多様なキャリアを歩む
医師としてのキャリアから一旦外れ、ハーバード大学公衆衛生大学院に留学をし、更にそこからコンサルタントとして働かれた経緯を教えてください。
留学を決める前は、都内の総合周産期母子医療センターで常勤医として働いていました。そこでは、積極的に救急搬送を受け入れていたので、出産の際に起こるトラブルによって運ばれてくる患者さんを多く見てきました。出産の際のトラブルは時間との勝負です。一分一秒を争って処置をしなければ、患者さんの命に関わります。
しかし、まず病院に運ばれる段階で、ベッドに空きが無かったり、手術室が空いていなかったりして、受け入れ先がなかなか見つからない場合が多くありました。これはもはや医師の力だけではどうしようもない状態です。
こうした現実を目の当たりにして、「医療全体のシステムを変えたい」と強く思うようになりましたが、当時の日本では医療をシステムで捉えて学ぶ場所がまだ十分にありませんでした。
そこで、特に医療政策に力を入れていたハーバード大学に留学することを決意したんです。
ハーバード大学では医療政策を学ぶ他、中国の農村部へ視察に行き、医療改革の提案をまとめる活動にも参加しました。また、他大学院の単位を取ることも出来たので、ケネディスクールやロースクールで行われていた医療関係の授業を取って、医療を様々な観点から勉強しました。同級生にはチベット亡命政府の首相になった人や、中国の共産党政府から派遣されてきた人々もいて、とても刺激的な環境でした。
また、アフリカで母子保健プロジェクトを立ち上げ何万人ものお母さんと赤ちゃんの命を救うキャンペーンに参加するなど、マクロの視点で医療政策を学んだことで、それを実践する場が欲しいと強く思うようになっていた時に、マッキンゼーの活動を耳にしたんです。
医療とコンサルタントとは一見何の共通点もなさそうですが、マッキンゼーでは開発途上国の医療制度改革に携わっていると聞き、ぜひそのプロジェクトに参加したいと思いました。
また企業コンサルタントとして、木の枝の部分を見るのではなく、森全体を見て問題を改善するプロセスを学べば、医療の現場において応用できるのではないかと考え、マッキンゼーで働くことを決意しました。
※富坂先生とは異なるケースですが、医師からで外資金融、コンサルトにキャリア転出。
東洋経済オンライン記事(http://toyokeizai.net/articles/-/13882)
実際に働いてみて、何か変化はありましたか。
コンサルタントとして働いたことで、医療を見る目が変わりました。
マッキンゼーでは、全く専門外の業界のプロジェクトに参加する事があったのですが、これは専門でない者が現場に入ることで、その分野の慣習や思い込みにとらわれずに問題を見ることができるからです。
医師は職人の世界なので、どうしても狭い世界になってしまいがちです。しかし、一旦医療の世界から出たことで、フラットな視点で医療の現場のどこに問題点があるのかが見えるようになりました。
また、現場でのコミュニケーション方法が変わりました。一般的に、医療者と患者さんの間には知識や認識の差が大きい事がよくあります。そのギャップを埋める為に、概要からまず話し、順を追って詳細を説明したり、話を聞く相手の立場に立って話を構成したりするようになりました。マッキンゼーで培ったこの説明法が、医療の現場で、患者さんに病状や今後の治療方針を説明する際にとても役に立っています。
キャリアチェンジに戸惑いや迷いはなかったですか?
特に迷いはありませんでした。留学を決めた時にも感じたのですが、「これだ!」と思ったら、色々思い悩まずに飛び込んでみる思い切りが非常に大事だと思います。
日本で医師という立場であれば、「医局から離れてしまったらやっていけないのでは」、「留学をしたら、今後医療の現場に戻れないのでは」と思ってなかなか留学やキャリアチェンジに踏み切れないことが多いと思います。
しかし世界に目を転じてみれば、医師でありながら、コンサルタントの仕事や芸術分野の仕事をしている人も多くいます。医療は臨床の現場が大事なのはもちろんですが、それ以外の様々な分野から貢献することもできると思います。
私の経験をお話すると、留学前に医局を辞め、当時は専門医の資格もなく、非常に中途半端な立場でした。しかし「留学する!」と決めてから短期間でしたが、必死に準備をし、様々な課題をクリアした事で、コンサルタントとしての新しいキャリアや、やりたい事に出会えました。
だから、最初にそれほどロングスパンでキャリアプランや将来の展望を決められなくても、どこかに自分を受けいれてくれる場所があると思って、思い切る事、そして目の前の目標に対して一生懸命向き合う事が大切だと思います。
女性の医療の今後、どう向き合うか
現在はどんな活動をされているのですか?
