離島での医師とは
先生は四年制の大学を卒業されてから医師を目指されたと伺いました。きっかけはなんだったんですか。
元々、一橋大学の社会学部出身なのですが、当時インドのスラムを訪れ、「1日1ドル以下の生活をしている人たちが本当に生きて行けなくなるのは、家族の誰かが健康を害したときだ」、というのを目の当たりにしました。
これがきっかけで、医療政策に興味を持ちました。
卒業論文は「戦後沖縄の公衆衛生」というテーマで、国内唯一の地上戦があった沖縄が、なぜ日本一長寿となったのかについて書きました。その後、実際に医療に関わろうと、長崎大学の医学部に編入しました。
医学部卒業後、離島に。
はい。卒業後は沖縄県立中部病院で研修し、その後2年間、同じ沖縄県の離島、粟国島(あぐにじま)で島唯一の診療所の医師になりました。
まずは、行政や産業、教育機関、高齢者福祉施設など、一通りの社会機能がそろった場所で、目の前の患者さんと地域全体を見渡した医療をしたかったのです。
粟国島(あぐにじま)とはどんな所でしょうか?
粟国島(あぐにじま)は53ある沖縄県の島の1つで、那覇から西北に60kmに位置する人口約800人の島です。
かつては約5000人が住む島でした。人口減少の主な原因は島内に高校がなく、子どもを持つ世帯のほとんどが、進学を機に家族で島外に出てしまうことです。年少人口の減少に伴い、高齢化率も37%になりました。
従って、診療所に来られる方は主にお年寄りです。
実際に働いていて、離島ならではの事や驚いた事はありますか?
沖縄にある53の離島うち、39の島に人が住んでいるのですが、その中の18の島には医師が一人しか居ません。粟国島もその内の一つなので、赴任した医師は医療に関する全ての領域に関わり、様々な判断をする場に直面します。
診療面では、内科・整形外科・小児科を始め、外科、皮膚科、精神科など全てに対応し、入院や精査等必要に応じて本島の病院を紹介します。
また診療所の管理以外に、島内の老人ホーム嘱託医、学校医、保健所長のような役割など果たすべき様々な役割があります。
その時その時で一人での判断を迫られますが、週に一度は必ず他離島の医師とともにオンラインで一週間の振り返りを行い、症例や感情の共有、フィードバックを行ないます。
その他、ドクター・ヘリや親病院のスタッフの方々とのテレビ会議も定期的に開催し、連携を深めています。困った時にはメールや電話でのコンサルトなど、本島の医療スタッフも快く応じてくれます。
赴任して驚いたことの一つは、予想以上に緊急ヘリ搬送が多い事でした。緊急の入院や処置を要する患者さんは、本島の病院にヘリコプターで搬送をします。沖縄本島周辺の、医師一人で勤務する9 離島からの搬送では、粟国島からの搬送が全体の約4割を占めており、その搬送の75%は65歳以上の高齢者でした。
1日3回以上ヘリ搬送する日もあり、毎日夜中1時帰宅は当たり前。
このままだと自分が倒れてしまう、と感じました。
それなら重症化する前に、予防をする道があるはずだと考え、動き出したのです。
まずは粟国島の人々、歴史や文化について学ぼうと考え、島内を歩き始めました。
粟国島の歴史から学ぶ
実際にはどんなことをされたのでしょうか?
