高齢者に起きている現実と老年医学
先生はなぜ高齢者専門のクリニックをされているんですか?
それは、子どもと成人の病気が違うように、成人(若年者)と高齢者の病気は全く違うからです。若年者は、体力もあり各臓器も若いので、不調を感じてもその部分だけ治療すれば、また元気になっていきます。多くの場合、健康か病気かのどちらかの状態に分類することができます。
しかし、高齢者は加齢に伴い全ての臓器が弱って、身体機能が低下しているので、一度どこかが悪くなると、全体にその影響が広がってしまいます。
例えば、加齢によって血管が硬くなって脆くなったり、肺活量が減ったり、骨密度が下がったりすることで、高血圧や、糖尿病・心臓病などにかかり易くなります。それ以外にも、認知症・老年期うつ・めまい・耳が聞こえにくい・転倒・目が見えにくいなどと言った高齢者特有の症状にもつながります。そうなる事で、健康でも病気でもない「虚弱状態」と呼ばれる高齢者が増えているのです。
それ以外にも、老いによる社会的・心理的ストレスが、高齢者をとても苦しめています。
白髪・しみ・しわなどと言った外見の変化に加え、一人でうまく歩けない、物忘れが激しい、トイレに行けない、などと言った、今まで出来ていた事が出来なくなる悲しさがあります。また周囲から、年寄り扱いされたり、虐待を受けたりすることもあります。それ以外にも定年退職による孤独感や、家族、友人の死など、高齢者の周りには、若年者が思っている以上に様々な事が起こっているのです。
それゆえ、どこか一ヶ所調子が悪いと言っても、高齢者の場合は問題が複雑に絡んでいるので、それに合った診察を行う必要があるのです。
先生の専門である老年医学とは、どのようなものですか。
老年医学とは、様々な問題が複雑に絡み合っている高齢者に対して、症状が出ているところだけを診るのではなく、その人の人生観や家族背景など社会的な部分も含めて全てを診るというものです。
病院での治療と言えば、症状が出ている箇所、臓器に対してアプローチするのが一般的ですが、老年医学ではまず患者さんのお話を聞くところから始まります。
例えば「何となく調子が悪いので、色んな病院に行き、様々な薬を飲んでいるがすっきりしない」と言われてお話を伺っていると、実は飲んでいる薬の副作用で体調が改善していない場合などがあります。
また、先ほどの通り、高齢者の症状には医学的な問題だけでなく社会的な問題も関連しているので、気持ちのストレスが身体に影響を及ぼしている場合もあります。「足が痛い」と言って来られた患者さんの診察をしていると、実は前日に娘さんとけんかをした事が原因だったりもするのです。
アメリカでの発見 『病気を診るのではなく、人を診る』
そもそも老年医学の道に進むきっかけは何だったのでしょうか
私が医師になった当時、それまで主流だった「臓器ごとに細分化しすぎた医療」から、人全体を診る「総合内科」が注目されだしました。私もその分野に興味を持ち、6年間総合内科医として働いていました。
そんな中、検査の数値は良好で、体調も安定しているので「いいですね」と言って帰した患者さんやその家族が、何となく不満そうな様子で帰って行く事があるのが気になっていたんです。
何でなのかとずっと疑問に思っていたのですが、その当時は分からないままでした。
更なる知識や経験を積もうと思い、アメリカ留学をした際に老年医学と出会って、やっとその意味が分かったのです。
それは、患者さんが求めているのは、検査の数値が良いという話ではなく、きっと「身体がだるい」「元気がない」「よく転ぶ」といった、病気ではないけれど日常生活で困っていることや、介護の悩みなどへのアドバイスや理解だったのです。
老年医学の研修を受ける中でそのことに気づき、目からうろこが落ちるようでした。
アメリカでは老年医学がとても発達しており、病気や臓器を診るのではなく、「その人」を診るという考え方が確立しています。
研修を受けていたミシガン大学の老年医学センターでは、高齢の患者さんのそれぞれのニーズに対して、老年医学の専門医だけでなく、高齢者に起こりやすい疾患の専門医や、看護師、薬剤師、理学療法士などがチームとなって対応していました。
当たり前の事なのに実際は全く理解をされていない「老い」へアプローチする老年医療にすっかり魅了されてしまい、今に至ります。
「老い」は”治る”ものではない
日本における「老い」との向き合い方は?
