睡眠障害治療のためのアプリ開発
―現在、取り組んでいることについて教えていただけますか?
今私たちは、精神科の治療法の1つである認知行動療法が可能なスマートフォンアプリを開発しています。そしてこのアプリが、不眠症治療に使える医療機器として承認されることを目指しています。
不眠症に対する認知行動療法は、国内では一部の医療機関で実施しています。しかし、まだこの治療法が普及せず、睡眠薬などの多剤併用を引き起こしていることも多々あります。また、認知行動療法を受ける場合、自由診療になってしまうので、患者さんが全額負担することになります。1回の認知行動療法のカウンセリングで、費用は約7,000〜8,000円。週1回程度のペースで治療を継続していく必要があるので、治療完了には数万円以上の費用負担が生じています。
そのためこのアプリを保険適用の医療機器として認めてもらい、認知行動療法を普及させるためのツールとしていきたいと考えています。また、不眠症患者さんのゲートキーパー役を果たすことで、現場の医療者の診療効率化にもつなげていきたいと考えています。まずはアプリを活用して認知行動療法を実施していただき、それで改善されればアプリで継続治療、もし対面のほうがいい患者さんであれば、その時点から臨床心理士が介入する。このような活用方法も想定しています。
―開発の進捗状況について教えていただけますか?
2016年9月から治験の前段階である臨床試験を進めています。現在は臨床試験で得られたデータを蓄積し、治験の準備を進めています。治験のプロトコルが完成次第、治験を始める予定です。2020年に診療報酬改定があるので、そのタイミングまでに医療機器として承認、保険適用が可能な状態にしておくことが目標です。
―このアプリの特徴はどのようなところにありますか?
大きな特徴は、医学的エビデンスをしっかりと持てるような設計にしている点です。私たちは、医療機器としてアプリを承認してもらうことが目標の1つなので、臨床試験や治験で科学的な意味を立証しなければなりません。
ところが精神科領域の研究の難しい点ですが、プラセボ効果との区別が明確でないと、科学的な効果を立証できません。例えば、アプリを使ったことによって症状が改善されたのか、臨床試験に参加し医師の監督のもと何らかの介入を始めたことで症状が改善されたのか、そこを切り分けることが難しいのです。そのため臨床試験のプロトコルは、かなりの量の論文を読んで、設定には気を使いましたね。そして、プラセボアプリや二重盲検で臨床試験を実施するためのシステムなども作り、科学的に意味があるアプリだと実証しようとしています。
また、アプリの外側でもデータが取れる体制を作っています。アクチグラフという睡眠/覚醒時刻を記録できる腕時計型の装置を用いて、臨床試験に参加いただいている患者さんから、アプリの治療効果を客観的なデータとして取り、それをデータ分析を専門とする医師が中心になって分析しています。
基礎医学研究者が睡眠外来で感じた課題
ーなぜ睡眠の研究に進まれたのですか?
もともと、がん研究に興味を持ち、医学部に入学しました。死生観への関心がベースにはありましたが、肉体がなくなることよりも、自分の意識がなくなることに対する恐怖感であったり、人間にとっての意識の意味に関心を移していきました。そこから徐々に意識のメカニズム、つまり、主観的な意識が生まれる仕組みに大きな興味を持つようになったのです。
ところが、意識の研究ではいまだ解明されていないことが多く、科学の中でも難しい領域です。そして、私が生きている間に全て解明されることはないだろうと思いました。
それならば視点を少し変えて、かつ、医学に関連する領域である「睡眠=意識のない状態」の研究で睡眠のメカニズム、そして意識がないところから意識がある状態へ覚醒するメカニズムを解明できれば、意識のメカニズム解明に少しは貢献できるのではないかと考えたのです。それで大学卒業後2年間の臨床研修を経て、大学院へ進学し、遺伝子工学を用いた睡眠の基礎研究により学位を取得しました。
―睡眠の研究者としてキャリアを積んでいっていたにもかかわらず、起業し認知行動療法のアプリ開発へと方向転換したのはなぜですか?
