患者さんの要望を大切にする
-現在の活動内容について教えていただけますか?
1年半前の2014年5月、神奈川県相模原市にさがみはらファミリークリニックを開業しました。現在は、常勤医2名、非常勤医2名で外来診療と訪問診療をメインに行っています。
外来診療では、午前中はご高齢の方や小さなお子さんや主婦の方、午後は学校帰り、幼稚園保育園帰りのお子さんを多く診ています。訪問診療は、副院長の春日 信弘先生に1日に12〜14件回ってもらっています。私は午前と午後の外来診療の合間に4,5件程回っています。あとは「急にご飯が食べられなくなって病院にも行けないからとりあえず来てほしい」といった依頼も時々来るので、往診も可能な限り受けています。
-診療していく中で、特に意識していることはありますか?
地域の方に必要とされるクリニックにするために、とにかくよく患者さんからの声を聞くようにしています。私も副院長もこの地で勤務をしたことがなかったので、患者さんゼロからのスタートでした。しかし、この地域の人々に必要とされるクリニックであれば診療を続けていけると思っていますので、患者さんからの要望は外来診療の際にもよく聞くようにしています。
患者さんの声を聞くことで実際に変わったこともあります。それは診療時間です。当初は訪問診療に重点を置こうと思っていたので、午後の診療時間を17時までにしていました。しかし、「仕事帰りに寄れない」という意見が多かったので、開業後に診療時間を18時までに伸ばしました。
また開業当初は予想していなかったのですが、小児科領域も診ています。もともと私は皮膚科医としての大学病院勤務と訪問診療の非常勤勤務が長く、その後総合診療科に転科したので、クリニックとしては内科と皮膚科を標榜しています。ところが、皮膚科で0歳のお子さんを普段診ていますと、ちょっと風邪をひいたとか熱が出たといった時に、「地域の小児科にかかるとすごく時間がかかるから、一番近い先生に診てほしい」と来られるのです。
最初は「小児科は専門ではやっていないので……」とお話していましたが、今はいらっしゃったらまず私が診て、分からない場合やもう少し詳しい検査が必要と判断した場合は、改めて小児科の先生に診てもらうようにしています。これも、患者さんに必要とされるクリニックであることに加えて、地域医療への貢献を目指すがゆえです。
父が望んでいたものを他の患者さんに提供したい
-医師になった頃から、地域に根差した開業医を目指していたのですか?
実は医師になりたての頃、開業は全く考えていませんでした。ずっと病院の勤務医としてキャリアを積んでいこうと思っていたのです。
そもそも医師の家系でもなかったのですが、高校時代のアルバイトで身体不自由な方に接する機会があり、医学部への進学を志望し、東京医科大学に入学しました。当初は外科系でがんの患者さんを治したいと思っていましたが、臨床実習を経験して、赤ちゃんから高齢の方まで診られる科に行きたいと思うようになりました。そこで最終的には、全年齢層の幅広い疾患をみることができ、外科手術を含めた治療を行うことができる皮膚科を選びました。
ところが、皮膚科医として東京医科大学付属病院で働き始めて、ある疑問が出てきました。それは、「大学病院で患者さんは安心して入院治療を受けられているのか」ということでした。主治医として一人の患者さんに接している時間はごくわずかしかなかったので、そのような状況で患者さんは果たして安心できているのかと疑問に思いました。このとき、本来の医療とは、まず患者さんと密にコミュニケーションを取って信頼関係を築いた上で、提供するべきものではないのかと思いました。そこから「医療の本質を実践できているのは訪問診療なのではないか?」と考え、医師3年目から都内の訪問診療クリニックに週一回、非常勤として勤務を始めました。
他にも東京医大病院からの出向で週1回、福島県の病院にも行っていて、そちらでも訪問診療に携わる機会がありました。さらに、さまざまなことを経験したかったので、医師になって5年目からは東京大学大学院薬学研究科で基礎研究もしていました。基礎研究を始めたきっかけは、医師になりがんの患者さんの診療を通して、治療の甲斐なく多くの患者さんをなくした中で、一人でも多くの患者さんを治してあげたいと強く思ったからです。特にがんの中でも皮膚がんの悪性黒色腫は非常に予後が悪く、かつ治療も確実に効くものが多くありませんでした。そのため、新しい治療法を見つけるか、原因を究明できればと思い、臨床を行う傍ら研究も行っていました。
-そのように皮膚科医として経験を積みながら大学病院外でさまざまな経験をなさって、どうして開業しようと思ったのですか?
