島の患者さんが望むように生きることをサポートする
記事
◆医師業を休止し、生活の隙間の困り事を解消する
―現在、どのようなことに取り組まれているのですか?
2019年4月、鹿児島県薩摩川内市の離島・下甑島(しもこしきしま)にある下甑手打診療所に、副所長として着任しました。2年の任期を終え、2022年4月からは一度「医師」から軸足を抜き、下甑島で農業などをしながら家族と共に暮らしています。
とはいっても、医師としての仕事を完全に辞めてしまうと生計が成り立たなくなるので、1カ月に1週間、熊本市にある祖父が開設した病院で、常勤医として勤務させてもらっています。それ以外の日は、子どもたちを幼稚園や保育園に送り届けたら夫婦で、畑や田んぼで農作業をしています。あとは、地域の方々のちょっとした困り事のお手伝いをする生活支援サービスをしています。
―今取り組まれていることについて、具体的に教えてください。
まずは農業です。2021年から少しずつ畑や田んぼを増やしていき、現在は田んぼ3カ所と野菜畑3カ所、ビワ畑1カ所で農作物を作っています。今年の目標は、お米を収穫し販売にまでこぎ着けることです。他にも、島民の方々のちょっとした困り事を解決する生活支援サービスも始めています。
―生活支援サービスには、どのような依頼があるのですか?
例えば、ケアマネジャーさんから「介護用ベッドに入れ替えたいのだけど、もともとのベッドを解体してゴミに出してくれる人がいないからお願いできませんか?」という依頼がありましたね。島での生活を希望されている方が、少しでも長く島にいられるようにできるならば、という思いで続けています。
2022年7月には10件の依頼がありましたが、まだできることはあると思っています。妻と一緒に宣伝用のチラシを作り、一軒一軒に配ってニーズを拾い上げています。
―なぜ、生活支援サービスの活動を始めたのですか?
私の理念の1つは「患者さんが望むように生きることをサポートする」こと。裏を返せば、患者さんが望むような最期を迎えるサポートをするということです。その理念を掲げて2年間、診療所に勤務してきました。
その2年間で直面したのが、特に介護・福祉のリソースが非常に少ないという課題でした。養護老人ホームや特別養護老人ホームはありますが、常に埋まっていて、入所を希望してもなかなか入れません。また人口1900人の島ですが、訪問看護師は当時1名で、訪問ヘルパーは2名のみ。高齢化率が50%近い島の介護は、この人数ではカバーしきれません。
そして下甑島に来て知ったのですが、住民同士の支え合いのネットワークは、イメージされるよりもずっと『疎』なのです。確かに数十年前は十分に機能していたかもしれませんが、現在は人口が減り、支える人自体が減っているので、助け合いのネットワークは崩れつつあるのが現実です。
診療所に勤めていた時、次のようなケースがありました。
腰痛で入院していた高齢の方。娘さんは他県に住んでいて介護が難しいのですが、ご本人は何十年も下甑島から出たことがないので、島で生活することを希望し、自宅に退院することを望んでいました。リハビリでポータブルトイレに移れるようにはなったのですが、ポータブルトイレの処理をできる人がおらず、結局自宅に帰ることができませんでした。また、配食サービスを活用しようにも、玄関で受け取った食事を食卓まで持って行く人がおらず、自宅に帰れなかった方もいました。
離島のような地域では、さまざまな資源不足から、医療だけでは自分が掲げた理念を達成できないないですし、医療/保健/福祉と区別して考えていても達成できない。理念をスタートに考えると、保健・福祉も一括りにカバーしていきたいと思い、生活支援サービスを始めました。
そして最近、医療・保健・福祉をカバーする地域包括ケアシステムでは、人の健康は守れても、必ずしも幸福な人生までは守れないのではないか。「楽しみ」という4つ目があることで、自分の理念は達成されるのではないか、と考えがはっきりしてきました。
「楽しみ」を生むために、自分が農業をすることで懐かしい田んぼの風景を楽しんでもらい、島の新米を楽しんでもらう。生活支援を通して会話を楽しんでもらう。自分が取り組んでいることと理念とが、よりはっきりとつながってきた感覚です。
医師プロフィール
室原 誉伶
熊本県出身。2014年に順天堂大学医学部を卒業後、河北総合病院で初期研修修了。ゲネプロが運営する「離島・へき地研修プログラム」で離島医療を経験し、2019年、鹿児島県薩摩川内市の離島・下甑島にある下甑手打診療所副所長に就任。2022年4月からは、下甑島で農業を中心に、島民の方々のちょっとした困り事を解決する生活支援サービスを始めている。