山形県唯一の緩和医療専門医である神谷浩平先生は、地域で緩和ケアに携わる医療従事者への教育とサポートを続けています。円滑な緩和医療のためのコミュニケーションを重要視し、患者さんが最期のその時までその人らしく生き抜くために必要な緩和アプローチの普及に力を入れています。神谷先生の歩んできた道のり、そして今後の展望についてお話いただきました。
◆「ともに支え、育むケアへ」緩和ケアの向上を目指す
―現在、どのようなことに取り組まれていますか?
2020年10月に、10年間勤めた山形県立中央病院を退職し、一般社団法人「MY wells 地域ケア工房」を立ち上げました。「MY wells 地域ケア工房」では、緩和ケアの総合コンサルティングを行っています。「緩和ケアはがん患者のための終末期医療」というイメージを持たれがちですが、心不全や神経難病、慢性呼吸器疾患などの非がん疾患、救急・集中治療領域など、疾患の種類や時期を問わない多様な現場での介入も重要です。
どのような患者さんでも「痛みや苦しみを取り除いてほしい」「最期まで尊厳を保ちたい」と考えています。一方の医療従事者側にはまだ、その方法の1つとしての「緩和ケア」の知識やスキルが浸透していません。そのため、緩和ケアのスキルを必要としている病院や医療従事者に届けようと活動を始めました。
「MY wells 地域ケア工房」という名前には次のような意味を込めています。
MY:患者さんだけでなく、ケアする人も自分自身を大切に
wells:泉や井戸のように深いところで湧き出るもの、
地域ケア工房:さまざまな知識・経験・スキルを持った医療従事者が集い、共に育みながら良いケアをつくり上げていく工房のような場所をイメージしています。
MとYは好きな楽曲の歌詞からもインスパイアされ、患者さんやご家族、医療者の、病気に「負けないで」と支える気持ちや、「揺れる想い」も大切にしたいなど、たくさんの思いを込めて、この名前とともに歩み始めました。
―なぜ独立を決めたのですか?
山形県立中央病院では県内唯一の緩和医療専門医として、都道府県がん診療拠点病院の緩和ケアチームを率いる立場でした。その立場で緩和ケアの普及・発展に取り組んだり、後進の育成にあたったりすることも重要な役割だったと思います。
しかし、より広く疾患の種類や時期、場所を問わない「緩和ケア」を医療現場に普及させていくことは、大きな病院組織にいるとなかなか難しいと感じていました。ならば、一度離れて、自分の緩和ケアやコミュニケーションのスキルを地域全体へ伝えて、地域へのエンパワーメントを高めることで、より多くの患者さんをサポートしたいと思ったのです。実際に私を必要としてくれる医師や看護師、病院はたくさんありましたし、それだけ現場の医療従事者が緩和ケアの必要性を感じていたことを再認識しました。
―コンサルティングではどのようなことを行いますか?
それぞれの病院の特徴や事情に応じて、診断時から終末期まで質の高い療養を実現してもらえるように手助けしています。相談に乗るだけなく、非常勤医師として外来診療やチーム回診を行うこともあります。
具体的には、私がコンサルティングしている病院の1つに、福島県の坪井病院があります。1991年に日本ではじめてホスピスとして認定された5病院のうちの1つで、歴史も経験も豊富な病院です。同院では、がんだけでなく、非がん患者の緩和ケアにも力を入れていて、そこにアプローチできる医療従事者を育てたいと考えていました。
お互いの思いが合致して、緩和医療専門医の育成だけでなく、非がん患者の緩和ケアのマニュアルを作成し、少しずつですが病院全体のレベルアップに繋がっています。これが、ずっと続いて根付いていくのが理想ですね。また、山形県の国立病院機構山形病院では、神経難病の緩和ケアチームの立ち上げをサポートしています。
◆最期のその瞬間まで支える医師になりたい
―なぜ、医師を目指したのですか?
私は幼少期から文学作品を読んだり歴史を学ぶのが好きでした。人の人生のフィナーレは物語の重要なシーンとして描かれることが多いのですが、そのようなシーンを読むたびに、漠然と「人生の最期を穏やかに迎えるための支えになりたい」と考えていました。明確に医師を志したのは中学生の頃だったと思います。山崎章郎先生の著書「病院で死ぬということ」と出会ったことがきっかけです。「ホスピス」という言葉も、この本で知りました。
―初期研修ののち麻酔科に進まれたのは、緩和ケアで「痛みをとる」ことが求められるからですか?
