◆病気の子どもにも一人の人間としての権利を
―前回のインタビューから今日までの歩みについて教えてください。
「すべての子どもがしんどいときにこそ、安心してつながりを持てる社会を目指したい」という信念は、前回取材を受けた時から変わっていません。当時は東京大学医学部附属病院の研修医でしたが、そこから医療という手段で何ができるかを考え、数年間は小児科で専門研修を受けました。
その中でチャイルド・ライフ・スペシャリストという専門職に出逢いました。チャイルド・ライフ・スペシャリストは「病気を持つ子どもやや家族が病気の子どもにも、病気の人であり家族である以前に一人の人間であり、等しく人間としての権利を保障される」という考えのもと、子どものこころと環境のサポートをしています。その活動に出逢って、患者さんを「病人」ではなく、一人の人間として見る大切さに改めて気がづきました。
でも、その活動は日本ではほとんど知られていません。わたしは子どもの権利や子どもを取り巻く環境に光を当てる大切さを今一度考えるようになり、病院の中からでは子どもの全体像が分からないことへの問題意識が生まれました。
診察室を出た後に子どもや家族がどのように過ごしているのか、わたしが提案した方法は実生活で活かされているのか、周囲にどう伝え、それが本人にどう還っているのか……。そこを具体的に知りたくなって、病院の外へ出るようになりました。
―どのような行動を起こされたのでしょうか?
まずは地域で子どもに関わっている専門家たちを訪ね、そのうちに、専門家同士がお互いのことをよく知らないことが多いこと、そのために、実際に専門ごとの狭間でもがくのは子どもや家族自身だという問題点に気がつきました。そこで、保育士さんや学校の先生など、子どものことを一生懸命に考えている専門家が定期的に集まるプラットフォームをつくることを思いつきました。お互いをよく知ったうえで相談ができ、対話をしながら隙間を補い合うことを目指して「こども専門家アカデミー」というコミュニティを立ち上げました。
当初は、東京で細々と活動していましたが、2016年に茅ヶ崎の病院へ派遣されため、その病院のソーシャルワーカーさんや見学に行った保育園、市役所の方、ボランティアをしていた養護施設の方々、地域のフリースクールの先生など、とにかく茅ヶ崎で関わった方を一堂に集めて開催しました。最初の集まりで参加者の方から「定期的にこういう場所があることに意味がある」という言葉をかけていただいたことをきっかけに、約1年半、毎月「こども専門家アカデミー」を開催しました。
茅ヶ崎での数年ののちは、国立成育医療研究センター(以下、成育)で、子どものこころの診療のトレーニングを受けることにしました。転勤を機に「こども専門家アカデミー」は、成育がある世田谷区で開催するようになりました。幸いなことに、ここでもパワフルな仲間たちに出逢うことができました。この経験は今でもわたしの糧になっています。活動を続けるなかで、このように定期的に話し合える場所を持つこと、情報を発信をすることが、自分自身や子どもに関わるさまざまな人たちの安心感やモチベーションにもつながることに気づきました。
―ほかにも、その活動を通じて得られた学びや気づきはありますか?
多様な立場の方が集まるときに「安全で安心できる場所」をどうつくるかが非常に大切だということは大きな学びでした。誰もが安全かつ安心でいられるグランドルールを設定し全員で共有することや、すべての人がフラットな関係で尊重しあえる雰囲気作りに配慮することで、どんな立場の人も本音で話すことができ、垣根を越えてつながることができることを体感しました。
また、安全で安心な場所の1つの要素として「弱さ」でつながることを意識し実践しました。子どもに関わる専門家は、得意なこと、専門的な経験や知識などの「強さ」を出すことを求められる立場になることが多いかもしれません。でもそうではなく「これはできない・苦手」「分からないから教えてほしい」とあえて弱さにポジティブな光をあて、その内容を共有することで、さまざまなフィードバックが得られ、安心感とともに参加者の視野がやわらかく広がることに気がつきました。
