血液内科医から糖尿病内科医へ
―もともと医療の側面からの地域づくりに興味を持って、東埼玉総合病院に行かれたのですか?
最初から地域づくりに興味があったわけではないんです。獨協医科大学卒業後、同大学越谷病院の内分泌代謝・血液・神経内科に5年程所属し、血液疾患の化学療法に携わっていました。本院では移植を行っていましたが、分院であった越谷病院では化学療法で治療可能な患者さんか、あるいは移植が困難な状態の患者さんが多かったです。そのため、化学療法で治る白血病患者か、移植ができない状態の厳しい造血器腫瘍の患者さんを診る機会が多かったんです。3,4年入院されている患者さんを自分の病院で治すことができず、時に亡くなっていく―。その現状に疲弊するようになってしまいました。
そんな時に参加した糖尿病に関する講演会で興味を持ち、内分泌代謝科も血液内科と同じ科だったので、糖尿病の治療へと舵を切り直したのです。
その後、米国サンディエゴに短期留学、帰国して東埼玉総合病院に1年間勤めてから大学病院に戻ったのですが、もともと医師不足だった東埼玉総合病院で、医師が大量退職してしまいました。これは大変だと思い、東埼玉総合病院に戻してもらうことを上司に依頼、2008年からこの病院に勤務しています。
―当時、医師不足以外に感じた課題はありましたか?
専門医のところにも軽症患者は来ていたり、開業医のところにも重症患者がたくさん来ていたりする一方で、全然医療機関を受診できていない患者さんもいる。このミスマッチが地域の大きな課題であり、何とかしないといけないと思いました。そこから、地域連携の仕組みづくりに取り組み始めたのです。
―それが、埼玉利根保健医療圏地域医療ネットワークシステム「とねっと」につながっていくわけですね。
最初は地域の医療機関向けに、糖尿病の教育プログラムを開講することから始めました。開業医の先生方に糖尿病知識をレクチャーすると同時に、参加する先生方が煩雑な手続きを踏まずに、患者さんを当院に入院させることができるようにしました。まるで自院の病棟に入院させる感覚で利用できるので、非常に好評でした。そこから開業医の先生方と顔の見える関係性をつくっていき、逆紹介も増やしていきました。また、逆紹介した患者さんには、必ず1年おきに合併症のフォローアップをする連携パスを作ったんです。
これまでに2000人以上の糖尿病患者さんを逆紹介していて、循環型連携パスによる連携診療は900~1000件は行っています。そうすることで、緊急入院の際の受け入れ体制が整い、開業医の先生方も不安なく、当院に入院させられるようになりました。これだけの規模で活用されている事例は、全国的に見てもあまりないと思います。
しかしこれは糖尿病の患者さんへの対応限定になってしまい、救急の問題には対応できません。また埼玉県内にも救急の連携を取れている地域がありませんでした。そのような体制構築を盛り込んだ地域医療再生計画を県に提出したところ、埼玉県から「とねっと」の話が来たのです。
「とねっと」では、医療機関を受診している患者さんだけでなく、全ての地域住民が登録可能です。そして登録者の情報は112医療機関で共有され、救急搬送や糖尿病重症化予防に利用されています。また、登録者自身もデータを見ながら健康管理ができたり、診察予約などに活用できたりします。「とねっと」の情報を用いて緊急搬送につながったケースは1300件を超えています。
在宅医療連携拠点が、サポーター住民もサポートする
―では、「幸手モデル」と言われる地域包括ケアの体制づくりはどのような経緯で始められたのですか?
