無医地区での活動
池ノ谷先生の現在の活動について教えていただけますか?
現在は、栃木県にある益子町で「どこでもクリニック」という診療所を開業しています。それと同時に「巡回診療」を行う事を目標に、その仕組みづくりをしている最中です。
「巡回診療」というのは、無医地区(半径4km以内に50名以上居住している地域で、医療機関がない、もしくは容易に利用できない地区)で、地域にある集会所などを診療所の代わりにして、医師が巡回するスタイルの診療です。
これまでは、医療と言えば病院・診療所に行くのが当たり前で、医師は待っているだけでした。
ところが、医師が居ない僻地では、最寄りの診療所までの交通手段が限られていたり、高齢の方は一人で通える距離でなかったりする為に、病院に通えなかったり、診療途中で足が遠のいてしまうことも大いにあります。これを解決しようと思い、巡回診療をしようと思いました。
手遅れになる前に助けたい
巡回診療をやろうと思ったきっかけはなんだったのですか?
私は、阪神淡路大震災がきっかけで「困っている人を助ける仕事をしたい」と思い、医師になりました。
医師3年目の時に、自治医科大学付属病院に入ったのですが、働くうちにより広い世界を見たいと言う気持ちが強くなり、上司に直談判をした結果、1年間休職し、多摩総合医療センターの救命救急診療科で勤務することになったんです。
救命救急で働いていると、「一度でも診察に来ていれば、救急車で運ばれずに済んだのに」と思う人にたくさん出会いました。彼・彼女らは、自分の身体の異変に気づいているものの、様々な事情で病院に行かなかった為に重症化して、運ばれてしまったという場合が多いのです。
一般外来で診察をしていた頃にも、1~2回診察に来ると、忙しい、お金がない、面倒だ、遠いなど様々な理由で、それ以降来なくなってしまう人が何人もいました。この2つの経験から、「待っているだけではアプローチできない人がたくさんいる」という事を肌で感じ、そういう人たちの病気の予防をしたいという思いが強くなったんです。
そうなのですね。それで、すぐ行動を起こしたのでしょうか?
いえ、待っているだけではアプローチできない人達の病気を予防したいと思いながらも、行動を起こせぬまま、1年の派遣期間から戻りました。そして、自治医科大学大学院で研究を行いました。
しかし、自ら志願して救命救急センターに行き、技術と経験を身に付けたのに、大学病院で研究をしている自分に納得できず、「困っている人を直接助けたい」という医師を目指した時の気持ちがくすぶっていました。
そんな時にスティーブ・ジョブズ氏の名言集を読み、その中にあった、「明日死んでもいいような生き方をしているか」という文章に感銘を受けました。そこから、やはり自分のやりたい事をやろうと思い、動き始めたんです。
どのように活動しはじめたのですか?
最初は「忙しい」「時間が合わない」と言う理由で病院に来られない人たちに向けて、夜間診療を行おうと考えていたのですが、この先の日本の状態を考えた時に、夜間診療よりもすべき事があるのではないかと思い始めたんです。
例えば、少子高齢化による人口減少により、町の診療所が減り、医療の地域格差がますます広がったり、そうなる事で病院に行く手段が無い高齢の方が更に病院から遠のいてしまったりする可能性もあります。そういった所にアプローチできる事は何か、と考えた時に、巡回診療という案が出てきました。
巡回診療を行うために動き始めると、医療制度上、無医地区でないと実施できない事がわかりました。
その為、茨城県や栃木県の様々な地域を周って、村役場などに交渉したのですが、なかなかうまくいきませんでした。
それでもあきらめずに活動していた結果、ご縁があって益子町が受け入れてくれたのです。
昨年の9月に「どこでもクリニック益子」という内科のクリニックを設立し、現在は地域に巡回診療が本当に必要なのか検証作業中です。
益子町には「デマンドタクシー」という電話予約をすると家から益子町内の目的地まで運んでくれる乗り合いタクシーがあります。車を運転出来ない患者さんはデマンドタクシーを使用して診療所へ来てもらっています。
一方で、デマンドタクシーは自治体間を横断できないため、眼科などのその町にない診療科を受診することはなかなか困難です。
現在、他の自治体の眼科医の協力をあおいで「どこでもクリニック」内で眼科の診療をしてみて、デマンドタクシーで用が足りるか、それとも私達が巡回診療をする方がよいのか、地域の実際のニーズを調べるところから始めているところです。
巡回診療の先
先生の理想のスタイルとはどのようなものですか?
最初は巡回で医療を届けようとだけ思っていましたが、活動するうちに、医療だけを届けても何もならないと思うようになりました。仮に巡回診療で眼科を届けられるようになっても、本当の意味での「町の健康度」は上がらないのではないかと私は思っています。
なぜなら、私が大学病院や救命救急で見て来た、「危険な状態になる一歩手前の人」というのは、大抵、地域のコミュニティの輪から漏れている場合が多いからです。
益子町はまだ様々なコミュニティ残っていますが、その中でも、日中ずっと縁側で外を見ながら一人で過ごしている人や、支援が必要だけど見いだされていない人がいます。そういう人が1年後、認知症になったり、要介護状態になったりするのです。
もちろん行政でもそういう人たちに対応しているはずですが、更なる働きかけをしないと、病院に来た時には遅いという場合があります。
今は、町の健康度を上げる為に本当に必要なのは、巡回診療を基点にしたコミュニティ作りではないかと考えています。
巡回診療をした場所でコミュニティを作り、生活改善の教育をしたり、「道の駅」のように物販を行ったり、老人会も一緒に開催したりなど、様々な活動が同時にできる場所として機能させ、患者さんだけでなく、病気でない人も、子どももお年寄りも集まるような場所にしたいと思っています。
医療は人を集めるコンテンツの1つという風に捉え、そこに色んな人を「集める」のではなく、「集まってくる」場にするのが理想です。
現在、厚生労働省が進めている、「地域包括ケアシステム」では、団塊の世代が全て75歳以上になる2025年までに、高齢者の生活の自立支援と尊厳の保持を目的に、住み慣れた地域の30分圏内に医療、介護、予防、生活支援といった、支援体制がある地域作りを計画しています。
私が考えている巡回診療も、まさにその形に近いものだと感じています。
ただ、それは私達が「やりたい」という個人的な思いだけでやってはいけないと思っています。この活動が、将来的に本当に必要な事なのかを常に見極める視点を大切にして、これまで地域で頑張ってきた行政や医師会の先生方とも協力しながら進めていきたいと思っています。
その為には、越えるべき壁が色々とあるのですが、「黙っていても環境は変わらないが、行動に移すと変わる」という、これまでの経験で身に付けた教訓を生かして、頑張っていきたいと思います。
ライター・インタビュアー/片岡修平