◆ホスピタリストとしてチームを率い、病院の管理・運営にも携わる
―現在のアメリカでの活動について教えてください。
内科ホスピタリストとして入院患者の診療に当たるとともにディレクター(内科部長)を経験し、現在は診療部門のチーフを務めています。さらに病院の経営層とも密接に関わり、病院の経営管理や質の改善にも携わっています。
というのも、ホスピタリストの業務は病院経営とも密接に関係しているからです。ホスピタリストが生まれたのは、それ以前の「かかりつけ医が患者を入院させ、クリニックが終わった後に診療に来る」医療システムがうまく機能せず、入院が長引いてベッドが空かない、かかりつけ医がなかなか来られずに患者さんが急変する、長期入院で医療費も高額になる――などの問題が生じて、病院経営が危ぶまれる事態があったからです。
ホスピタリストが入院患者を専門に診ることで、ベッドの回転数を上げ、入院期間も短くするなどのメリットが得られるようになりました。つまり費用と効率の面で、非常に重要な役割を果たしているのです。ですから自然に管理側の声を聞く機会が増え、私自身、ビジネスとしての医療、病院経営に興味が湧き、病院の管理・運営にも携わるようになったのです。
―マイノリティの立場で診療部門のチーフになるのは簡単ではないと思います。どのようにしてリーダーのポジションになられたのでしょうか?
おっしゃる通り私は女性で移民、そして英語にアクセントがあるので、こちらではマイノリティ中のマイノリティ。この壁は非常に高く、差別もあります。だからなのか、同じような方の声が集まり、共感しあう中で「マイノリティも含めた医師をプロモーションして、やる気を高めていきたい」と考え、リーダーを目指すようになりました。
あとホスピタリストはチームで動いていて、リーダーの良し悪しでパフォーマンスに大きな差が出ますし、チームの雰囲気や患者への医療サービスの結果も全く変わります。これまで多くの良いリーダーと働いてきましたが、反面教師のリーダーも見ていて「私だったらもっと良いリーダーになれる」という気持ちが湧いてきたことも、リーダーになりたいという気持ちを後押しするきっかけの1つでしたね。
ですが実際にリーダーになれたのは、自分の能力だけでなく、周囲のサポートも不可欠だったと思います。それから「なぜ入院期間が長くなると、経営の破綻につながるのか」といった好奇心も大きかったかもしれません。その仕組みが分かると「では、どうしたら効率のいいホスピタリストになれるのか」といった情熱を持ち続けることにつながっていきましたから。
このように自分自身の情熱や能力、好奇心をもちつつ、周りに支えられたことで今の地位があると感じています。でもリーダーを続けることは容易ではなく、資質を磨かなければなりません。私もカーネギーメロン大学院で、医師のMBAと言われているMaster of Medical Management (MMM)を修了し、リーダーシップはもちろん、医療経済、保健制度、医療ビジネス、クォリティ管理、統計、法律、倫理、AI、デジタルテクノロジー他、医療界のリーダーに必要な知識をたくさん学びました。
◆渡米が人生の選択をもう一度するチャンスに
―2005年に米国人男性とのご結婚をきっかけに渡米されていますが、渡米は元々考えていらっしゃったのですか?
海外に出ようとは考えていませんでした。幼少期から外科医になりたくて消化器外科を選び、日本で働けていましたし。でも「結婚したい」と思える人と出会い、その人がたまたまアメリカ人だったので、何の躊躇もなく渡米しましたね。
そのような経緯だったので、当初、アメリカで医師になることは全く考えていなかったんです。英語が堪能ではなかったので、最初の1年で英会話や読み書きを学び、日常生活を支障なく過ごせるようになってはじめてその後のキャリアを考え始めました。
その時頭に浮かんだのは「シェフになるか?医師を目指すか?」という2択。実は医師の道を選んだ中学時代にも、この2択で悩んでいたんです。当時は外科医を選びましたが、少なからず後悔が残っていたんですね。ですからある意味「もう一度考え直すチャンス」がやってきたと。
―それでもやはり医師を選ばれた。
いえ、シェフになろうと思いました(笑)。2005年当時はオンラインで海外の方と話したり、E-mailをやりとりする習慣も一般的ではなかったので、医師はハードルが高く感じたのです。
有名な料理学校に応募し、残すは最終選考というところまで進みました。最終選考の直前に招待された知人のガーデンパーティで偶然、中東から来ていた医師に出会い「君はどうして医師の試験を受けないの?」と聞かれたんです。彼はアメリカで医師になることを目指し、病理学の研修医として働くと話していて、私に「どうしてやらないの?」と。その答えが自分でも分からなくて……。その時にハッと「私はできないのではなく、やらないのだ」と気づかされたのです。それで料理学校の試験を辞退し、米国医師国家試験(USMLE)に挑戦しようと決めました。
―日本では消化器外科をされていましたが、米国では内科を選ばれていますよね。その理由はなんだったのでしょう?
