ライフワークを継続するため開業を決意
―現在の取り組みを教えてください。
2018年に秋葉原内科saveクリニックを3名の医師と開業し、私は院長として外来診療に携わっています、平日16時半から21時までという診療時間で開院しており、ビジネスパーソンにも会社を休むことなく、気軽に立ち寄っていただきたいと考えています。
秋葉原に開業したのは、私がコンテンツの力に救われた経験があるからです。大きな喪失体験をした時、「ドラクエ11」に救われたのです。開業するならば、コンテンツを生み出す街・秋葉原に、と思いました。
一般の内科外来とは別にライフワークとして、時間外の紹介予約制で人生を生きづらいと思っている方々のためのメンタルヘルスケアに取り組んでいます。彼らがどうやったら今より生きづらくなくなって、ハッピーになるかを考えたりしてます。個人的に今の時代にハッピーに生きるのがかなり難しいなと思っていますが、そういうのを誰かと一緒に真面目に考える機会があるので、自分自身の人生を豊かにする上でもすごく参考になりますね。
―生きづらいと思う方々の役に立ちたいのはなぜですか?
成り行き上というか、心惹かれたのが先なので理由はあとづけですが、1つ挙げるとすれば、生きづらさをもっている人って、子どもの頃、身の回りに安心がない環境で過ごした時間があったりするんですよね。そういう環境で彼らが生存していくために身に着けた知性に惹かれます。例えば、誰が自分に対して攻撃心を持っているかなどを見抜く洞察力や、凄まじい人間観察力、状況把握力がある。そういう人たちとの会話の中で、自分自身が学ぶことがものすごくあり、人間というものへの理解が深まり、感覚が磨かれていくことが楽しいんです。
もう1つ挙げるとすれば、彼らとコミュニケーションを続け、ちょっとした分かり合いが出てきた時に、いろんな変化が見られることですね。たとえば、ずっとうっすら「死にたい」と思っていた人が、何かのきっかけで「もう死ななくていいかも」と思ってくれる瞬間がある。そういうときの表情とか雰囲気の変化が本当に劇的で、これを間近で見られる役得感が半端ないです。生きる力の強さみたいなものすごい感じて、超ロマンティックだなあと。
―しかし、精神科や心療内科ではなく内科として開業されたのですね。
不謹慎に聞こえるかもしれませんが、私にとってのメンタルヘルスは、あくまでもライフワークというか、趣味の延長みたいなものだと思っていて――。治療者というよりは、人間として関りたい。医師として関わるよりも、関わろうとする人間がたまたま医師だった、程度の感覚で考えてます。自分はあくまでもメンタルヘルス好きの内科医だと思っていて、職業として精神科医をやるにはメンタリティがあまりにも違いすぎますし、あまり向いていないとも思っています。
また、生きづらさにしっかり関わろうと思ったら、生活なども含めてものすごいエネルギーを割かないといけない。でも、自分がかけられる想いや時間には限りがある。今関わっている人は、もともと関係性がある人がほとんどで、それで精一杯なのが現状です。そのため、今は自分が関われる範囲の人に全力で関わるほうがいいと思いました。
自分のやりたいことをライフワークとして続けていくために、どう生活を整えるかを考え、基本は内科のクリニックとして開業しながら、時間外でごく少人数と納得いくまでじっくり時間をかけてコミュニケーションを取れる、今のスタイルが合っているかなと思い至ったのです。自分の場所を持っていることの利点をひしひしと肌で感じつつ、これまでにやってきたことを、この場でブラッシュアップしている感じです。
どこで何に従事している時が幸せか
―もともとは放射線科だったのですね。
高知大学医学部に進学したのは、祖父が医師で身近な仕事だったことがきっかけでした。しかし自分のことを”コミュ障”だと認識していたので、臨床医には向いていないと考えました。
放射線科に進んだのは、放射線科の教授が人情家で、留年の危機を救ってくれるなどと学生時代から優しくしてくれた方だったからです。でも私は出来ることと出来ないことがものすごくはっきりしていて、正直放射線科の仕事は全く向いていませんでした。本当に、引くほど向いてなかった(笑)。それに加えて、私を評価してくれていた先生が次々と教室からいなくなってしまい、残った方々との人間関係に難しさを感じるようになりました。
我慢を感じながらも、それでも馴染んでいくことが、社会に溶け込むことだと思っていたのですが、どうしてもそれができなかったんです。
ちょうどその頃、マネジメントや政策に関心を持つようになり、医療の仕組みを整える側へ回りたいと思うようになっていました。仕組みを考えようという時に、放射線科しか知らない状態ではいけないと考え、いわゆる「ふつうのお医者さん」を学ぶため、県内の市中病院に異動し、そのタイミングで内科へ転科しました。
―高知医療再生機構に関わるようになったのはいつからですか?
