「小児科医である以上、子どもの心も体も診られるジェネラリストでありたい」。こう語るのは、千葉県こども病院救急総合診療科医長を務める小川優一先生です。臓器別サブスペシャリティを選択する医師が多い中、小川先生はあえて総合診療へと進みました。現在は児童虐待への対応をライフワークとし、卒後教育にも力を入れています。ここに至るまでの過程と、現在の取り組みについて伺いました。
◆虐待の連鎖を食い止めることは、次の世代の子どものためにもなる
―児童虐待への対応をライフワークにされた経緯を教えてください。
以前勤務していた東京都立小児総合医療センターで、虐待を受けた子どもを相当数担当したのがきっかけです。彼らの親の多くは、自身も子どもの時に虐待を経験した当事者。もし当時の小児科医が気付いて対処していれば、自分が受けた辛い思いを子どもにさせる、いわゆる「虐待の連鎖」は起こらなかったのではないか、と思いました。
傷ついた子どもたちが搬送されるのは病院です。目の前に虐待が疑われる子どもがいるのであれば、私たち医師が見抜き、毅然と介入していく必要がある。そうでなければ、その子どもが大人になったときに、同じような悲劇を起こしてしまうかもしれない、と危機感を抱いたのです。
―具体的には現在、どのような取り組みをされていますか?
まずは、虐待対応に強い病院にするべく、千葉県こども病院内でできることから進めています。先日は、専攻医にレクチャーを行いました。実は、傷ついた子どもを目の前にしても、医師は「これは虐待ではないかも」というバイアスにかかりやすいんです。そのバイアスを避けるためにチームで対応し、最後まで疑って考える必要があることなどを説明しました。虐待の連鎖を食い止めることは、目の前の子どもだけでなく、次の世代の子どものためでもあるのだということも強調しました。
また、ワンストップセンターの設立を視野に入れて月1回、検察や警察、児童相談所とミーティングを重ねています。医師が虐待を疑っても、警察や児童相談所に通告するタイミングが難しいのです。各機関が垣根を越えて連携できれば、早期の対応が可能になります。それぞれの機関で聞き取りを行う現状では、そのたびに子どもは嫌なことを思い出さなければなりません。それがトラウマの原因にもなっていることを考えると、ワンストップセンターの設立は不可欠。昨年始まったばかりの取り組みですが、少しずつ前進していると感じています。
◆児童精神科で学んだ「あなたはそのままでいい」という考え方
―小児科医になることを決めた経緯を教えてください。
幼少期の私は、喘息で入退院を繰り返していました。家では眠れないほど苦しいのに、病院で小児科医が薬を吸入してくれると楽になる。「苦しみを取り除いてくれる医師という職業は、なんと格好いいんだろう」と思ったのが最初です。ただ中学生の時は、自分の休みに関係なく患者さんのもとに駆け付ける救急医に憧れました。そのため、医学部卒業時まで、小児科か救急科のどちらかに進もうと決めていました。
初期研修先の亀田総合病院では、最初に専攻科を決めてから研修が始まります。小児科か救急科かの選択を迫られた時、私は医師になろうと思った原点に立ち返ったのです。子どもの頃に喘息を治してくれた医師がいたからこそ今の自分があり、医師としての将来を思い描いている。そう考えると、未来ある子どもたちのために、小児科医になりたいと思ったのです。
―都立小児総合医療センターの総合診療科でサブスペシャリティの研修を受けたのは、どのような理由からですか?
亀田総合病院での小児科専門医研修で、不登校や発達障害などの子どもを診る機会が多くありました。当時は「小児科医は器質的な疾患の除外こそが大事で、心の問題は精神科に任せよう」という指導が多かったのですが、患者・家族のニーズとマッチしていない感覚を持っていました。
一方で話はさかのぼりますが、初期研修医時代にローテーションで回った総合診療科では、患者さんの健康面だけでなく、家族の不安にも寄り添い、経済状況や地域環境といった患者さんの社会的背景まで考慮して総合的にマネジメントしていました。小児科医として、そのような姿勢で子どもと関われないかと考えるようになったのです。
小児科専門医研修を終えると、臓器別のサブスペシャリティを取るのが一般的です。当然周囲からも取るように勧められました。しかし「これまでの一般的な臓器別の研修を受けて、子どもの心も含めた問題に対応できる医師になれるのだろうか」という疑問が払拭できずにいました。子どもの困り事を体だけで考えずに、心や社会背景も含めて考えられる医師になりたい。そう思い総合診療科での研修を選んだのです。
―都立小児総合医療センターでの学びはいかがでしたか?