人は常に使命感を持って生きているわけではありません。逆に、理由がなくても生きることができます。なるべく健康に過ごそうとしなくても生きることはできる。このような方々は、ぎりぎり限界を迎える直前に医療機関をやっと受診することもあります。
そのもっと前の段階で介入したいのに、病院にいる医師は患者さんが受診してくれないと介入ができないのです。そのような方々のセーフティネットが必要だと考えていました。しかし、医療者のみでカバーしていくことは、ただでさえ医療者不足のため無理があります。そこで改めて地域に目を向けてみた時に、「地域のゆるいつながり」がその役割を担えるのではないだろうかと思ったのです。
「地域の緩やかなつながり」とは、特定の目的や価値観を共有していたり、共感に基づいたコミュニティのこと。例えば市民オペラやマルシェ、サロン、寺子屋など形はこだわりません。一昔前までは、自治会や町内会が、そのような役割を担っていましたが、それは互酬関係に基づくつながりで、生きづらい社会を生み出していた部分もありますし、現在でも形こそ残っていますが、影響力は衰退しています。一方の新たなコミュニティは、互酬関係に基づくコミュニティよりもつながりが弱いかもしれませんが、参加している人たちがやりたくて集まっているコミュニティや共感に基づいたコミュニティなので、1人ひとりにフィットすることもありますし、地域にたくさんあります。
私は在宅医療連携拠点推進室「菜のはな」を開設し、新たなコミュニティをつくっている住民の方々をコミュニティデザイナーと位置付け、彼らをさまざまな形で支援していくことで、地域包括ケアシステムを実現しようと動き出したのです。
それぞれのコミュニティ体系に合わせて私たちがサポート方法を変え、多層的なセーフティネットを構築していくのが「幸手モデル」です。
―在宅医療連携拠点推進室「菜のはな」としてのサポート方法を詳しく教えていただけますか?
まずコミュニティは3タイプあります。1つが、特定の目的や共通の価値観に基づいたアソシエーション型コミュニティ、先程言った新しいコミュニティですね。2つ目がいわゆる自治会など地縁型コミュニティ、そして3つ目が“ご近所さん”など組織されていない緩やかなコミュニティです。それぞれに対して形を変えてサポートしています。
例えば、アソシエーション型コミュニティに対しては、コミュニティナースが「暮らしの保健室」としてそのコミュニティへ赴き、健康講話や、相談を受けるなどをしています。先ほども言いましたが、アソシエーション型コミュニティは地域のいたる所にあるので、現在開かれている「暮らしの保健室」は37カ所にも上ります。
地縁型コミュニティでは、「地域ケア会議」を実施し、意見の吸い上げを行っています。これと似た役割を担っていますが、誰でも参加可能な「みんなのカンファ」や、医療介護連携や多職種協働の教育を目的とした「ケアカフェさって」も定期開催しています。
個人で自立した生活を送れる人だけでなく、家族や支援者にもコミュニティナースなどの伴走者をつけていくことで、誰かの負担が大きくなりすぎることなく、継続性が生まれます。そのためのサポートをすることが「菜のはな」の役割です。
制度が住民に合わせる「幸手モデル」
―「幸手モデル」の中での、中野先生の役割は何でしょうか?
昔ながらの共同体には限界がきていますが、地域包括ケアなど新しい共同体に付け替えようとしても、地域は福祉的でないため簡単にはうまくいきません。しかしながら国の制度では現在、一定量の支援しか提供せず、あとは個人の責任という傾向が伺えます。例えば、国の進める地域包括ケアにより高齢者の介護度が下がったとしても、生きる意欲を育むサポートがなければ、高齢の自殺者が増えてしまうことだってあるかもしれません。今の国の地域包括ケアでは、「制度に国民が合わせろ」という姿勢です。そうではなくて、国民という個人に制度を合わせていくことが必要なのではないでしょうか。
この中で私の役割は何かというと、ソーシャルワークでいうところの間接的援助だと考えています。つながりをつくる、場を作る、あるいは楽しい地域コミュニティをつくることでケアを分散させ、地域ケア会議やみんなのカンファなど「健康と暮らしささえあい協議会」で情報の集約を図り、より質の高いケアのための仕組みづくりや、ソーシャルワーク技術を住民の方に広めていくことです。つまり、共同体をより福祉的に作り変える作業です。また、公的サービスを専門職に集約させたり、住民の方に分散させたりすることで、きちんと住民一人ひとりに届くようにしていくことも役割です。
―今後はどのように発展させていきたいと考えていますか?
「幸手モデル」では、住民が多様なかたちで支え合いながら生活していくことに、行政が制度で支援していく体制を構築しています。例えば、地域ケア会議での意見から、在宅医療・療養に関する相談を一括で受ける「地域まるごと電話相談」という制度ができました。相談者は在宅医療連携拠点「菜のはな」に電話連絡することで、コミュニティナースが地域包括支援センターや自治体、医療介護施設と協働してコーディネートする仕組みです。
支援の使い勝手が悪い場合は、改変していかないといけません。この地域では、それができる組織が出来上がっています。制度に対して現場の作法を変えるのではなく、現場の作法に制度がついてくるのです。国の示す地域包括ケアシステムとは一線を画していると思っています。この体制を、少なくともこの地域に限っては、文化レベルにまで浸透させて行きたいですね。