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INTERVIEW

志摩市民病院

内科

江角 悠太

患者さんとの交流からキャリアは生まれる

2016年の「伊勢志摩サミット」開催地として度々ニュースで耳にする三重県志摩市。旅行先などとして話題になりますが、生活する地として見てみると他の地方都市と変わらず、医師不足に悩まされています。内科医が2年間不在だった志摩市民病院では2014年冬、やっと一人の若手医師が総合診療科医として着任し合計4名となりました。ところが2016年春、新しく着任した1名を除いた3名が退職されることになりました。2014年に着任し今春から院長を務める医師は、江角悠太先生。危機的状況でも患者さんのため、地域住民のためと奮闘する江角先生の思いを伺いました。

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オーダーメイドの医療がしたい

-2016年4月から志摩市民病院の院長になると伺いました。

はい、今年度で私以外の全員、院長を含む外科医2名と整形外科医1名が退職されることになったのが2015年11月でした。1人では病院存続不可能なので、そこから2カ月間さまざまな先生に協力をしていただき、総合診療医の常勤1名と非常勤3名が加わり、病院存続することができそうです。

この病院は人口の減少とともに、患者数の減少、スタッフ不足、病院機能の縮小、赤字増大という状態で、存続が危ぶまれていました。診療所への転換や閉院となれば、透析の患者や通院もままならない高齢者、「施設でなく家に帰りたい」と願っている患者など、すでに社会的弱者である住民から、更に生きるための安心や夢、希望を奪ってしまう。市民病院としてどうしたら地域の住民により貢献できるのかを考えるため、昨年12月から志摩市内にある5つの町それぞれでタウンミーティング(住民との意見交換会)を行いました。

「私は困っていないから、赤字の病院はいらない」「給料泥棒」「病院をつぶして、道を敷こう」など厳しい意見も出た中、「安心して暮らしたい」「なにかあった時に心配」「残ってくれてありがとう」「応援します」「見捨てんでくれ」と、1つのみかんをくださったこともありました。目の前にこれだけ多くの助けを求めている人がいる中で、市民病院としてできることはまだたくさんと考えました。

-志摩市民病院に赴任するまでは、どのようなご経歴を歩まれたのか教えていただけますか?

三重大学医学部を卒業して、研修先は沖縄中部徳洲会病院を選びました。「絶対に助けを求めてくる患者を断らない」これがあの病院の精神です。当たり前のことですが、さまざまな事情から簡単にできることではありません。しかし私が今、どんな時でも一人も患者を断ったことがないのは、あの病院で叩き込まれた精神があるからです。

また、「目の前の命だけをどれだけ助けていても、すべての人は助からない。人間は歳をとると命よりも大事なものがでてくることもある。私たちが助ける対象は命でなく、その人自身。命は、助ける対象の一部分でしかない」ということも、あの病院の患者さんから教わりました。

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PROFILE

江角 悠太

志摩市民病院

江角 悠太

2009年三重大学医学部卒業。沖縄県中部徳洲会病院での初期研修を修了後、2011年より後期研修医として三重県内の地域基幹病院、大学病院で研修。船医も経験した後、2014年12月より三重県志摩市民病院に着任、2016年4月より同病院院長に就任予定。

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