そしてもう1つは、「エコロジカル・モデル」で子どもとその周囲をみることもできるようになったことです。「エコロジカル・モデル」とは健康などのその人の状態を「個人」に帰結するのではなく、その人の持つ心身などの特徴、その人の周囲の直接的な関係性、家庭、園や学校や職場、さらにそれを取り巻く社会規範や政策、環境などの多層からなる領域の相互作用から包括的にアプローチする考え方のことをさします。
こども専門家アカデミーで子どもに関わるさまざまな人たちと出逢い、悩みや希望、願いに触れることで、あるいはそうした多様な方たちからみた子どもの姿に触れることによって、病院の中にいるよりもずっと包括的にに子どもの姿を捉えることができるようになったと感じます。こども専門家アカデミーからさまざまなコラボレーションも生まれ、わたしにとってアカデミーを毎月のように開催してきた約4年間はかけがえのない時間でした。
◆問題の背景にある、政策や文化まで包括的に
―現在の活動について教えてください。
2019年に成育のこころの診療部でのトレーニングを修了し、第一子を出産したことも契機となって、新しい働き方を始めました。現在は、子どもの虐待防止センターという組織に所属して児童相談所での子どもや養育者と話をしたり、一時保護された子どもたちと関わったり、スタッフの方のサポートをしたりしています。成育の臨床研究員、また、こども家庭庁の政策アドバイザーとしても活動しています。さらに、米国の公衆衛生大学院の修士課程に所属していて、自分のミッションに沿うわらじをいくつも履かせていただいているように感じます。
子どもの虐待やトラウマ(傷つきの体験)については、成育でのトレーニングの中で、奧山眞紀子先生という、虐待を受けた子どものケアと仕組みづくりに尽力されている先生と出逢った経験は大きかったです。実際にさまざまな虐待やトラウマを経験されたお子さんを診療されているのですが、子どもだけではなくその養育者の方、その周囲の環境にも目を向け、行政の仕組みや法律への提言まで行っていらっしゃる姿は、医療者として何ができるのかというわたしの視野を大きく広げてくださいました。
子ども自身の状態やその周辺のみではなく、その背景へのアプローチが子どもの最善の利益につながることは認識していましたが、気づきを実際に行動に移し続けていくことで、子どもから教えてもらったことを政策や文化の醸成レベルにまで届けていける現実的な可能性について学べたことは本当に貴重でした。
また、成育で出逢った、子ども時代の逆境体験(Adverse Childhood Experiences:ACEs)についての研究もわたしの考え方に大きな影響を与えました。今まで漠然と感じていたことが腑に落ちたと言った方がいいのかもしれません。
ACEs研究では、子ども時代の虐待などのつらい体験は、現在のみでなく何十年も先の将来にまで影響を与えうることを大規模な疫学研究で明らかにしています。また、逆境の影響は累積的で、いくつも重なりやすく、また重なれば重なるほど、その後のライフコースを通して、心身の健康、行動、社会経済的な状態にまで影響を与え続けることが分かり、その後に続く多くの研究が、その普遍性を証明してきました。
―虐待された体験が、その後の人生に大きな影響を与えてしまうということですね。
はい。ACEs研究は、虐待のような子ども時代の体験は決して稀ではなく、むしろ誰にでも起こりうることだということも明らかにしました。さらに、だから終わりなのではなくて、そうしたつらい体験があったとしてもなお、子ども時代の保護的体験といって、家庭での安心感や安全感、学校や友人や地域での関係性、自分のことを真剣に考えてくれる大人の存在などによって、逆境体験の影響が緩和されることも同時に明らかになってきています。
まさに、子ども時代のつらい体験を減らし、その影響を癒し、さらに逆境の有無に関わらず子どものウェルビーイングに関わるような保護的な要因を増やしていくことがいかに大切か。ACEsに関する一連の研究や実践は、自分が目指す社会への科学的な根拠を伝えてくれたように感じましたし、自分もその動きの一部でありたいと思っています。
―成育ではどのような仕事を続けていらっしゃいますか?
