ジャパンハート長期ボランティアでの活動
―現在、カンボジアではどのような活動をしているのですか?
2017年からジャパンハート長期ボランティア医師としてカンボジアに入り、ジャパンハートこども医療センターの立ち上げから関わり、現在は小児科部長として現地での診療・治療と若手医師の育成をしています。
ジャパンハートこども医療センターでは一般の外来診療のほか、手術も毎月200〜300件行っています。また、開設当初から小児がんにフォーカスしていて、2019年は25人、2020年は半年弱で40人近くの患者さんを治療しています。
開院当初は外来から手術、がん治療まで全てに関わっていましたが、2年目を過ぎた頃からは、カンボジア人医師たちが育ってきたので、外来診療や一部の手術はほとんど彼らに任せています。そのため現在は、がん治療など入院患者さんの治療が主な仕事です。
―カンボジア人医師は現在、何名いるのですか?
カンボジア人医師は8名。みな若くて、最年長が医師5年目です。ジャパンハートが2016年に開院した病院は、2018年6月、小児専門病棟を増設。「ジャパンハートこども医療センター」と名称も新たにし、小児診療部門を強化しました。カンボジア人医師たちは成人病棟、小児病棟の両方をローテートしながら、研修しています。
―教育体制を確立することが1つの目標だと伺いましたが、現在どこまで進んでいますか?
ジャパンハートとしての目標は2030年までに、ジャパンハートこども医療センターをカンボジア人スタッフのみで運営できる体制にすることです。現在はまだ、大きな意思決定に日本人スタッフが入っていますが、それをカンボジア人スタッフだけで行えるようにしていく必要がありますし、特に核となる医師を育てなければいけません。具体的な教育体制としては、私が研修を積んだ沖縄県立中部病院と同様の屋根瓦式で、シニアドクターがジュニアドクターを指導していくシステムを構築中です。
―教育体制を構築していく過程で、課題になっていることはどんなことですか?
離職率が高いことです。カンボジアの医師は、卒後2〜3年で開業してしまうことが比較的よくあるんです。数年で人が入れ替わっていると、なかなか体制そのものを定着させることが難しいので、「いつ辞めてしまうのだろう」との心配が常にあります。
ただ、自分が成長している実感や、できることが増えていくことで、やりがいを感じてもらえれば長く働いてくれます。ですから、できることをどんどん増やせるように工夫して指導したり、やりがいを持って働いてもらえるよう心がけたりしていますし、もちろんその辺は給料にも反映させています。
専門性を活かして、途上国の小児がん患者を助けたい
―ところで、小児科医を目指したのはなぜですか?
もともと、父が脳腫瘍で亡くなったことがきかっけで医師を志すようになりました。そのため当初から、がん治療を専門にしたいと考えていました。小児科医として小児がんを専門にしようと決めたのは、医学部の病院実習で脳神経外科を回った時でした。
受け持ちになったのが、小学校入学前の脳腫瘍のお子さんでした。なついてくれていたのですが、手術も化学療法、放射線治療全て頑張ったのですが再発して亡くなってしまい――子どもががんで亡くなることがとてもショックで、子どものがんを治せる医師になろうと決めたのです。
―途上国での医療支援に関わりたいと考え始めたのはいつ頃だったのですか?
小児がんの研修を始めた頃です。たまたま小児がんの研究会で、ベトナムで医療活動をされている団体の講演を聴く機会がありました。その講演で「先進国では8割治せる小児がんが、途上国では2割以下しか治せていない」と知ったんです。しかも、ごく標準的な治療ができれば7〜8割の子どもが助かるがんで、どんどん子どもが亡くなっている。その事実を初めて知り、またショックを受けました。そして、その現状を何とかしたいと思い、途上国の医療支援に興味を持ち始めました。
その後は長期休暇のたびに、ジャパンハートの活動をはじめ、ベトナムやアフリカなど各地で活動している団体を見に行っていました。
―いくつかの団体の見学に行った中で、ジャパンハートの活動に参加することにしたのはなぜですか?
