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INTERVIEW

関東労災病院

総合診療医

島袋 彰

根底にあるのは「地域医療」への貢献

自治医科大学を卒業後、沖縄県立中部病院のプライマリ・ケアコースに入り、離島診療所などで研さんを積んでいた島袋彰先生。声をかけてもらったことをきっかけに、沖縄県立宮古病院での総合診療科の立ち上げに関わり、さまざまなプロジェクトに取り組んできました。しかし危機感を感じ、新たにマネジメントを学ぶべく、関東労災病院の医療マネジメントフェローに就きました。診療だけでなく、病院経営にも携わるなど視座の高い仕事を通して見出された目標とは――。

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「病院経営」と「臨床」2つの業務を担当

―現在の取り組みについて教えてください。

2018年4月より独立行政法人労働者健康安全機構関東労災病院(神奈川県川崎市)で救急集中診療科に所属しながら医療マネジメントフェロー職として、病院経営の勉強をしています。経営会議に参加して、さまざまな視点から、病院の収益を高める戦略を施策したり、業務フローを見直したり、病院全体の医療安全の問題にも直接関わったりしています。

その他にはライフワークとして、以前勤めていた沖縄県立宮古病院を訪れ、指導医の能力開発(Faculty development)などを行っています。宮古病院の総合診療科を立ち上げたり、私が教えた研修医もまだ残っていたりするので、2~3カ月に1回ペースで戻り、教育面のサポートをしています。

―医療マネジメントフェローとしての役割を、もう少し具体的に教えていただけますか?

医療マネジメントフェローはして、主に3つの施策に取り組んでいます。

1つ目は患者さんの入退院支援の整備です。私が前任地でも取り組んでいた領域であり、関東労災病院での課題でもあったので着手しました。まず退院支援で、この病院の抱えている問題点を明らかにすること。そして、浮き彫りになった問題点を解消するために、看護師とソーシャルワーカーがどのようにして協働できるかをリデザインしています。

2つ目は、院内のクリニカルパスを整えて、医療の標準化や業務改善を行っています。例えば「誤嚥性肺炎」は呼吸器内科だけでなく、さまざまな診療科で診療していますが、これまで診療科ごとに抗菌薬選択や治療期間、リハビリ開始のタイミングなどが異なっていました。そこで、DPCデータと呼ばれる診療に関するレセプトデータの解析し、それをもとにばらつきを正し、標準的なクリニカルパスを作成。徐々に運用も始めています。

3つ目は1〜2ヶ月前から取り組み始めた、HCUやICUのベッドの稼働率を高めるためのベッドコントロールです。病床稼働率が低迷していたHCUやICUの利用基準を変更したりして、今は月3000万円の収益増が見込めるようになりました。

―医療マネジメントフェローになって思い描いたことができていますか?

大きな組織を扱う難しさを日々実感しています。沖縄県立宮古病院のときのほうが、組織に対する影響力が大きかったので、以前のほうが手応えはありました。経営分析もその頃から取り組んでいましたし、月単位の収入の推移を見たり、いくつかのプロジェクトチームを動かしたりしていたので、やろうと思えば、さまざまなことに挑戦できる環境がありました。

しかし医療マネジメントフェローになって、学べることもたくさんあります。プロジェクトなどでは、それまでほとんど相対することがなかった看護部長や、事務方のNo.2の方など責任のあるポジションの人との折衝が増え、上のレイヤーで物事を考えるようになりました。また、看護師や会計課の職員などの現場の人たちとのやりとりもあるので、現場レイヤーとマネジメントレイヤーを行き来しながら、幅広い視座が持てたのも大きな収穫になったと思います。

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PROFILE

島袋 彰

関東労災病院

島袋 彰

沖縄県出身。2007年自治医科大学を卒業後、沖縄県立中部病院プライマリ・ケアコースに入り、粟国診療所などで研修。沖縄県立八重山病院、沖縄県立宮古病院を経て、2018年4月から独立行政法人労働者健康安全機構 関東労災病院にて医療マネジメントフェローとして勤務。

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