日本に帰ってきて感じるのは、「老い」への関心がとても低い事と、多くの人が「老いは治せるものだ」と期待している事です。
老後に関する本や特集の多くは、健康に生きる方法などの一方「平穏死」など本当の終末期のテーマのみで、その間にある「老い」は見落されがちです。それは、これまで「老いる事を嘆く=恥ずかしい」と思う風潮があったからではないかと思います。そのため「老い」は注目されてきませんでしたが、実は昔から多くの人がこの部分で苦しんでいたのです。
また一方で、日本は戦後、高度経済成長と共に科学技術も著しく発展した結果、かつて死に至る多くの病気を治療可能にしてきました。それにより多くの人が、老いですらいつか科学の力で治療できるという風に思っているのではないかという気がします。
現在、様々な種類のサプリメントが販売されたり、認知症の進行を遅らせる薬の開発なども進んだりしていますが、完全に老いを克服できるものはありません。
老いは治るものだという希望を持ち続けると、普段の生活において失望する事の方が多くなってしまいます。そうではなく、高齢者に寄り添い、一緒に現実に向き合って老いのプロセスを受け入れてゆく状態を作る必要があると思います。
例えば、高齢者の多くは、尿漏れ・物忘れなどと言った普段困っている症状は自分だけに起こっていると思いがちなので、なかなか相談できず一人で悩んでしまいます。そんな時に、「それは自然な事なんですよ」「実は、他の人も悩んでいるんですよ」と声をかけてあげるだけで、気持ちが楽になったりもします。
そこから、一人ひとりに合った新たな希望を見出せるようなサポート体制を、日本全体で作っていくと、ますます良くなるのではないかと思います。
今後の展望を教えてください。
「老い」という部分にもっと光を当てたいと思います。
近年、高齢者人口が増えた事やインターネットの発達によって、これまでタブーだと思われてきた、老いへの恐怖を口にできるようになってきました。実際90歳代の方でもブログを書いたり、書籍を出版されたりして、社会的にも注目されてきています。
それによって「老いを怖いと思うのは自然なことなのだ」という事を知ってほしいですね。
私も、広く一般の人に、「老い」について知ってもらうため、本を出版したり、市民講座でお話をしたりしています。高齢者の不調は若年者のものとは違い、病気だけに焦点をあてても解決しない可能性がある事や、身近にいるおじいちゃん・おばあちゃんのちょっとした不調や、何気なく言っている言葉の後ろには、様々な問題が複雑に絡んでいるかもしれない、という事を知ってもらえればと思います。その上で高齢者とどのように接するか、またやがて自分にも来る「老い」をどうやって受け入れ、向き合うかを考えてもらえると嬉しいですね。
更に、超高齢社会に突入した日本だからこそ、医療者の高齢者診療のレベルを上げる事も重要だと感じています。現在老人ホームで診療を行う中で、入居している高齢者たちが、一緒に生活することでお互いに「老いる」とはどういう事かを学んでいるのに気づきます。もちろんそれは、私たち医療者も同じです。そういった老人ホームならではの特徴を活かして、高齢者や医療者だけでなく、誰でもここで勉強すれば、一定の高齢者ケアの知識や技術が身につくようなフィールドを作っていきたいと考えています。
それは1、2日の研修というものではなく、年単位で高齢者に寄り添うことで身につくものだと思っています。実際に欧米には大学病院附属の老人ホームがあり、そこで研修が行われている所もあるので、日本でもそういったフィールドを作り、教育センターとして発展させてゆきたいですね。
私たちの活動だけでなく、他国に例を見ないスピードで高齢化が進む日本だからこそ、世界のお手本になるようなシステムを、社会全体で作っていきたいですね。
ライター/松澤亜美 インタビュアー/松平彩芳