外科医を触発した一言
―秋田県内の病院で外科医として勤務されていたところから一転、在宅診療専門クリニックを開業された経緯を教えてください。
私は秋田大学医学部を卒業してから約13年間、秋田県内の病院で一貫してがん手術のトレーニングを積んできました。数千例の手術を執刀し、外科医としてのスキルにある程度の自信を持っていましたが、10年目を過ぎて後輩に指導する立場となった時、「果たして自分の技術は標準的なのか」という思いが湧いてきました。そこで、改めて医学や手技を学びたいと思い、大学病院に戻りました。
ところが大学病院で気づいたことがありました。それは「大学病院は、治せないものを治すことを突き詰める最先端の医療を行う場。自分が極めたかったのは、今治せるものの手術を洗練させること」ということ。自分の希望が叶う医療機関を探し見学していきましたが、多数の医療機関を見たからこそ、手術では治らない患者さんが少なくない現実を目の当たりにしました。
自分が今まで執刀してきた数千例全ても見直してみると、およそ1/3の患者さんは進行がんや再発がんで化学療法を用いても比較的早期に亡くなっていることが分かりました。「手術しても1/3の患者さんは効果的に救えない」という事実を目の前にし、「手術以外の医学で1/3の患者さんに何かできることはないのか」と考えたのがきっかけです。
―手術をしても亡くなる患者さんが1/3いる事実を知り、在宅医療で何かできることはないかと考えたということですか?
恥ずかしながら当時の私は、「在宅医療は医学の負けであり、医療が何もできない人たちが行きつくところ」と考えていました。ところが色々と模索しているうちに、宮城県仙台市と岩手県盛岡市で在宅診療専門のクリニックを見つけたのです。そして盛岡の往診クリニックを3日間見学し、考え方が180度変わりました。
我々外科医は、ある程度の予後予測ができるように経験を積みます。しかし在宅診療の患者さんについての予後予測は大きく外れ、しかもほとんどの場合が見立てよりも延びるのです。たった3日程度しか見学していませんが、このことには驚きました。
見学させていただいたクリニックの医師に「秋田県では、がん末期の患者さんは自宅には帰れないんです」という話をすると、「秋田はそんなに遅れているの?」と言われてしまいました。その一言に触発されて「だったら私が作ります」と宣言、開業準備を全て一人で行い、半年後には秋田往診クリニックを立ち上げました。
秋田市内の総合病院に「入り込む」
―秋田市初の在宅診療専門のクリニックの立ち上げるにあたって苦労したのは、どのような点でしたか?
1点目は、秋田市にも在宅医療を進めたほうがいいという雰囲気はあって訪問看護師やケアマネージャーはいたものの、在宅医療を促進させていく土台が作られていなかったこと。2点目は、以前の私のように「在宅医療は医学の負け」という認識を持っている病院の医師が少なくなかったことです。そのため、秋田市内に在宅医療を定着させるべく在宅医療従事者の基盤をつくることと、病院の医師が積極的に患者さんを地域に帰してくれるよう働きかけることに力を注いできました。
1点目の基盤づくりに関しては、在宅医療の第一線で活躍できる人たちを有機的につなげるための「At home」という会を、毎月決まった曜日に開いてきました。1番の目的は集まること。そして、せっかく集まるならお互いの悩みを持ち寄って話しましょうということで事例検討会という形に落ち着きました。
月によって変動はありますが、毎回30~50名の方が参加していて、毎年行っている納涼会と忘年会には140~150名の方が参加しています。ケアマネージャーや看護師以外にも、行政の方やマスコミ関係者、弁護士の方もいます。弁護士の方には、成年後見人制度に関係する事例などについて専門的なアドバイスをもらえるのでとても助かっていますね。
現在は在宅医療従事者間に「At home」が定着してきたので、運営リーダーをケアマネージャーに委譲しました。医師主催だと、どうしても他の職種の方からの意見が出にくくなってしまうので、医師はスーパーバイザーのような立場で参加しています。やはり、ケアマネさんが中心になったことで、自由闊達な意見交換がなされていて、第二フェーズになったと感じられています。
―2点目の病院の医師の認識を変えることは簡単ではありませんよね。
そうですね。開業後10年経った今でも、「在宅医療とはどういうものか」を知ってもらうという段階です。ただ、今行っている取り組みを、ゆくゆくは病診連携につなげていきたいと考えています。
取り組んでいることは2つ。まず、秋田市の大きな病院に出入りする回数を増やし、病院の医師との接点を増やすこと。私が病院に入り込むことで、病院の医師と徐々に顔見知りの存在となり、診療での相談をできる関係になり、私が在宅診療専門のクリニックを運営しているということで、少しずつがん患者さんの退院支援に関する相談を持ち掛けてもらえる関係性が出来上がります。そうすることで、少しずつ在宅医療への理解を深めてもらい、退院できるがん患者さんが増えていきます。
―「入り込む」というのは、具体的にどのようなことを行ったのですか?
1つは、手術の助手をさせていただいています。さらに他の病院では、在宅療養支援外来を病院に設けてもらい非常勤医としてその外来を担うことで、直接、退院支援を含めた積極的な在宅医療の支援をしています。その他には、栄養サポートチーム回診や緩和ケアサポートチーム回診、退院支援チーム回診にも参加させてもらっています。
市内の各中核病院で今挙げたいずれかを実践することで、それぞれの病院へ毎月数回ずつ出入りすることになります。そうすることで、先程も言ったような病院の医師との関係構築が可能になると考えています。
今は私個人と病院の医師との関わりの中で在宅医療とはどういうものか知ってもらい、理解してもらえた医師から徐々に退院患者さんの紹介を受けていますが、より組織立った病診連携へとつなげていくつもりでいます。
外科医だからこそ、在宅医療でできること
―市原先生は、外科医が在宅医療に取り組む利点はどのようなところにあると感じていますか?
外科医として、手術で医療の最先端に取り組んできたという自負があることが大きいと思っています。「やろうと思えば、最先端の医療を提供できる。“やれない”からやらないのではなく、QOLをあげるためにあえて“やらない”」。外科医だったからこそ、このような選択ができていると思います。
病院では、「生きるために治療している」のか、「治療のために生きている」のか分からない状況に置かれている患者さんも少なからずいると思います。もちろん、病院では苦しむから治療をやらないという選択をすることは難しいかもしれません。しかし在宅医療では選択肢に幅があり、より患者さんが望むかたちで医療を提供できます。
在宅医療は、死を待つために生きるところではありません。より「よく生きるために」生活するところです。私は、手術では救えない患者さんが秋田市でもよりよく生きられるように、外科医としての知識とスキルを十分に活かしながら医療を提供しつつ、より多くの患者さんが地域に帰ってこられるように、病院との連携を進めていきたいと考えています。