それも4年目です。高知県の医療のプロモーションと、医師のメンタルヘルス、キャリア支援に関わりました。その後、東京にある医療機関向けの経営コンサル会社のハイズ株式会社でコンサルタントになりました。
2014年にはRyomaBaseというコミュニティを設立しました。医療業界にも、政策や経営を理解しマクロ視点で本質的に問題解決できる人が増えるべきだと考え、作られたネットワークです。政策の勉強は楽しかったですし、視野も広がりました。しかし先ほどお話したようなライフワークを継続するため、RyomaBaseもコンサルタントもやめ、開業に至りました。
―キャリア観にも、変化があったのでしょうか?
大きく変わりました。それまで私は、市の医療に従事する医師よりも県の医療に従事する医師、県の医療に従事する医師よりも国の医療に従事する医師が偉い、と思っていました。規模のマジックではないですが、大きなものを動かしているやつが偉い、という考えに囚われていた。一方で、「どこで何に従事している時の自分が幸せか」という視点は抜けていたように思います。
でも自分個人が何に幸せを感じるかを見つめ直した時、扱っているものの規模の大きさはあまり重要ではなく、本当に守りたいものは、多分10人程度の、リアリティのある触れあいを感じられるコミュニティなのではないかと気がついたのです。そこからは、関わる人とのコミュニケーションの質にこだわっていこうと決めました。
自分のWANTを見つめ直す
―さまざまなキャリアを経て、ご自身の中で何に幸せを感じられるかが分かったことは大きいですね。
そこを見誤ると、努力をしても社会不適合だと思われてしまいますから(笑)。私が考える理想のキャリアは、自分にとことん正直に生きたときに社会との齟齬を生まないこと。自分に正直に生きるというのは、どう生きるにしても必須なのではと思っています。
医療に携わるだけで基本社会の役には立ちますし、地域や病院、医局など、さまざまな人の期待に応えられることは素晴らしいことだと思います。しかし、周囲からの期待のレールに乗っているだけだと「自分の幸せ」という視点が抜けがちになります。そこを頑張って、自分のwantを引っ張り出してなるべく正直に生きながら、自分に出来ることと、社会から求められるニーズとの接点をうまくさぐっていくことを目指していくと、より幸せになれる確率が高いと考えています。
―今後、実現していきたいことを教えてください。
コミュニケーションの質で、幸せを感じるタイプなので事業の拡大は全く考えていません。どのような組織を目指すかと聞かれたら、雑談の質が高い組織だと答えます。「幸せってなんだろうね」みたいな話を続けていられたらかなり豊かで幸福度高くやっていけると思っています。
ですから個人としては、まだまだ未熟すぎるので、今のコミュニケーションや出会いを積み重ねていくことで、自分が精神的に成長していきたいですね。
―クリニックとしてはいかがでしょうか?
クリニックとして今後やっていきたいことは、「コンテンツ処方」です。生きづらさを解消する上でのコンテンツの力は偉大だと思っています。「こういうしんどさを持ってる人だったら、こういう作品を知ってもらったら楽になるんじゃないか」というのを見繕って「処方」してます。「水島広子先生の『女子の人間関係』がいいですよ」「平野啓一郎さんの『私とは何か』、超おすすめです」「『アメリ』見たことあります?」といった感じに、読んでもらいたい本をリストアップして勧めたり、みんなで集まって1つの作品を観賞したり、といったアプローチです。もはや「保険収載されればいいのに」と思うほどの影響力を持つ良作がたくさんあり、評判は上々です。
私自身、コンテンツに救われた経験があり、コンテンツの力を信じていますし、そのためにコンテンツの街・秋葉原でやっているようなところもあるので。将来的には、動画配信なども考えています。ゲーム好きなので、お茶を濁す程度に1割くらい医療の話を盛り込んだゲーム実況もやりたいです。
そして、秋葉原の街とどんどん関わっていきたいですね。実際今も、診療後にバニーバーに行って生きづらさトークで超盛り上がったり、巫女カフェのお姉さんの片頭痛の相談を受けたりしています(笑)。秋葉原にはeスポーツの関連施設があって、そこで好きなゲーム「スプラトゥーン」の塾が開かれているので、そこにも足を運び勉強しにいく予定です。
秋葉原にある企業の産業医の活動も強化していきたいですね。少しずつ請けさせてもらってますが、コンテンツ業界に従事している人は心身を削って創作活動をしています。そんな人たちの産業医をすることは、コンテンツに救ってもらったことへの恩返しにもなるのではないかと思っています。それに、自分が好きになれる地域に前のめりに関わっていくことは、幸福度を上げることにもつながると考えています。
(インタビュー/北森 悦・文/塚田 史香)