成育のこころの診療部での臨床は終了しましたが、その後も臨床研究員として残らせていただくことができ、新型コロナウイルス感染症の流行がコロナ禍の子どもの心身の健康に与えるこころへの影響を調査研究する調べる「コロナ×こどもアンケート」というプロジェクトに関わるようになりました。子どもの声を聴き、社会に届ける活動をきっかけに、子どもの権利の中でも、子どもたちの聴かれる権利・参画する権利についてさらに関心を持つようになりました。
◆臨床現場と学術的研究、行政をつなぐ役割に
―ご自身の学びも続けていらっしゃるとお聞きしました。
第一子を出産するとほぼ同時にジョンズ・ホプキンス公衆衛生大学院に入学しました。「子どもの健康とウェルビーイングに関する社会的決定要因(Social Determinants of Health: SDoH)」特に逆境などのつらい体験があったとしても、それをバッファーする要因のうち、関係性に関わるような、変えていくことのできる部分を学びたい、さらに、それをどうしたら政策に生かすことができるかのヒントを得たい、というのがモチベーションでした。
オンライン留学でしたが、学習環境が非常に整っており、ライブでのやりとりも多くありました。世界で屈指の公衆衛生大学院で、乳児を抱きながら日本で学ぶことのできる機会を得ることができ、本当に感謝しています。
―行政の立場に立った活動もされていますよね。
2021年秋に内閣官房が今後の子ども政策を考えるために招集した「こども政策の推進に係る有識者会議」の臨時構成員に選出していただきました。医師、虐待を受けた子どもに関わる専門家、また一人の養育者としての役割を期待されての抜擢であったとうかがっています。これはわたし自身が長く望んでいた、臨床の現場と学術的な知見、行政をつなぐ仕事で、またとない機会でした。
子どもやその周囲がしんどいときにこそ安心してつながることのできる社会はどうしたらつくれるのか、子どもたちが持っている力や、周囲の力を含めてのレジリエンスをどのように支えていけるのか、子どもを弱くて擁護される存在ではなく、尊厳を持った一人の存在として、彼らとどのようにパートナーシップを築いていけるのか。そんな想いで参画させていただいていましたが、2023年4月のこども家庭庁の発足に先立ち、2022年7月からは設立準備室の政策アドバイザーを拝命し、4月からも引き続きこども家庭庁のアドバイザーとして非常勤で勤務しています。
―現場とアカデミアと政策をつなぐ、想い描いていたキャリアに到達されたということですね。キャリアの実現のために必要な行動とは、どんなことだと思われますか?
まだ到達しているとは思っていません。見たい世界をみるために必要なことを行っているときに、到達ということはないのかもしれません。
今こうして仕事をさせていただいているのはわたし以外の多くの方たちの力や、時代の流れや運も大きかったですが、もしも個人としてできることがあるとすれば、うまくいかなくても「ゼロにしない」ことが非常に大切だと思います。何か取り組みたいことがあったとしても、特に医師として最初の数年の修行中の身だと、物理的になかなかできないこともあるかもしれません。でもそのなかでも、歩みを止めないことは大切だと感じています。
例えば、研修医でどんなに忙しくても、関心のあるテーマについての論文や本などを読み続けたり、勉強会に参加したり人に会ったり。わたしも、こども専門家アカデミーを小さく発足させたのは研修医の終わりごろでした。そうして小さくともずっと続けていたことが、結果につながるのではないかと思います。
本当に好きなこと、大切にしたいこと、こころに響くことに素直になる時間をつくること。その積み重ねが中長期的に見て、自分の軸により近いキャリアにつながっていくのではないかと思います。
―今後の展望について教えてください。
やりたいことはとてもたくさんあります。子どもの権利を軸として、すべての子どものウェルビーイングが実現する社会を目指したいです。特に、逆境体験のようなつらい体験はゼロではなくても、保護的な関係性や自分の声が届く体験を多くの人が子ども時代に重ねることにより、子どもたちがライフコースを通して包括的にすこやかでいられる状態を、仕組みとして構築したいと考えています。
例えば、直近の目標で言えば、こども家庭庁で、日本の子どものメンタルヘルスとウェルビーイングに関する国家ストラテジーをつくることが目標です。こころの健康について、医学モデルを脱却して、こころの揺らぎをよりニュートラルにとらえた上でのストラテジーです。
現状では子どもの「こころの健康」というと、鬱や自殺などの「問題」「疾患」が強調されて、かかってはいけない、かからないようにどうするかということがディスカッションの主なような気がします。けれども世界的な調査でも、精神疾患の障害罹患率は少なく見積もっても5人に1人とも言われていますし、潜在的な不調を抱える人はもっと多くいるはずです。わたし自身もそうですが、こころは本来揺らぐものですし、それに気づいていることが、こころの健康についての差別や偏見を減らし、よりポピュレーション全体に受け入れやすい予防やケアの土壌を育むのだと思います。
そのためには、子どもたちやその周囲が生後早期から、自分の感情やそれに伴う行動、不調の時にどういう癒し方があるかなどを知って実践できること、その権利を行使できる仕組みが必要だと思います。こころの政策分野は、どうしても省庁が横断的になるので本当に難しいとは思いますが、少しずつ取り組んでいきたいと思います。
また、こども家庭庁や成育のプロジェクトでは引き続き、子どもの参画の権利や子どもの声を聴くことで子どもや社会のウェルビーイングを高めていく取り組みにも挑戦する予定です。すべての子どもたちが自分の権利について知っていて、それを日常的に行使できること。子どもの「ために」というよりも、子どもたちと「ともに」どんなときにでも誰もが安心してつながり続けることのできる社会をつくっていきたいですね。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)