臨床医のスキルを究めるために研究者に
―現在、どんなことに取り組んでいるのでしょうか?
千葉大学病院脳神経内科の臨床研究者として、「クロウ・フカセ(POEMS)症候群」と「ギラン・バレー症候群」という希少疾患の新規治療の臨床開発を行っています。現在は、両者の臨床試験が終わり、承認申請に向けての業務をしています。並行して、次の研究テーマとなる疾患や治療薬などを検討しています。
それ以外にも、大学院生や医学部生の指導や臨床医として診療も行っています。目の前にいる患者さんの病気を治したい、健やかに生きたいと言う患者さんの思いに応えたい。私にとっては、これが全てのモチベーションの源です。
―「クロウ・フカセ(POEMS)症候群」と「ギラン・バレー症候群」それぞれの研究概要について、簡単でご説明いただけますか?
クロウ・フカセ症候群に対して、薬剤「サリドマイド」の臨床開発を始めたのは2006年でした。その後、サリドマイドの本格的な実用化(保険適用取得)を目指し、2010年に千葉大学病院では初めてとなる医師主導治験を開始しました。当時は医師主導治験がまだあまり盛んではなく、周りに教えてくれる人はほとんどいませんでしたし、大変さを理解してくれる人もいませんでした。試行錯誤を繰り返しながら、プロジェクトマネージャーの方と二人三脚で、5年かけてなんとか試験を完遂しました。
その医師主導治験の結果をまとめた論文が、2016年に「Lancet Neurology」に掲載されました。結果を形にできたのが嬉しかったのはもちろんですが、臨床試験の意義を周囲の方に理解して頂くきっかけになったことはとてもありがたかったです。現在は、1~2年以内の適用取得を目標に、申請の準備を進めています。
ギラン・バレー症候群に対しては、薬剤「エクリズマブ」を標準治療である免疫グロブリン療法に上乗せして投与する効果と安全性を検討するための医師主導治験を全国13施設で行いました。その結果、6ヶ月時点で走行可能な患者さんの割合が、エクリズマブの投与により74%(プラセボ群では18%)になりました。小規模な試験における一項目のみで示された結果ですので、エクリズマブの有効性を断言するまでには至っていません。しかし、ギラン・バレー症候群の治療は25年以上進歩のなかった領域です。新規治療の可能性に、世界中の専門家から大きな期待や関心が寄せられました。臨床現場にできる限り早くお薬を届けることを目指し、様々な準備を現在進めています。
女性医師が目指す働き方を支援する
―神経内科の研究者を目指したきっかけを教えていただけますか?
医師の多い家系で育ったので、医師以外の職業につくことはあまり考えませんでした。脳神経内科を選んだのは、患者さんの主訴や症状から、病変部位・病因などを推測していく、診断のプロセスが面白そうだなと思ったからです。いざその世界に飛び込んでみると、結構難しくて――。最初は診療科の選択を失敗したかなと思った時もありました。でも10年ぐらい続けていると、たとえすぐに診断がつかなくても、患者さんを適切にマネジメントできるノウハウが身についてくるような気がします。
医師になった当初は、研究志向はそれほど強くありませんでした。大学院への進学も、みんなが行くから一緒にという気持ちが強かったと思います。大学院卒業後に、研究者の道に本気で進もうと決めたのは、2つの理由からです。
1つ目は、大学院卒業時に贈られた医学部長のメッセージでした。「大学院の卒業は研究者としての仮免許をとったということ」という言葉を聞いて、それなら路上教習まで挑戦しないと、という思いになりました。2つ目は、大学院生の時に国際臨床神経生理学会で若手を対象とした賞を受賞できたことです。当時指導してくださった先生のおかげだったので、「この先生の役に立ちたい!そのためにも研究を続けよう」と思えたからです。
―これまでのキャリアの中で、一番辛かったのはどういうことですか?