もちろんそれもありますが、今振り返ってみると、術前に患者さんの不安に寄り添い安心感を与えられる点に、麻酔科の魅力を感じていたように思います。
麻酔科医は、安全に麻酔を受けていただくために術前回診をします。その時、患者さんからは手術や麻酔そのものだけでなく、今後の生活や人生に対する不安な想いを打ち明けられることがあります。それに対して「安心してください」「大丈夫ですよ」と麻酔科医がしっかりと不安を受け止めて寄り添うことで、患者さんの不安は和らぎ、術後の経過も良好になっている感覚がありました。こういった患者さんとのコミュニケーションが好きだったんです。
―麻酔科医から緩和ケア医へシフトしていった経緯を教えてください。
今話したような患者さんとのコミュニケーションの時間というのは、麻酔科医の仕事のごく一部で、より重要なのは、麻酔管理を的確に行い手術を無事に終わらせることなんです。ここには職人的技術が必要で、修練を積まなくてはなりません。私は、麻酔科医の経験を積む中で、徐々に、患者さんの不安を和らげるようなコミュニケーションに重点を置きたいと考えるようになったのです。
2005年、麻酔科医として赴任した山形県立中央病院には県内初の緩和ケア病棟がありました。緩和ケア科の医師はいませんでしたが、各科の終末期の患者さんの看取りの場所として整備されていた病棟でした。私は麻酔科医の仕事を終えた後、勉強のために緩和ケア病棟の患者さんと接していました。
しかし、二足のわらじ状態で中途半端に学ぶのはよくないと感じ、思い切って緩和ケアを1から学ぼうと決意。そして筑波メディカルセンター病院で緩和ケア研修を受けることにしました。多くのことを学ばせていただき、2010年には山形県立中央病院に戻りました。翌年には緩和ケア専門医を取得。緩和ケア科を立ち上げ軌道に乗せることができました。
◆コミュニケーション・人とのつながりを大切に
―今後の展望はどのように思い描いていますか?
緩和ケアの普及に務めてきた10年のあいだに、治療も薬も進歩し、緩和ケアへの理解も変わりました。それでも変わらないことは、コミュニケーションや人と人とのつながりです。
緩和ケアではコミュニケーションがとても重要です。どんなに治療を頑張っていても、どうにもできない瞬間が訪れます。この事実をうやむやにすることは、患者さんのためになりません。治療の限界とケアのゴールをはっきりと伝え、患者さんの思いや感情、最期のその瞬間までサポートできる医師・医療従事者を育てる必要があります。「その患者さんにとっての最善は何か」を考えられるように、教育・研修を実践できるようにしたいですね。
私が関わる病院同士が参加できるオンライン勉強会では、お互いの経験を共有し、つながりを持ちともに支え合える土台作りをしています。手探りの部分も多いのですが、非がん患者も含めた緩和アプローチを広め、個々の病院のスキルを上げ、地域全体で患者さんをサポートしていきたいですね。
―若手医師へメッセージをお願いします。
どんな診療科でも、コミュニケーションを大切にすること、「患者さんのことを分かりたい」というメッセージ性を持つように意識してください。「話して終わり」ではありません。患者さんがどのように受け止め、感じ、理解したかを言語化してもらうように意識してください。そうすることで、目の前の患者さんのことがより分かるようになり、コミュニケーション・関係性はよくなります。そして、患者さん自身が主人公になれるように、その人の人生や生活を大切にする医師でいてください。
さらに、各診療科での経験を積み、常に患者さんへ最善を尽くしているけれども自分の専門では対応できない、この先どうしたらいいか分からないと思った時には、次のステップとして、緩和ケアを学んでみてはいかがでしょうか。緩和ケアは、患者さんの最期にまでコミットできる素敵な分野ですし、これまでの知識と経験も必ず役立てられます。みなさんが新しい道への第一歩を踏み出すことを期待しています。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2021年10月19日