東京医大病院と福島県の病院、そして都内の訪問診療クリニックで診療に従事しながら、研究でも一つ論文にすることができました。そしてこの先、大学病院で勤務しながら学生の教育もしていくか、研究をさらに発展させていくか、どのようなキャリアを形成していこうかと考えていた矢先、父に末期がんが見つかったのです。父は大学病院に入院していたのですが、最期は家に帰りたいと何度も言っていました。しかし、当時実家のある千葉県浦安市では安心して訪問診療を頼めるところがなく、父の願いは叶えられなかったのです。そして半年後、父は病院で亡くなりました。
私はその時訪問診療クリニックで多くの方のお看取りをしていたにもかかわらず、自分を育ててくれた父の最期を、父が望む自宅で看取ることができませんでした。「自分は医師で、しかも訪問診療をしているのに、一番大切な家族の望むことを何もしてあげられなかった……」という悔しさがこみ上げてきました。それならば、さまざまなキャリアの可能性があるけれども、父と同じような思いをしている方々が望んでいるものを提供していこうと思い、開業を決めました。
総合診療の実践現場としてのクリニック
-そこでなぜ相模原市にしたのですか。
当初、候補地としては当然実家のあった千葉県浦安市や、東京医大の先生が多くいらっしゃる地域も考えました。しかし、ほとんど行ったことのない、何も知らない場所である神奈川県相模原市を選びました。
私は、医療は一方的に患者さんに押し付けるものであってはいけないと思っています。この地には訪問診療が必要だとか、この地は医師が少ないから新しいクリニックが必要だと、医師である私たちが思っていても、地域住民が望んでいなければ不要ではないかと思います。この何も知らない土地で、自分の考えている医療が地域に望まれるのであれば診療を続けていけると考えました。
-今後の展望を教えていただけますか。
一つは、訪問診療に力を入れていきたいと思っています。相模原市には大学病院と基幹病院が合わせて3カ所あり、がん患者さん、神経疾患の患者さんが集中しています。しかし、病院から自宅に戻りたくても訪問診療をしてくれる診療所がないので自宅に帰れないという話が多数聞かれます。そのため依頼があれば可能な限り訪問診療を受け入れていきます。
訪問診療の役割は医療の提供以外に、在宅で生活を続けていくための健康支援が重要です。そのためには、生活を支援するケアマネージャーの役割が非常に重要です。私たちからの医療の押し付けではなく、ケアマネージャー主体で私たちは医療面のサポートをしていくという形で連携しています。
また、訪問診療の際感じるのは、認知症患者さんが増えていることです。認知症は加齢の中でどうしても起こりうることです。認知症患者さんは、治療と同時に生活環境を整えてあげることが大事ですので、介護職の方、さらにはお隣の方が見てあげるという地域の支援が大切です。
今年になって、相模原市医師会からの推薦を受けて認知症サポート医に任命されました。そのため、医療と介護の連携を円滑に進めていくための勉強会で講師を務めたり、地域のかかりつけ医の認知症知識向上研修の講師を務める予定です。
二つ目として、このクリニックを総合診療医の研修育成現場としていきたいです。
相模原市は開発が進む都市型の地域と、車移動がメインの田園地帯が広がっている地域が混在している地域で、クリニックを構えている地域は車がないと生活が難しく、地方と同じ問題を抱えています。一方、4,5キロ先の橋本という地域周辺では開発が進み高層マンションや商業施設が多く建っています。それによって今後、都市部が抱えている問題が出てくると思います。その両方の問題に向き合い、医療を提供しなければいけません。
このような環境にクリニックがありますので、都市型、地方型両方の医療を提供するロールモデルを作っていきたいと考えています。そうすることで、都市型、地方型訪問診療のどちらも経験することが体験でき、かつ都心からも電車で1時間弱の距離にある、このクリニックで若手の総合診療医に経験を積んでもらいたいと思っています。現在も東京医科大学病院の総合診療科から2名の非常勤医が来てくれています。この流れをさらに加速して地域医療に貢献できればと考えています。
インタビュー・文 / 北森 悦