私がジャパンハートの見学に行った時には、まだカンボジアに病院は開院していなくて、巡回診療をしていました。しかしその時、小児専門の病院を開院して、小児がんの治療にも力を入れていくという話を聞いたのです。まさに自分の専門性が活かせる場所だと思い、せっかく参加するなら病院の立ち上げから関わってみたいと思い、ジャパンハートこども医療センター開院の1年前、2017年から長期ボランティアとして参加することにしました。
何度も心揺らいだけれど、やらずに後悔したくない
―ジャパンハートの活動に参加するための準備には、どれくらいの期間をかけましたか?
専門研修が終わった2012年頃から4〜5年かけました。その間に、さまざまな海外活動に参加したり、上司に「途上国医療に興味があるので、いずれは行くかもしれない」と伝えて理解を得たりしていました。また、後輩の育成や、貯金も進めていましたね。
―準備期間に、諦めようかと心揺らいだことはありますか?
それはもう、揺らぎまくりでしたよ(笑)。結婚を意識する年齢でしたし、家族からも最後まで反対されていましたし。それに医師として、生まれ故郷である沖縄県の医療レベルを上げたいという思いもあったので、沖縄に腰を据えるべきなのではないかと悩んだ時期もありました。
腹を決めるまでは、とりあえず将来海外に行くことも含めて自由に選択できるように、特にお金の面で困らないようにと、コツコツ貯金を続けて、気が変わらなかったら行こうというくらいの心構えでいましたね。
そして、さまざまな人に相談してみて、行って失敗したとしてもあまりリスクがないと思えるように。最終的には、海外に行くことは今しかできないけれど、沖縄に貢献することなどは、後からでもできると思えるようになったことと、とてもやりたいことがあるのに、それをやらずに死んだら多分後悔すると思ったことが決め手になりました。腹を決めるまでには2〜3年かかりましたね。
―嘉数先生のように、途上国の医療支援に携わりたいと考えている若手医師に、準備期間中のアドバイスをお願いします。
1つは、やりたいという気持ちを持ち続けるために、定期的に海外へ見学に行ったり、準備をしている人に話を聞きに行ったりしてモチベーションを保ち続けることは大事だと思います。
あとは途上国支援に限らず留学などもそうですが、海外に出ようとするとやはりお金がある程度必要です。ですからぜひ、お金のことはきちんと考えておいてほしいですね。例えば留学したら生活費もかかりますし、ボランティア活動では自分の持ち出しがどうしても多くなります。やりたいことをやる自由度を高めるためには貯金をしっかりすることが外せません。
研修医が終わると給料が上がっていきますが、なるべく生活の質を高くし過ぎない意識が重要だと思います。私の場合は、収入の最低2割は貯金に回すと決めていましたし、一番多い時には5割程貯金するようにしていました。また資産運用についてもきちんと調べて、リスクの高くない積立などをコツコツしていました。10年くらい続ければそれなりに増えていくので、あまりお金の心配がなくなりましたね。
―嘉数先生は、最終的には沖縄に戻ることを考えているのですか?
そうですね。やはり将来的には地元・沖縄に戻って地域に貢献したいという思いはあります。ただ、せっかく海外に出たので、しばらくは海外での活動を続けようと思っています。今カンボジアで活動することで、沖縄や日本にいる人をインスパイアでき、カンボジアの人から感謝されて、日本のイメージも上げることができます。つまり、ここで活動することが、日本のためにもなっているとも感じますから。
特にカンボジアを含めて、海外の若手医師をどんどん育てていきたいですね。ジャパンハートこども医療センターの小児病棟はまだ40床程度ですが、今すでにカンボジア全土から小児がんの子どもの紹介を受けています。ゆくゆくは、ここをもう少し大きい小児医療の拠点病院にして、近隣諸国からも治療が難しいお子さんを受け入れられるようにしていきたいです。そして医療者も、ASEAN圏から自由に行き来して学べるようにしていきたいと考えています。このようなことが実現できれば、小児医療の拠点病院兼教育病院として、患者さんを治しつつより多くのスタッフを教育できると思っています。
(取材・文/coFFee doctors編集部) 掲載日:2020年9月29日