棚田再生活動をする家庭医
―現在の働き方について、教えていただけますか?
私は、岡山家庭医療センターの湯郷ファミリークリニックや英田診療所で診療をしながら、2013年に岡山県美作市の「上山集楽」に開設した上山診療所でも週1回診療しています。上山診療所は開設当初より、毎週水曜日の午前中1時間半だけ開けています。外来は1回につき1名程度、訪問診療1名です。運営母体は、私が勤務している湯郷ファミリークリニックの運営母体と同じ、岡山家庭医療センターです。
―どのような経緯で上山集楽に診療所を開くことになったのですか?
きっかけは、岡山家庭医療センターに勤務を始めて1年後、上山集楽に住み始めたことです。移住とほぼ同時に上山診療所を開きました。もともと私は、自分が住んでいる土地で診療をしたいと考えていたんです。
上山集楽には、「英田上山棚田団」という棚田再生活動を行う団体がいます。研修医時代に知り、面白い団体だと思っていました。湯郷ファミリークリニックに勤務するようになってから、クリニックの先輩医師が棚田団の見学に連れて行ってくれ、それ以降、活動に参加していました。交流を続けていく中で、上山集楽に住むならここで医療もやりたいということを話していたんです。すると、かつて民宿で今空き家になっている建物の大家さんが、「空いているから、どうや?」と言ってくださったと思ったら、本当に診療所を作ってしまったんです。
医療をやりたいとは言っていたものの、具体的にはあまり考えていなかったので、正直驚きましたが、岡山家庭医療センターが運営母体となってくれたおかげで、開設までは非常にスムーズで、半年程で開設することができました。
―なぜご自身が住む地で診療をしたいと思っていたのですか?
父の影響が大きいですね。父は子どもから高齢者まで診ていて、夜中でも連絡があったら往診に行く、いわゆる「町医者」でした。そのように自分の住んでいる地域の方々の健康を支えていました。
家庭医は、仕事をする場所と住む場所を分ける人と、一緒にしたい人に分かれると思いますが、私は絶対に一緒にしたいタイプでした。だから上山集楽に住むならそこで絶対に医療したいと思っていました。他にも家庭医として地域の方々を診ていくためには、その土地の自然環境やリスク、住環境や文化、1年間のリズムなど地域のことが分からないと、住民のバックグランドも理解できないと思います。
あえて医療資源の少ない地域へ
―これまでのキャリアを教えていただけますか?
私はもともと研究者志望でしたが、父の影響もあり、医師を目指すようになりました。ところが大学病院の見学に行ってみると専門分化された先生方が働かれていて、自分が将来そのように働くというイメージが持てず、何科に行きたいのか分からないままでした。そんな中、このことを見学に行った病院で相談したら、それなら家庭医療がいいと教えてもらい、初めてプライマリケアや家庭医療を知ったのです。より詳しく聞くと、家庭医はまさに私がなりたい医師そのものでした。名古屋市内の協立総合病院で初期研修を修了後、尼崎医療生協病院で家庭医療後期研修を受けました。
―その後、岡山家庭医療センターに赴任されたのはなぜですか?
大阪や名古屋、尼崎は人口が多く、医療資源も豊富です。そうすると患者さんは、ひざが痛かったらあちらの整形外科、認知症の心配があったらこちらの脳神経外科、精密検査が受けたかったらまた別の病院と、ある意味選びたい放題です。そのような地域で家庭医をしていると、どうしても内科疾患の患者さんの割合が高く、かかりつけ医としての役割を十分果たしている感覚が持てませんでした。
私は、患者さんのバックグラウンドも知り、何でも診られるかかりつけ医になりたいと思っていたのですが、患者さんはそれを望んでいるわけではない―。その点に、都会で家庭医をやることに限界を感じ、医療資源が少なく、一人の医師で何でも診なければいけない環境で家庭医としての経験を積みたいと思い、湯郷ファミリークリニックでの勤務を始めたのです。
医療だけでない地域課題にコミット
―現在、上山集楽で感じている課題はどのようなことですか?
上山集楽には、80代、90代でも農業をなさっている方もいて、元気な高齢者がたくさん住んでいます。ところが、里山が近く坂が多いので、車がないと移動がかなり困難になり、昔ながらの古民家が多くバリアフリーもないので、元気でなくなると住めなくなる地域でもあります。また、家と家との距離が遠いので、万が一何かあっても誰にも異変に気付いてもらえないかもしれないとの精神的不安を、高齢者ほど抱えています。
「自立して移動できる」ことが生活のキーになっているので、歩行機能の低下や運転ができなってしまうと、一人の生活がかなり困難になり、住み慣れた地域での生活を諦めざるを得なくなります。
また、移住者が多いため働き世代はいるのですが、平日日中は集落の外に働きに出てしまっていて、高齢者の介護ができる人たちがごくわずかだったり、子どもたちの移動に親が車を出して対応しなければいけないので、親の仕事が制限されるという課題もあります。
―そのような課題がある中、今後、玉井先生はどのようなことに取り組んでいきたいと思っていますか?
上山集楽に住み始めてから4年経ちました。当初は学会の若手医師部会の仕事やセミナーの運営などにも携わっていたので、休日外出していることが多く、上山集楽にいる時間がなかなか取れませんでしたが、ようやく今年になってからそれらの仕事もひと段落し、上山集楽での活動に当てる時間を増やすことができました。
そのため、これから上山集楽のことを深く考える時間を持って、医療が地域にどのように関わると皆が幸せになるか突き詰めていきたいですね。ちょうど今、上山集楽でも医療福祉のネットワークづくりが行われ始めています。他にも一般財団法人トヨタ・モビリティ基金の助成を受け、「上山集楽みんなのモビリティプロジェクト」というプロジェクトも進めています。これは、コムスという超小型電気自動車を活用して、地域におけるモビリティ機能を高め、生活・経済活性化を図るものです。
そしてこのプロジェクトを通して、家の片付けや電球の取り換え、庭の草むしりなど、介護保険ではカバーできない問題点が浮き彫りになったので、英田上山棚田団と地域住民で「助け英田しちゃろう会」を結成、地域通貨を運用しながらお互いに助け合う取り組みを始めました。
それぞれの取り組みが今後どのように発展していくかは未知数です。しかし、だからこそ面白くワクワクしています。また、例えば、移住者の増加に伴って子どもも増えているので、夜間子どもが体調を崩しても安心して暮らせるように往診を取り入れたり、高齢者と一緒に農作業をしている中で、何気ない会話からその方の健康を把握し、適切なタイミングでの治療を進めたり、医師としてできることもたくさんあると思います。今後の発展が未知数な上山集楽で、今後も医師として「地域のためにできること」を考え、実践していきながら、暮らし続けていきたいですね。