離島の診療所のような「コミュニティ・クリニック」
―現在取り組んでいることを教えていただけますか?
2016年、医師12年目で父の運営する今立内科クリニックに在宅診療部を立ち上げました。私たちのクリニックでは在宅診療部立ち上げによって、外来診療から在宅医療までを一貫して担うことができる体制ができました。
午前中は外来診療を行い、午後から5~7件のお宅を訪問するスタイルで診察を行っています。毎月60~70名の患者さんを在宅で診ていて、昨年は30名程の患者様のお看取りをさせていただきました。在宅診療部を立ち上げて約2年、少しずつですが、かかりつけの患者さんを地域の中で最期まで診ることができるようになってきました。
私たちが目指しているのは、離島の診療所のような地域のニーズに丁寧に答えることのできる「コミュニティ・クリニック」になることです。福岡県久留米市は人口あたり医師数も医療機関も多い地域ですが、在宅医療の提供はまだ十分ではないと感じています。もちろん在宅医療の文化がないわけではないのですが、医療機関が多いためか病院で最期を迎える方が多いです。ただ、地域の人にとって、慣れ親しんだ場所でより長く過ごしたいという思いはきっとあると思うので、そのようなニーズをくみ取り応えるのが「コミュニティ・クリニック」の責任だと思っています。
―どのような経緯で、今の取り組みをするようになったのですか?
原点は、大学3年生の春休み、沖縄県の離島に1カ月間滞在していた時のことです。学生時代はバックパックで東南アジアなど海外を旅行していたのですが、ある年に船に乗って沖縄県の離島を巡り、最後は台湾まで南下する予定で旅に出ました。本当は台湾まで渡る予定だったのですが、沖縄の島で、人と人とが互いに関わり合いながら暮らすコミュニティのあり方に魅了されてしまい、結局は台湾まで行くのをやめて、そのまま1カ月間を離島で過ごすことにしてしまったのです。
人と人との関わり合いに魅了されたと同時に「医師としてこのような地域で働くには、どのような技術が必要なのだろうか」と、離島医療にも興味が湧いてきました。その経験から、大学4年時には沖縄県の離島診療所に見学にいくなどしながら、離島で医療を提供できる医師像を理想としてイメージするようになっていったのです。
医師としての土台ができた離島医療
―それで総合診療医を目指して、長崎医療センターでの研修を受けられたということですか?
そうですね。長崎医療センターは新医師臨床研修制度が始まる前から研修医教育に取り組んでいた病院でした。さらに長崎県にはたくさんの離島があって、そこに勤務する医師を養成する病院でもありました。総合診療科もあって、自分が目指す医師像に近い研修ができると思い、長崎医療センターで研修することに決めました。
―離島の診療所にも赴任されていますよね?
そうです。小値賀島という長崎県五島列島にある人口3000人程度の小さな島で、約3年間地域医療に従事しました。旅行者として沖縄の離島を訪れた時とは違い、今回は地域住民のひとりとして暮らしながら、医療を提供し、島民の健康を守り、希望があれば最期まで島で診る。もちろん、何でも診なければいけないのは想像以上に大変でしたが、同時にやりがいもありました。
また、ただ診療所の椅子に座って患者さんを診察しているだけじゃ、地域を診る医師としてはダメで、自ら地域に出ていかないといけない事にも気付かされましたね。
例えば、北海道夕張市の取り組みをみて、肺炎球菌ワクチンを公費で受けられるように自治体に働きかけ予防医療にも取り組みました。しかし、ある程度まで接種率が伸びたところで頭打ちになり、いくら予防接種を受けやすいように費用負担を減らしても、それだけでは地域は変わらないと知りました。
診療所で待っているだけではダメなんですよね。診療所にアクセスできない人を拾い上げるためには、自分が診療所から出ていかないといけないと学びました。
そこで、私は保健師さんが島内の地区ごとに巡回しているのに同行させてもらい、住民の日常を知り、それに合わせて自分ができることを探るように意識を変えていきました。診療所から町の風景を見て知ったつもりになっていましたが、診療所からは想像以上に見えていない部分がたくさんあるという、ある意味当たり前かもしれませんが、とても重要なことを離島医療では学ばせてもらいました。
地域に密着し、ニーズをくみ取るクリニックへ
―離島の診療所勤務を終えた後にも、長崎県離島へき地医療支援センターで離島診療所の代診や、若手医師の育成に関わりながら離島医療に貢献されていました。なぜ今立内科クリニックに入職しようと思われたのですか?
やはり最終的にはクリニックを継ぐことになるとは思っていましたが、もっと先でもよいと考えていました。正直、もっと経験を積んだほうが後々地域住民の方の役に立てるとも思っていました。
そう考えていたにもかかわらず医師12年目で入職したのは、地域に根差して関わり続けていくためには、できる限り長くその地域との関わりを持っていくことの方が重要だと思うようになったからです。医師20年目で入職するより、いま入職した方が長く地域と関われる、そう思いました。
また、現在、今立内科クリニックで一緒に診療している江口幸士郎先生との出会いも大きな理由です。江口先生は、同世代で同じ久留米市出身の家庭医でした。そして、久留米市で在宅医療を充実させたいと考えていました。2人で意見を重ね合いながら、地元久留米で地域に寄り添いながら在宅医療を提供するクリニックを目指そうという話になり、2人そろって今立内科クリニックに入職し、在宅診療部を立ち上げることになったのです。
―今後はどのようなことに力を入れてきたいと考えているのですか?
住民の方々に在宅医療ではどんなことができるのか、在宅医療という選択肢があること自体を知っていただく必要があると考えています。
在宅医療のことを住民に知ってもらうために、当院で広報誌をつくりで住民への広報活動を始めました。がん患者さんで在宅医療を利用した方の体験記など、当院の在宅診療で出来ることを発信して、住民の方に在宅医療という選択肢もある事を知らせていこうとしています。ゆくゆくは、これがクリニック広報誌としての役割にとどまらず、住民の方が医療に関して何か意思決定ための支えとなるよう発展させていきたいと思っています。どのような医療を望むのかは、地域住民の一人ひとりが決めていくことだと思っています。その意思決定の支援をしていきたいと考えているのです。
また、クリニックへ受診するとき以外でも気軽に来てもらえるようなスペースにしていきたいと考え、ピアニストや人形浄瑠璃師を招いて、演奏会や公演を開いています。クリニックを地域の方々が集まる場にしていくことで、さらに住民の方のニーズをくみ取っていく手助けになり、「コミュニティ・クリニック」として地域への責任を果す足掛かりにしていきたいと思っています。
そしてさらには、総合診療専門医の育成にも関わっていきたいと考えています。2016年に久留米大学医療センターに総合診療科が開設され、今立内科クリニックは教育連携施設となりました。総合診療後期研修プログラムの関連施設として、後期研修医を受け入れる予定です。若手医師や医学生たちが地域に出ていくためのフィールドとしても機能していきたいと考えています。そして、そのプログラムの卒業生から、いつか離島医療を支えてくれる医師が出てきてくれたら、私としては嬉しいなと思います。