医療の歴史だけでなく、土地の歴史や文化の本を読み、書き残されていない口承の伝統や祭りを聞きメモして回りました。
粟国島では時として、医師よりも「ノロ」と呼ばれる巫女、シャーマンを信じる文化があります。例えば、風邪が2週間治らないと「まぶい(霊魂)が落ちているから、ノロに頼んでとりにいってこんといかん」といった具合です。
地域の人達にとって癒されるもの、大切なものを観察することで、コミュニケーションが大きく変わりました。
また、休みの日や往診の時間を使って島中の高齢者のお宅を訪問しました。「新しく赴任してきた医師です」と挨拶すると、皆お茶に誘ってくれました。
訪問してみて分かったのは、家の中の段差などの住環境や、食生活の傾向、そして周囲に人がいない独居高齢者世帯がとても多いということです。
昔は独居の高齢者が体調を崩しても、隣近所に多くの住民が居たので助け合うことができましたが、今は人口が減ってしまったため、早期発見が難しくなってしまったのです。
軽い風邪の段階で発見されていれば済んだものが、肺炎になり悪化した結果、緊急ヘリ搬送になってしまう。動き回っていた結果、その流れが見えて来たのです。
人口減少によって緊急ヘリ搬送が増えてしまったのですね。先生はどのような対策をとったのでしょうか。
私一人が動いて仕組みを作っても仕方ないので、地域の方と一緒に考える事にしました。そこで、診療所に村役場の方や医療関係の方を招き、月に1度、お菓子をつまみながら意見交換をする「ゆんたく(沖縄の方言で「おしゃべり」)会」を始めました。
数回開催すると、島の医療福祉に関してたくさんの意見がでてきました。今までは皆知り合いでも、一緒に考える機会がなかったので、こういった会を開く事は大きな進歩でした。
初めはどう対策したらいいかわからないという状況でしたが「ゆんたく会」を続ける中で、島内のホームヘルパーさん(訪問看護師)の予算が余っているのではないかと言う事に気づきました。
実際、島内に新しくできた老人ホームに、それまで訪問介護を受けていた高齢者が入った為、ヘルパーさんの出勤日が週5日から2日に減っていました。ならばその予算が余っているはずだと予想したのです。
そこで、ヘルパーさんたちに協力してもらい、まずは島内の介護ニーズを調べてもらいました。緊急搬送のリスクが高い独居高齢者世帯や老老介護世帯を、色分けしながら地図に書き込んでもらい、リストアップしてもらったのです。
その後、作った地図をもとにして、リストアップしたお宅に週2回訪問し、血圧測定と声かけをしてもらいました。訪問した際は必ずメモを残してもらい、診療所にその内容を報告してもらいました。
通常の情報交換としてはオンラインツールも使い、刻一刻と変化するお年寄りの状況をオンタイムで役場介護担当者、ヘルパーさん、老人ホームスタッフ、ケアマネ、診療所の間で共有できるようにしていました。
足で得た情報が活きたのですね! その結果はどうなったのですか。
緊急ヘリ搬送の数は、私が粟国島に赴任して1年目で53件から31件、さらに2年目で31件から25件へと減りました。もちろんこの事以外にも様々な要因があります。それでも村役場の方に激減したグラフを見せると、ヘルパーさんの見回り予算として年間200万円を、議会予算から毎年出していただけることになりました。
この活動で重視したのは、住民の皆さんの主体性です。私が何をしたという功績が残っても意味はなくて、この地域見回りの仕組みを「みんなで作った」という感覚を共有することと、仕組み自体が残ることが大切だと思っていました。
そのためには、ボランティアベースだと続かないと考えていたので、予算をきちんとつけて、システムとして定着させる一歩を踏み出せた事がとても嬉しかったです。
粟国島からは3月末に離れてしまいましたが、今も見回りは続いています。
2年間の離島での生活を終えた現在の活動、そして長嶺先生の今後について教えて下さい。
現在、千葉大学予防医学センターにて「健康の社会的要因」の疫学研究に携わっています。ここでは、アンケート調査から、要介護状態になりづらい人の要素などを洗い出し、取り組みとしてまとめたものを自治体や厚労省に政策提案をするのが仕事です。
離島の医師生活では、まさに現場を見てきました。
ゆくゆくはその経験を活かして、地域を「まるごと診る」医療のあり方をデータベース化し、様々な地域で人と地域全体を両輪でケアをすると、どのような効果があるのかをまとめていきたいと思っています。
また、今後は自治体や厚労省、国連など、様々なレベルで医療政策に関わってみたいと思っています。
CoffeeDoctorsの読者へ、メッセージをお願いします!
普段医師に会う機会が少ないかもしれませんが、医師は皆さんの想像以上に患者さんのことを考えています。
基本的には最初は同じ病院にいき、かかりつけ医を作る事をお勧めします。情報がそこにたまるので、医師はあなたの体を治療しやすくなります。
あなたの医療ヒストリーのみならず生活背景などにも想いを馳せてくれる医師ならば、よりよい医療を提供できるでしょう。
ライター・インタビュアー/松澤亜美