研究と並行して、睡眠外来で患者さんの診察をしていましたが、そこでの経験が起業のきっかけになりました。
睡眠外来では、過眠症やリズム障害など、さまざまな睡眠障害の患者さんを診ていました。その中でも不眠症状を有する患者さんにおいて最初にお話した通り、睡眠薬などの向精神薬が多剤処方されている現状を目にしました。ところが諸外国では基本的に、認知行動療法が第一選択とされ、睡眠薬の処方は避けることが推奨されていました。ただ日本の保険制度の中で、海外と同じような認知行動療法をやろうとすると、マンパワーとコストとのバランスが取れず、普及に限界があることも分かってきました。
そのような現状を見て、ICTの技術を使えば効率的に認知行動療法ができるのではないかと考えるようになったのです。オンラインカウンセリングの研究開発も進んではいますが、結局医療者のマンパワーは必要なので、抜本的な現場の負担軽減にはつながりません。それなら、認知行動療法自体をソフトウェアで置き換えていけばいいと思いました。基礎研究のために自身でプログラミングも行っていたので、何を組み合わせればアプリを開発できるかのイメージも湧いていたのです。
そこで、そのプランをIT企業に持っていったところ、割と反応が良かったんですね。ところが私が考えていたのは、睡眠薬しかソリューションがない睡眠障害に対して、別のソリューションを出すこと。企業と協働すると、アプリを臨床現場にまで届けるには、必要以上のハードルがあると思いました。
例えば製品開発をする企業は、組織規模に見合った大きな利益になるものでないと、そこにリソースを割くという意思決定をしません。また、アドバイザーとして関わっているだけでは、基本方針の意思決定に関与できることは少なく、開発が進んでも経営判断で途中で打ち切られてしまえば、良いものでも臨床現場に届けることは叶いません。
最初は赤字でも開発を進めてなんとかして臨床現場にまで届けるという意思決定を貫くには、自分たちが主体になって知財も確保し、開発しなければいけない―そう思い、自分たちで責任をもって、開発、臨床研究、治験を進めて臨床現場にまで届けることを決意。それで起業することを決めました。
―非常に大きな決断をしましたね。
自分でもずっと基礎研究者としてキャリアを積んでいくだろうと思っていたので、まさか起業するなんて考えもしませんでした。最初は、どうやったら会社を起こせるのかも全く分からず、手探りの中でやっていましたね。
ただ、もともと基礎研究は医療のメインストリームではないキャリアですし、「研究を通して新しい医療を自分たちで作る」というマインドが少なからずあります。そのため、新しいことにチャレンジすることへの抵抗感は少なかったように思います。臨床現場などで見出した課題に対して解決策の研究開発を行う際に、大学組織で行うのも起業して行うのも手段の一つだと考えています。そして、周囲にも起業されていたり、臨床以外の活動をされている方々がいて、彼らの存在も後押しになりました。
社名に込められた想い
―これから進めなければいけないことは、どのようなことでしょうか?
医療機器として認められるには、治験をやりきることが非常に重要になってきます。そして医療機器として認められたら、次は保険適用です。せっかく睡眠薬を使わない治療法をアプリで確立しても、保険点数がつかなければ、なかなか臨床現場で使ってもらえず、患者さんにまで届けることができません。なんとしてでも、保険適用の医療機器にするために、学会の先生方やPMDA、厚生労働省など多くの関係者との丁寧な話し合いが重要になってくると思っています。
ただ国としても、向精神薬の多剤処方を問題視しています。国連組織からも処方量の多さを指摘されていて、是正していかなければいけない段階にあります。そのような問題解決のためにも、認知行動療法のアプリは役立つのだとということを、丁寧に説明していきたいですね。
さらには、デジタル医療はデータベースを構築することにもつながるため、患者さんにより適した治療法の提案など、将来の新たな医学研究の発展にも役立つということも、アピールしていきたいと考えています。社内にはデータ分析の国際大会で成績を収めているエンジニアなどがおり、技術的な挑戦も積極的にしていきます。
―他に今後取り組んでいきたいことはありますか?
現在すでに取り組んでいますが、ブロックチェーン技術の医療応用です。デジタル医療の取り組みをする中で、データの信頼性をいかにして担保するかという課題意識から、ブロックチェーン技術の応用に発想が至りました。このブロックチェーン技術により研究開発が効率化され、研究データの改ざん防止や研究開発費の削減、さらには社会保障費の削減につながると考えています。国際特許も取得し、すでにこれを利用して行った実証実験の結果を論文として発表していますが、今後の実用化に向けた取り組みを進めており、臨床開発を支援する上で可能性のある技術だと思います。
2018年4月から臨床研究法が施行され、コストの増加などにより臨床研究のハードルが上がることが指摘されています。負担増により国内の臨床研究の減少が予想されており、新しい医療の研究開発が立ち遅れる可能性があります。医療におけるイノベーションと社会保障費の持続性を両立させるためには、効率的で信頼性のある臨床開発の仕組みが不可欠と考えています。
―これらのような研究開発をしていく原動力は何でしょうか?
それは社名サスメドに表現されている通り、「Sustainable Medicine =持続可能な医療」を実現したいという思いです。
不眠症患者さんに保険適用の医療機器として認知行動療法のアプリが提供できれば、睡眠薬の副作用を避けられるなど患者さんにとってのメリットになることはもちろん、医療現場の方の負担軽減にもなるので、持続可能な医療が実現します。また、ブロックチェーンの医療応用によって新たな医学研究が効率化されれば、それが社会保障費削減につながり、費用面でも持続的な医療が可能になります。
サイエンスとテクノロジーを通じて、持続可能な医療のために、私たちは今の取り組みを進めていきたいと考えています。
(インタビュー・文/北森 悦)