渡米した時が30歳で、USMLEの勉強を始める決断をした時は32歳。そこから受験を終え、研修を受けるとなると、内科なら3年、外科なら5年、日本で行っていた消化器外科に進むならプラス3年必要です。将来子どもを持つ可能性も視野に入れて考えた結果、研修修了後の選択肢に幅がある内科を選びました。内科なら働き方の選択肢も広いですし、家庭と医師の両立もできるのではと考えたのです。結局、研修医2年目で離婚してしまったのですが、それもまた人生ですよね。
◆揺るぎない「コアパーパス」を持つ
―今後、日本の医療界で若手医師がリーダーシップを発揮するためにやるべきことは、どのようなことだとお考えですか?
まずは「自分がなぜ医師を目指したか」という原点、「コアパーパス」を考えることです。「患者を治したい」「お金を稼ぎたい」などは全て結果であり、「なぜ」の答えにはなりません。その先の「自分が医師になった本来の目標は何なのか」を考える意識を持ってください。仕事の根本となる信念をしっかりと持つのです。
私の場合は「健康を通じて人を幸せにしたい」がコアパーパス。それがあるから、渡米後に外科医ができなくなっても、目標を見失いませんでした。コアパーパスが明確になったら、その実現に向かってどのような道のりを作っていくか、1年、3年、5年先のゴールを具体的に決めることが大切だと思います。
また、そういうモチベーションの高い人間の周囲には人が集まるので、さまざまな意見交換ができるチームが生まれ、チームをリードしていくリーダーシップとスキルも育まれます。あとはモチベーションを高く保つことと、自分をコントロールして対人関係を円滑にし、いいチームに作り上げることです。「自分を知り、弱点を知りチームにフィードバックを求める」ことを心がけていれば、リーダーとしてどうあらねばいけないかが見えてくるのではないでしょうか。
―女性医師が日本で活躍するためには、どんな努力が必要だと思われますか?
女性医師が自分をプロモーションできない理由の1つには、気後れしてしまう女性特有の気質があると思います。例えば男女で同じ学歴、成績でテストを受けて、結果は同じ点数でも、男性は受験直後、「うまくいった!合格している」と思うのに対し、女性は「あそこは間違ったかもしれない、落ちているかも」と考えてしまうというデータがあります。男性は自信があり、女性は不安になる。これは男女の性差のようなものなので「その気持ちを克服する」という気持ちを持つことが大切だと思います。
それから、給与や待遇にはどうしても性別格差があるので、女性は積極的に、給料や休日の交渉をしなければなりませんが、交渉力についても男性に比べると低いと明らかになっています。この点に関しても、やはり女性自身が自分を見くびらずに自信を持ち、克服していくことが大切だと感じています。
一方で、システムも変えていく必要もあります。女性はどうしても、結婚や出産など大きなライフイベントとキャリアアップの機会が重なってきます。ですから、そういった中でも女性が安心してキャリアアップできるようサポートする仕組みづくりは必要ですね。
―医師が働く環境を変えるために、先生が取り組まれていることを教えてください。
医師のリーダーシップの重要性、女性の医師としての意識の向上については、日本でも時々講演や講義を行なっており、個人的にメンターのようなこともしています。今後はもう少し時間に余裕ができるので、私が通っていたカーネギーメロン大学院とも提携して、リーダーを育成するプログラムを作りたいですね。また、日本でリーダーを目指す方が、この大学院で学ぶ機会も作りたいです。日米の橋渡し的存在になり、両方の医師のリーダーシップをプロモーションする活動をしていきたいと考えています。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2023年7月24日