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INTERVIEW

フリー(2014/03までは宮城県気仙沼市立本吉病院院長)

総合診療医

川島 実

「点」や「線」ではなく、「網」で支えたい

京都大学医学部を卒業後、プロボクサーとして活躍し、29歳で引退した後に医師として働きだしたという異色の経歴を持つ川島 実先生。日本各地で医療経験を積みながら総合診療・在宅医療に力を入れてこられています。
東日本大震災後に院長不在だった宮城県気仙沼市立本吉病院の院長に就任。就任して3年、本吉病院と地域が立ち直っていく姿を見守り、これから自分自身も本吉病院も次のステージへ向かう時だとおっしゃる川島先生にお話を伺いました。

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ネットワークで支える医療

本吉病院とはどのようなところだったのですか

震災前まで、本吉病院は消化器内科のみの単科病院でした。院長と常勤医の2名で診察を行っていましたが、震災から10日程経った時にその2名とも退職してしまい、医師が居ない異常事態となってしまったのです。また津波の被害が大きく、病院の1階部分は浸水し、カルテや医療機器も全て使えない状況になっていました。

私は、所属していたボランティア団体のメンバーの1人として行ったのですが、その悲惨な状況を見て、短期のボランティアではなく定期的に通おうと思いました。

震災後、本吉病院で働き続けようと思ったのはなぜですか?

あの当時の悲惨な状況を見て見ぬふりは出来なかった事が一番ですね。当初、所属病院で通常の勤務もしながら、多い時では月に15回病院に通っていました。山形県の酒田市にある自宅から車で片道4時間かけて通うのですが、雪や震災の影響から移動がとても大変で、片手では足りないくらい事故にも遭いました。それでも、あの当時は「地震と津波に襲われた人々を見ながら、そんな事を言っていられない!」と思っていました。

そして、震災後に本吉病院にボランティアに来たメンバーは皆とても士気が高く、仕事はとても面白かったんです。その後2011年10月に本吉病院の院長になりました。この3年で消化器内科の単科病院だった本吉病院は大きく変わりました。
しかし、それは私一人が何かをしたのかというとそういう訳ではなく、本吉病院や地域全体が立ち直っていくところに一緒にいたという感じですね。

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PROFILE

川島 実

フリー(2014/03までは宮城県気仙沼市立本吉病院院長)

川島 実

京都大学医学部医学科卒業。在学中にプロボクサーデビューし西日本新人 王(ウェルター級)に輝く。29歳でボクシング引退後、自給自足生活を求めて奈良へ移住。奈良→京都→沖縄→山形の病院で医療経験を積み。震災直後から、 山形から宮城県気仙沼市立本吉病院へボランティアとして通う。2011年10月同病院の院長に就任。2014年3月、同病院を退職し、現在はフリー。

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