。私も学生時代の経験が今とても役立っています。
(インタビュー・文/安藤梢)※掲載日:2020年1月21日