外科医、大学院生、物書き――3つの顔
—現在、取り組んでいることを教えてください。
福島県にある総合南東北病院に外科医として籍を置きながら、今年4月から京都大学 大学院医学研究科 社会健康医学系専攻で公衆衛生を中心に臨床研究、臨床遺伝学などを学んでいます。
公衆衛生を学んでいるのは、一般向けのニュースサイトなどで執筆をすることになり、医療全体を俯瞰し、見識を広げたいと思ったからです。「日本の医療費はどうなっているのか」「厚生労働省は現状をどのように捉え、今後どのような制度を行うとしているのか」などは、臨床医をしているだけでは見えてきません。
さらに京都大学大学院では、公衆衛生と同時に、臨床研究の方法や実践を学ぶことができます。将来は総合南東北病院に戻り、手術をこなしながらも、臨床研究も取り組んでいきたいと思っていたので、公衆衛生と臨床研究の両方が学べる京都大学は最適な環境でしたね。
また、公衆衛生を学ぶきっかけになった執筆活動では、複数のニュースサイトで医療情報に関する記事を執筆する以外に、今年8月にはクラウドファンディングを活用して、自分にとっては2冊目となる『医者の本音』(SB新書)という書籍の出版もしています。
—大学院で学びながら執筆活動を行っていますが、医師として、現状の医療にどのような課題を感じていますか?
やはり、一番の課題は「医療費の増大」と「高齢化の進展」ですね。厚労省では6年前から、医療の費用対効果に関して議論するために中央社会保険医療協議会費用対効果評価専門部会を設置して、高額の抗がん剤などをリストアップし、議論をしています。この状況を知っている人はほとんどいないので、メディアなどを通じて積極的に発信していきたいと考えています。
そして「医療費の増大と高齢化」に関連して、日本の病床の再編も始まります。厚労省では、ここ10年で急性期病棟を減らし、慢性期と回復期の病棟を増やす計画をしています。それによって、若い医師たちはキャリアの方向転換を余儀なくされつつあります。
私が医学生の時には、より先進的で、より患者さんの多い病院で、最も難易度の高い技術を習得するのが1つのゴールでした。しかし今はそうしたニーズよりも、国の医療を支える医師が求められています。いわゆる訪問診療医や家庭医です。そのため、これまでそういう視点や考えのなかった医師も、キャリアを大きく変える流れが生まれてきそうです。私が行っている執筆活動も、医師の新たなキャリアの1つになるかもしれません。
病院というブランドにあぐらをかかない
—これまでのキャリアを教えてください。
外科、救急科、小児科、この3つのなかでどこに行こうか1つに選べずに、悩んだ末にマッチングで決まった病院で精一杯自分の技術を磨こうと、3つの診療科をすべて受験しました。最終的にマッチしたのが都立駒込病院。外科のレベルが高いことは世界的にも有名で、外科医だけで30名ぐらい在籍していました。ここに決まったことで外科医になる決意をし、研鑽を積んでいました。駒込病院では、大腸がんや胃がんのような大きな手術数が多く、初期研修が終わる頃には、がんのステージングがだいたい理解できるまでになっていましたね。
その後も非常勤スタッフとして残り、浴びるほどの手術を経験、10年目あたりには、大腸がんの高難度の手術もできるようになっていました。
そして、駒込病院で指導していただいていた先生が「総合南東北病院で一緒にやらないか」と声をかけてくださいました。手術だけでなく、臨床研究でも高い業績を上げていたその先生のもとで学びたいと思い、2017年4月から総合南東北病院で勤務することになりました。そして、病院から1年勉強してきていいと言ってもらっていたので、2018年4月に京都大学の公衆衛生大学院へ進学し、来年に総合南東北病院に戻る予定です。
—10年も勤務していた病院を出ようと思ったのは、どのような理由からですか?
駒込病院というブランドにあぐらをかいては、医師としての進歩がない。次は技術だけではなくて、それ以外の人間関係や地域との関わりなどをもっと学ばなければならない、という強い想いがありました。幻冬舎社長の見城徹さんの言葉ですが「暗闇の中でジャンプする」———そんな覚悟をもって挑みました。
また、周りの友人の活躍も大きかったと思います。例えば、医師の友人が海外でひとまわりも大きく成長して帰ってきたり、弁護士の友人はアメリカに行って、ニューヨーク州の弁護士資格を取得して帰国したり。かなりフレキシブルに活躍している姿を目の当たりして、自分一人だけドメスティックに、1つの病院の中でいることに危機感もありました。
患者や一般の人のためになる研究や情報発信
—現在、臨床研究はどのようなテーマで取り組んでいるのですか?
すでにいくつかのテーマを進めていますが、1つは熟練外科医の指導のもと、若手外科医が行う手術は、エキスパート自らの執刀と比べて質の差は許容範囲内なのか、という研究です。
教える側は感覚で若手に教育タイミングを指示するのではなく、若手のスキルを理解して、かつ手術の質を担保できるように指導しなければいけません。現在の教育システムで、それがきちんとできているかを科学的に検証し、将来的には「外科教育の標準化」を実現していきたいと考えています。
他には、インフォームドコンセントに関する研究です。執刀医が手術の前日に、文字や絵を使って手術の内容を患者さんに説明していますが、患者さんがどのくらい理解して手術に臨んでいるか、よく分かっていません。そこで、それを調べる研究を実施しています。
意外にも、欧米でもこの分野の研究実績はほとんどないようです。進行中の研究では、年齢や学歴によって理解度に差が出ています。将来的には、医師の説明が伝わりにくい人にも理解していただけるアイテムや方法などを確立していきたいと思っています。
—中山先生は物書きとして患者さんに対して考え方や情報を発信していますが、それによってどのようなことを実現したいと考えているのですか?
数年前に、不正確な医療情報を発信したキュレーションメディアが問題になった事件がありました。この背景には、専門的な知識を持つ医療提供者と、一般の人々(医療を受ける側)との間に大きな情報格差、つまり「情報の非対称性」がありました。この現状を解消することを、私はミッションとして掲げています。そのために専門的な知識・技術をもつ医師を集め、世の中にエビデンスのある正しい医療情報を発信していこうと考えています。
なかには医療分野に特化した記者に取材をしてもらって、発信していけばいいのでは、というご指摘もいただきます。しかし、私はそれだけでは不十分だと考えています。それには2つの理由があります。1つ目は記者さんのなかにも医学的知識の正確性に欠ける人がいるからです。そのせいで、メディアを完全に拒絶する医師も少なくありません。
2つ目は、記事のきっかけになるような課題感は現場からしか生まれないからです。だからこそ、現場を知る医師や看護師などの医療従事者自身が発信することに価値がある。だから、そういう人を増やして、正しい情報を一般の人々に伝えていきたいと思っています。
現在、私の組織には20人強の医師が賛同して活動に加わってくれています。発信といっても、記事を書くだけでなく、TVなどのメディアに対して、テーマ選定や表現方法の助言をするコンサルティングのような形もあり、形態は何でもいいと思っています。医師の中には自分たちが発信していくことの重要性を認識している人は多くありません。そのため発信する医師団を作って、医師の世界に風穴を開けたいと思っています。そして一般の人々との情報の非対称性をすこしでも改善し、日本人の健康と幸せにつながっていけばと考えています。
(インタビュー/北森悦、文/西谷忠和)