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地元を拠点に先駆者として築いていく 総合診療医のキャリアパス

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医師5年目の下川純希先生は、現在地元・山口県で総合診療の文化を築くために、臨床・教育・学会活動に精力的に取り組んでいます。その背景にあるのは、地元では総合診療医のキャリアパスが描きにくいと自分自身が感じた課題からでした。自身が総合診療医のロールモデルとなり、今後実現したい理想の社会像とは――?

◆身近な人のどんな悩みでも相談できる医師

―なぜ、医師を目指したのですか?

昔から社会や人の役に立つ仕事がしたいと考え、漠然と憧れた職業が医師でした。小さい頃から怪我や病気で、近くの病院へ受診することも多かったので、それも影響していたかもしれません。ただ、当初は近しい人に大学進学者や医療職がいなかったので、本当に医師になるなんて自分も含め周りの誰も信じていませんでした。憧れつつも現実味を抱けない中、高校2年生の時に担任教師の言葉に勇気づけられ、本格的に医師を目指すことになりました。

―中でも、総合診療医を志したきっかけを教えてください。

もともと、医師は「何でも診る」というのが当たり前だと思っていました。しかし、山口大学へ入学して実際に医学を学び始めましたが、その医師像に近づいている感覚はありませんでした。例えば、親戚や友人などの身近な人から相談を受けた時、自分はその相談にうまく答えられませんでした。医学部で学んでいても、結局身近な人の相談にのれるようになっていない――。その事実に違和感を覚え、「なんでも相談に乗れる医師になりたい」という思いが強くなりました。しかし、当時は総合診療医が具体的にどのような医師を指すのか、理解していませんでした。私は地域枠で入学したので、”地域医療”や”総合診療”といった言葉に触れる機会は多く、おそらくそれが近いものであると感じる程度でした。

また、当時は総合診療医に興味があると周囲に話しても、心配されてしまうことが多かったです。世間では総合診療が注目されていても、大学教育では総合診療医の具体的なイメージが湧きませんでした。そのため、キャリアパスは非常に悩みました。

◆山口県で、総合診療医のロールモデルになる

―キャリアパスに悩みつつ、初期研修先として沖縄県立中部病院を選ばれたのはなぜでしょうか?

総合診療とは何かという答えが見つかるかもしれないと思ったからです。全国から総合診療を目指す医師が集まる病院なら、自分のロールモデルとなるような人と出会えるかもしれない、そう思ったのです。実際、研修中には、総合診療医を目指すたくさんの同期や先輩、後輩と出会いました。患者さんへ接する態度や患者背景に踏み込む姿勢、大切にしている価値観に共感できる部分が多くありました。そういった中で、「自分の理想はやっぱり総合診療医なんだ。総合診療を届けることで、幸せに暮らせる人が増えるはず」と確信しました。

―その後は、母校の山口大学へ行かれたと聞きました。

そうですね。初期研修中に、母校で総合診療プログラムが立ち上がることを知りました。当初は母校に帰るか、それとも沖縄や他の地域で総合診療研修をしてから帰るかは本当に悩みました。ただ、私の目標は「地元に総合診療を届ける」ということだったので、そのために母校のプログラムが発展していくことは欠かせませんでした。自分がまず母校のプログラムで総合診療医の先駆者になり、その道を後輩たちに示していく、それが自分にとっても山口県にとっても重要であると考え、帰ることを決意しました。

山口大学に所属してから、その選択は良かったと実感しています。山口県が一体となって支援してくださり、地元・母校ならではのつながりの中で総合診療医として成長しています。県内での研修だけでなく、海外研修(米国・英国・シンガポール)や国内外での学会活動など幅広い活躍の機会を得ることができました。2020年2月には、日本プライマリ・ケア連合学会の主催する第15回若手医師のための家庭医療学冬期セミナーの代表を務めさせていただき、自身の大きな成長を感じています。日本全国や海外での活動の経験を通して、それまで意識していなかった日本全体での総合診療の発展という視点を持つようにもなりました。

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医師プロフィール

下川純希先生 専攻医

山口県出身。2015年山口大学医学部卒業。2017年には沖縄県立中部病院にて初期研修を修了。後期研修は母校の総合診療プログラムに在籍し、2020年3月修了予定。2020年2月には、日本プライマリ・ケア連合学会が主催する「第15回若手医師のための家庭医療学冬期セミナー」の代表を務めた。

下川純希先生
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