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岩手に家庭医という選択肢を

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医師6年目の櫻井広子先生は現在、みちのく総合診療学センター(宮城県)で家庭医療を学ぶべく、後期研修を受けています。ここに至るまでには、仲間が見つからなかったり、思い描いているような研修が受けられなかったり、いくつもの苦労を経験されています。どのようにしてそれらを乗り越えてきたのでしょうか?

◆家庭医を志す仲間がいない
―家庭医を志したのは、どのようなことがきっかけだったのですか?

対人関係に悩んだ経験があり、セラピストやカウンセラーに興味がありました。ところが、高校3年生の時に進路指導の先生から「カウンセラーになるなら、精神医学を学んで医師になるのがいいのではないか」と言われたのです。当時私は文系でしたし、あまり腑に落ちなかったのですが、その割には思い切って理系に進路転換してしまって――。数学も苦手だったので当然受験までに勉強が間に合わず、浪人することになり、その時にもう一度自分のやりたいことを突き詰めて考えることにしました。

考え抜いた結果、身近な人の役に立ちたいことに気付き、それならやはり医師がいいのかなと考えていたところ、母から家庭医についての新聞記事を渡されました。それを読んで「この家庭医という仕事をやってみたい!」と素直に思い、医学部への進学、そして将来像が固まりました。

ところが大学に入学してみると、授業では家庭医療の影も形もなく、同様の想いを持っている同級生もいませんでした。そのため、卒業後は腎臓内科や血液内科に進むのもいいかもしれない、と考えていた時期もありましたね。

ただ、どうしても家庭医療を諦めきれず、「亀田ファミリークリニック館山」を見学させていただきました。すると、私が思い描いていた「家庭医療」が実践されていて、やはり、私はこういう医療がやりたいと気持ちを新たにしたのです。

ーただ櫻井先生は、家庭医療が有名な病院を初期研修先としては選びませんでした。その理由は?

当時まだ結婚していませんでしたが、夫が東日本大震災で被災した岩手県沿岸部で働いていたので、少しでも力になれればと漠然と思っていました。そこで、医師としての基礎を学ぶために「2年間研修をすれば、どんな田舎に行っても最低限のことはできるようになる」とうたわれていた岩手県立中央病院(岩手県盛岡市)で初期研修を受けることに決めました。


◆2人の医師との出会い
―そのような状況で、どうされたのですか?

日常業務に追われ、なかなか県外の勉強会に参加できる機会を作れなかったのですが、初期研修1年目の終わりに、岩手県内で開催された家庭医療・総合診療のセミナーに参加しました。これが1つの大きな転機になりましたね。

岩手県出身で、当時は米国に家庭医療の臨床留学をされていた大塚亮平先生(現・手稲家庭医療クリニック)が講師としていらして、私は仲間が見つけられないんですと、切々と訴えてしまいました(笑)。そうしたら「月1回くらいなら、オンラインで研修の振り返りをしてもいいですよ」とおっしゃってくださって――それが心の大きな支えになりました。同時に、インターネットがあれば地理的制限は関係なく学べることに気付きました。

その後、初期研修2年目に「若手医師のための家庭医療学冬期セミナー」に参加し、知り合いがいなくてウロウロしていたところを三浦太郎先生(富山市まちなか診療所)に声をかけてもらいました。現状を話すと「オンライン勉強会を立ち上げようとしているから参加しない?」と誘ってくださったのです。これを機に、家庭医療のコアを学び合う「はっちぼっちステーション」の活動に関わることができました。

はっちぼっちステーションでは現在、月1回オンライン上でポートフォリオ作成のためのディスカッションをしています。登録している医師は約100人程で、オンラインのディスカッションには毎回8~10人が参加しています。指導を受けたいけれども受けられていない専攻医と、後輩がいなくて指導できない指導医をつなぐ役割を担っています。

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医師プロフィール

櫻井 広子 後期研修医

神奈川県出身。2013年に秋田大学医学部を卒業、岩手県立中央病院にて初期研修修了。現在は、みちのく総合診療学センター(宮城県)にて家庭医療の専攻医として研鑚中。院外での活動としては、第13回若手医師のための家庭医療学冬期セミナー代表、はっちぼっちステーション運営メンバーなどの経験がある。

櫻井 広子
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