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INTERVIEW

社会医療法人JMA東埼玉総合病院

糖尿病内科

中野 智紀

制度が地域住民に合わせ支援する

埼玉県北部に位置する利根医療圏は深刻な医療資源不足が課題でした。この医療圏に属する東埼玉総合病院に2008年から勤務する中野智紀先生は、2012年に地域医療連携拠点推進室「菜のはな」を開設、制度が住民に合わせていく地域包括ケアシステム「幸手モデル」を構築してきました。中野先生の提唱する「幸手モデル」の仕組みや今後の展望をお話いただきました。

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血液内科医から糖尿病内科医へ

―もともと医療の側面からの地域づくりに興味を持って、東埼玉総合病院に行かれたのですか?

最初から地域づくりに興味があったわけではないんです。獨協医科大学卒業後、同大学越谷病院の内分泌代謝・血液・神経内科に5年程所属し、血液疾患の化学療法に携わっていました。本院では移植を行っていましたが、分院であった越谷病院では化学療法で治療可能な患者さんか、あるいは移植が困難な状態の患者さんが多かったです。そのため、化学療法で治る白血病患者か、移植ができない状態の厳しい造血器腫瘍の患者さんを診る機会が多かったんです。3,4年入院されている患者さんを自分の病院で治すことができず、時に亡くなっていく―。その現状に疲弊するようになってしまいました。

そんな時に参加した糖尿病に関する講演会で興味を持ち、内分泌代謝科も血液内科と同じ科だったので、糖尿病の治療へと舵を切り直したのです。

その後、米国サンディエゴに短期留学、帰国して東埼玉総合病院に1年間勤めてから大学病院に戻ったのですが、もともと医師不足だった東埼玉総合病院で、医師が大量退職してしまいました。これは大変だと思い、東埼玉総合病院に戻してもらうことを上司に依頼、2008年からこの病院に勤務しています。

―当時、医師不足以外に感じた課題はありましたか?

専門医のところにも軽症患者は来ていたり、開業医のところにも重症患者がたくさん来ていたりする一方で、全然医療機関を受診できていない患者さんもいる。このミスマッチが地域の大きな課題であり、何とかしないといけないと思いました。そこから、地域連携の仕組みづくりに取り組み始めたのです。

―それが、埼玉利根保健医療圏地域医療ネットワークシステム「とねっと」につながっていくわけですね。

最初は地域の医療機関向けに、糖尿病の教育プログラムを開講することから始めました。開業医の先生方に糖尿病知識をレクチャーすると同時に、参加する先生方が煩雑な手続きを踏まずに、患者さんを当院に入院させることができるようにしました。まるで自院の病棟に入院させる感覚で利用できるので、非常に好評でした。そこから開業医の先生方と顔の見える関係性をつくっていき、逆紹介も増やしていきました。また、逆紹介した患者さんには、必ず1年おきに合併症のフォローアップをする連携パスを作ったんです。

これまでに2000人以上の糖尿病患者さんを逆紹介していて、循環型連携パスによる連携診療は900~1000件は行っています。そうすることで、緊急入院の際の受け入れ体制が整い、開業医の先生方も不安なく、当院に入院させられるようになりました。これだけの規模で活用されている事例は、全国的に見てもあまりないと思います。

しかしこれは糖尿病の患者さんへの対応限定になってしまい、救急の問題には対応できません。また埼玉県内にも救急の連携を取れている地域がありませんでした。そのような体制構築を盛り込んだ地域医療再生計画を県に提出したところ、埼玉県から「とねっと」の話が来たのです。

「とねっと」では、医療機関を受診している患者さんだけでなく、全ての地域住民が登録可能です。そして登録者の情報は112医療機関で共有され、救急搬送や糖尿病重症化予防に利用されています。また、登録者自身もデータを見ながら健康管理ができたり、診察予約などに活用できたりします。「とねっと」の情報を用いて緊急搬送につながったケースは1300件を超えています。

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PROFILE

中野 智紀

社会医療法人JMA東埼玉総合病院

中野 智紀

埼玉県越谷市出身。2001年に獨協医科大学卒業、同大学越谷病院にて勤務を開始。2008年、社会医療法人ジャパンメディカルアライアンス東埼玉総合病院で地域糖尿病センター長に就任する。2012年には、地域医療ネットワーク「とねっと」の正式運営をスタートするとともに、在宅医療連携拠点推進室「菜のはな」を開設、室長となる。

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