児童精神科での研修が私にとっては大きかったと思います。かつての私もそうでしたが、多くの小児科医は、自分が何かをして、その子の苦しみを取り除いてあげたいという思いが強いもの。でも研修中に回った児童精神科では、子どものレジリエンスを信じて家族をサポートをしたり、環境を整えながら子ども達が成長するのを辛抱強く待つなど、大人がこどもを変えてあげようというものがありませんでした。
今まで考えていた子どもを変えてあげたいと思っていることは、子どもを力を信じていなかったり、子どもの力が成長するチャンスを奪っていたり、こどものためといいながら大人のエゴの可能性もあるのかと衝撃を受けました。その後の診療では子どもに対して「あなたは、そのままでいいんだよ」と心から伝えられるようになったことは小児科診療で大きな成長となりました。
◆子どもの心と体の問題に真正面から向き合える医師を育てたい
―先生が目指すビジョンについて聞かせてください。
全ての子どもが笑顔で幸せに暮らせる社会にすること。その実現のために、小児科医としてどう関わっていけるのかを考えています。虐待で受けたトラウマのケアのことを考えると、児童精神科に軸を置くのも1つの選択肢でしょう。一方で、小児科医が体の病気はないからあとは精神科でと言うだけで「自分の心は病気なのか」と思ってしまう子どもがいるのも事実です。本当に心の病気なのかというと、何らかのストレスに対応しきれなくなって身体症状が出ている自然な反応のことが多いと感じます。
それならば、普段から体を診ている小児科医が「こんなに辛いことがあったのだから、あなたがこうなるのも当然だよ。つらい症状は薬も使ったりしながら、まわりの環境を変えていこう。あなたはそのままで大丈夫だよ。」と言って、社会的な問題も含めてきちんと向き合っていく。これが大事だと思うのです。このやりとりだけで治っていく子どももいるくらいです。ですから小児科にしっかり軸を置いて、これは心の問題だとか、体の問題だとか、社会の問題は病院でやることじゃないなどと言ってつながりを切るのではなく、目の前の困っている子どもの生き方と真正面から向き合える医師の仲間を育てていきたいと考えています。子ども病院にずっと籍を置いているのもそのためです。
―その点が卒後教育につながっているのですね。今後はどのように活動を広げていきたいと考えていますか?
都立小児総合医療センター時代、全国のこども病院の総合診療科の医師たちと「日本こどもの総合診療(GHJP)」というグループを立ち上げました。そこでメンバーのスキルアップや、研修医へのレクチャーなどを行っているので、さらに活動を発展させていきたいと思います。
虐待に関しては、子どもの思いをしっかりと受け止めて社会につなげていく、彼らの代弁者となる医師を育てたいですね。最近よく「子どもアドボカシー」という言葉が聞かれるようになりました。子どもの声を聴き、子どもが幸せに暮らす権利を守ることができるよう支援する取り組みのことで、GHJPの中からもアドボカシーの普及啓発を行うグループが生まれています。小児科学会のワーキンググループにもなっているので、今後は研修医も含めて、多くの医師がアドボカシーについて知る機会が増えていくと思います。
―最後に、キャリア選択に悩む若手医師にメッセージをお願いします。
何が正解なのかは、誰にも分かりません。だからこそ、たとえ周囲から止められても、自分が正しいと思うのであれば進むべきだと思います。私もサブスペシャリティを取る時には、周囲からいろいろ心配されました(笑)。でも、あの時に自分が信じる道を進んだからこそ、子どもの心にも視点が行くようになり、総合診療医としての幅を広げることができました。自分が信じる道を進んでいく中で、同じ思いを持つ人に出会えたりするので、とにかく動いてみる。それでもだめだったら、その時に考えればいいと思います。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2022年10月20日