大学院を卒業した31歳から34歳までの3年間が私にとっては一番辛い時期でした。朝から夜まで、休日も返上して、ずっと働いていました。一方で、ポストにつける見込みもなく、収入もとても少なく、自分の価値が感じられなくなりました。研究者を続けていくためには継続的に論文を書いていくことが重要なのですが、この先妊娠や出産、育児を経て、それができるのだろうかという不安もありました。身近にロールモデルになる人もなく、将来が不安で、崖っぷちに追い込まれたような気持ちで日々過ごしていました。
そんな想いの中でも研究を続けられたのは、「人の役に立てる研究がいつかできるようになりたい」という目標があったからだと思います。特に私を一念発起させたのは、夫の「いつも仕事ばかりしているけれど、君の仕事は誰かの役に立ってるの?」という言葉です。当時は言い返すことができず、悔しくて悲しくて――。これをきっかけに、私の仕事は誰かの役に立っていると言えるまでがんばろうと、決意を固められたように思います。
その後担当したのが、「クロウ・フカセ(POEMS)症候群」と「ギラン・バレー症候群」を対象とした医師主導治験でした。日本では基礎研究が重視されるので、臨床試験にエフォートを割いていることは当初全く評価されませんでした。そのため、製薬会社であれば数名以上のチームで臨床試験の実施を担当することが通常ですが、私とプロジェクトマネージャーの女性1名の計2名で行っている時期が6年ぐらい続きました。医師主導治験の業務量の多さは有名です。途中はなかなか険しい道のりでした。2つの試験の結果とも、「Lancet Neurology」に掲載され、以前よりも少し理解して頂けるようになりました。また、患者さんの役に立てるかもしれないと言う実感を持つことができました。苦しい時期が長く続いても、くさらずに一歩ずつでも前に進むことが大切なのかなと思っています。
―「立葵の会」という組織を立ち上げられていますが、どのような目的で、どのような活動をしているか、教えていただけますか。
私自身が、2児の母として育児をしながら、研究・臨床を続けるのは想像以上に大変でした。例えば、明日の講演の準備がまだ終わっていないのに、切り上げてお迎えに行き、焦る気持ちを抑えながら子供の世話をする――。最初はパニックになりそうになる時もありましたが、だんだん頭の切り替えが得意になり、どんなに追い詰められてもめげない精神面でのタフさが身につきました。育児と家事の負担は圧倒的なハンディキャップですが、仕事のメリハリをつけて、締め切り効果でいつもがんばるようにしています。
一方で研修医時代から、出産後の女性医師が本人の望むように必ずしも働けていないことへの問題意識を感じていました。現時点でも、女性医師は出産を契機にそれまでとは同じように働けなくなることが多く、それが社会的に問題視されてもいます。
そこで、2013年に「立葵の会」という女性医師のネットワークの場を院内に立ち上げました。女性医師が自分らしく生き生きと仕事ができ、今よりももっと医療現場で活躍できるようになることに、本当に微力ではありますが、この会が貢献できるといいなと思います。現在は千葉大学病院を中心に、80名ほどの女性医師が参加しています。
主な活動としては、外部の識者をお招きしての講演会や、いろいろなテーマで情報交換を行う食事会などを行っています。また、保育園・シッターさん探しや産後の働き方などの個別相談にものっています。講演会の企画・運営はかなりエネルギーが必要なので、年1回程度開くのが精いっぱいという状況です。本当はもう少しアクティブに活動できるとよいのですが――。
今のスタイルを貫きながら、若手を育てる
ー今後、先生としてはどのような道を進んでいくのでしょうか?
臨床医として目の前の患者さん一人一人のお役に立てることには、大きな喜びがあります。一方、大学で働くことのやりがいは、研究を通じて、遠く離れた場所にいる患者さんの役にも立てる仕事ができることにあります。私の今の一番の目標は、「新しいお薬を現場に届ける」ことです。これまでなかった治療の選択肢ができれば、現在の患者さんはもちろん、未来の患者さんの役にも立つことができます。そう思うとものすごくうれしくて、現在の仕事との出会いはとても幸運だったと感じています。
その一方で、研究に関して、私には一つ大きなコンプレックスがあります。それはこれまで一度も基礎研究に携わった経験がないことです。しかし最近、とても尊敬している教授から、「基礎研究の経験がなくても、理解をしていればよいのではないかな。海外にはそういう研究者もいるよ。大切なことは何度も繰り返し出てくるから、勉強していれば自然に身についてくると思う」というアドバイスをいただきました。その言葉を聞いてとても勇気づけられ、これから目指していく方向性が固まったような気がしました。まだまだ足りないところだらけですが、しっかり努力を続けて、後輩たちがより価値のある仕事をできるように導ける人材に、近い将来になれるといいなと思っています。
ー個人的に、やろうとしていることはありますか?
「立葵の会」では女性医師を支援していますが、最近はその他に若手・中堅医師の育成や絆づくりにも力を入れています。それは、これまでのさまざまな経験を通して、若手の存在と力の大切さを痛感したからです。優れた指導者と、主体性と解決力を持つ若手の組み合わせには、不可能を可能に変えていく力があると思います。
そこで、同窓会からの支援を受けて「育星塾」という勉強会を、数名の仲間と立ち上げました。若手を育てる、自分たち中堅も育つことを目的として、リーダーシップ、ディスカッションスキルなどさまざまなことを学びます。医学の知見やスキルはあえてテーマとして扱わずに、普段、医師があまり学ばないことにフォーカスを当てています。
さらに、診療科を越えた横のつながりをもてる機会をつくりたかったというのもあります。若くて元気な人たちが繋がると、大きな化学反応が起きます。私たちの会で、有機的につながった若手・中堅がどんどん成長し中心的な立場を務めることで、千葉県の未来の医療がより良くなるといいなと考えています。
(取材 / 北森悦、ライター/ 西谷忠和)