現在は、産婦人科医として不妊治療や産科救急に携わっています。
それまでは不妊治療を専門に、妊娠を望む女性へのサポートを行っていましたが、妊娠を成立させるだけでなく、その後のフォローもトータルで行う必要があると考え、産科救急も併設された現場で医療に取り組んでいます。
※日本では、6組に1組のカップルが不妊だと言われ不妊治療の需要が大変高まっています。その為クリニックの数も世界一です。(日本:約600、米国:約500、中国:約300) 体外受精・顕微授精の高度生殖医療の治療件数も日本は年間21.3万件と世界トップであり、新生児の40人に1人は体外受精児という時代なのです。(出所:日本産科婦人科学会、厚生労働省)
医療の現場以外では、ハーバードで学んだ事を活かし、現政権が行う女性の健康の包括的支援プロジェクトの講師をしたり、医療政策に関する活動に積極的に関わったりしています。他にはテレビ番組でのコメンテーターや本の執筆、雑誌で対談に参加したりもしています。
【主な講演・イベント実績】
マタニティ&ベビーフェスタ2014 パシフィコ横浜特別講演
高知県女性医師応援セミナー(高知医療再生機構)
自由民主党政務調査会 女性の健康の包括的支援に関するプロジェクトチーム 講師
長野保健所「身近なことです、性感染症。思春期の現状と支援者にできること」
東京ドームシティ きずなアートフェス トークショー
消費者特別月間特別講演「食の安全を考える」-放射線と食の安全-
関東連合産科婦人科学会総会 女性医師支援企画 講師
【その他の主なマスコミ活動】
「サンデースクランブル」コメンテーター(テレビ朝日)、「情報プレゼンター とくダネ!」コメンテーター (フジテレビ)「きらきら研修医」(医療指導/脚本/TBS)、「佐々木夫妻の仁義なき戦い」(医療指導/TBS)、「だいすき」(医療指導/TBS)、「息もできない夏」(医療指導/TBS)
産婦人科医として、今後の展望をお聞かせください。
医療の現場の経験と、医療以外の経験を活かして、女性への医療をトータルにサポートする活動やシステム作りに携わっていけたらと思います。女性の医療と言うと「妊娠・出産」に注目が行きやすいですが、女性が長く生きていく上では「更年期・更年期後」の時期も非常に重要です。こうした時期のサポートにも産婦人科が関われるシステムを作っていきたいです。
また、妊娠を望む女性や妊婦さんの意識改革も進めていけたらと思います。
今は「妊娠・出産」に関する情報があふれていて、そうした情報に振り回されてしまい、現場の医師と患者さんの意識に隔たりがあるケースがあります。
例えば、私が専門としていた不妊治療の体外受精は、現在技術レベルも非常に向上していますが、残念ながら成功率はまだ2-3割であったり、肉体的・精神的、また経済的にも負担が大きかったりします。
幸い妊娠が成立しても、出産までに妊娠合併症を引き起こす可能性が高いのですが、その辺りはあまり知られていません。
「卵子の老化」や「芸能人の高齢出産」などの情報を見て、患者さんが必要以上にナーバスになってしまったり、逆に妊娠する事をとても安易に考えてしまったりするケースがあるので、そうした意識のギャップを埋めるのも課題だと感じています。
これからは多くの人に関わる医療システム作りに積極的に関わって、患者さんはもちろん、現場の医師も含めみんながハッピーになるお手伝いができればと思っています。
最後に読者へのメッセージをお願いします。
「妊娠・出産」は女性の大きなイベントと捉えられがちですが、実は男性のサポートが非常に大切です。妊娠・出産を通して、女性は肉体的にも精神的にも変化が大きく、時に不安定になることもあります。そんな時、パートナーである男性の協力が非常に重要になるのですが、そうした意識を持つ男性はまだ多くないようです。
また、不妊治療や出生前診断を行う際も、安易に考えず、どこまで行うのか・結果に対してどう対応するのかなどを、二人でよく相談してほしいと思います。「産婦人科はカップルで受けるもの」という考えが浸透していってほしいですね。
ライター・インタビュアー/山岸 祐子・佐藤 亜梨沙