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INTERVIEW

新潟県立十日町病院

内科

吉嶺 文俊

医療は、患者と医療者がともにはぐくむ

自治医科大学を卒業後、約30年に渡り新潟県内の病院に勤務されてきた吉嶺文俊先生。住民の健康意識を変えるべく考えたアイテムが「健康ファイル」でした。どのように普及させてきたのか、そしてこの「健康ファイル」に込められた想いとは――。

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新潟県内、最少医師数の地域ではじめたこと

―新潟県立十日町病院の院長に着任するまでのキャリアを教えていただけますか?

私は1985年に自治医科大学を卒業し、医師1年目は新潟大学附属病院で研修、2,3年目は比較的大きな県立病院で研修し、4年目からへき地の病院に勤務してきました。

そのような地域で研鑽を積んだ後、2002年に着任したのが県立津川病院でした。津川病院があった東蒲原郡阿賀町は当時、人口約14,000人、高齢化率40%を超える地域でした。2年間かけて病床利用率を79.3%から90.2%へ上昇、平均在日数を19.8日から18.7日に減少、病院経営も改善させることができました。

しかしながら人口10万人対医師数は80人で、新潟県内では最も少ない地域でしたし、スタッフ数は増えていなかったので、医療提供側の疲弊は変わらなかったんですね。

そこで、県立と町立病院を統合し公設民営の1病院・4診療所に集約して、社会医療法人化すること、24時間救急対応、在宅医療を充実させ、その一方で地域に見合ったコンパクトな医療提供に絞り、黒字化を目指すという「阿賀町ユートピア構想」を、自治体に提案しました。しかしながら公立病院が1つ減ることは、住民にとっては簡単には受け入れられることではありませんし、自治体にもなかなか理解を得られず実現できませんでした。

そこで視点を少し変え、住民への健康啓発活動にシフトチェンジし、「健康ファイル」というものを始めたのです。

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PROFILE

吉嶺 文俊

新潟県立十日町病院

吉嶺 文俊

新潟県立十日町病院院長
1985年自治医科大学医学部卒業。新潟大学医学部付属病院にて研修後、新潟県立新発田病院、六日町病院、妙高病院などに勤務。2002年7月、県立津川病院に着任、翌年、院長に就任する。2013年には新潟大学大学院医歯学総合研究科総合地域医療学講座特任准教授に就任、2016年4月に県立十日町病院に院長として就任し、現在に至る。

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