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臨床医と国際支援がしやすい仕組みづくりを両立させたい

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後期研修2年目の中西貴大先生は現在、悩みながらも理想を追い続けようとしています。学生時代から人と違ったことをしながら、自分だけにしかできないことを模索する中西先生は、どのようなことに取り組みたいと考えているのでしょうか。

◆医師の原点と、キャリアの原点

―どのようなきっかけから医師を目指したのですか?

私はもともと心理カウンセラーや、精神科医に興味を持っていました。しかし高校生の時に福知山線脱線事故が発生。これが自分の人生において大きな出来事でした。

福知山線は私も生活で使っていた路線。事故のあった日、普段使っていた路線の雰囲気は一変していて衝撃を受けました。事故現場ではケガをした人が運ばれていくものの、病院もパンク状態。亡くなっていく方もたくさんいました。日常生活を送っていたすぐそばで、何人もの方が亡くなっていくのに自分は何もできなくて、すごく無力感にかられたんです。そして「こんな無力感はこれ以上味わいたくない」と思った時に、医師になることを明確に決意しました。いくら浪人しようとも絶対に医師になろう、と心に決めたのです。

―医学部に入学後は、どのような経験をされたのですか?

1年生の時に東南アジアの発展途上国に行きました。これも自分の人生の中の大きな転機になりましたね。

以前、4歳上の兄がフィリピンのワークキャンプに行き、向こうの子どもたちは目の輝きが違う、と本人の目の色も変わって帰ってきたんですね。それを見ていたので、ずっと行ってみたいと思っていたのです。

実際に行ってみると、現地の人がとても生き生きしているとともに、これまでには出会ったことのない人たちに数多く出会いました。年齢や性別、バックグラウンドもさまざまで、仕事を全くしていないのに半年や1年も現地にいる人もいました。医学生の多くがそうだと思いますが、それまでの人生はいわゆる優等生として歩んできていて、「なんて狭く偏った社会に生きてきたんだろう」と衝撃を受けましたね。

その時出会った同世代の一人は、宇都宮市在住の大学生。彼は、自分で組織を作ってインドとフェアトレードを行い、大学前のカフェで販売や食事の提供をしていました。「学生でもこんなことができるんだ」と驚きましたね。それまでは、全くこのような世界を知らなかったのですが、自分もいつかやりたいと思うようになりました。

ところが帰国すると日常生活があり、アクションを起こすまでの道のりが遠く感じられました。ただ、気になる講演会などには参加していくうちに、学生団体がいくつもあり、全国各地でさまざまな活動をしていることを知るようになりました。そして「将来医師になる者として、自分は医療の分野で世界にアプローチしよう」と決めて、2年生の終わりに団体を立ち上げました。

―どのようなことに取り組んだのですか?

ラオスの診療所増築に取り組みました。ラオスの大学と三重大学が提携を結ぶことになったので、ラオスの大学の教授を紹介してもらい、ニーズ調査、地域の選定、プロジェクトの決定、資金集めまでの全てを行ったのです。最終的に、私が大学4年の冬に診療所の増築部分が完成、開院式をすることができました。

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医師プロフィール

中西 貴大 後期研修医

1989年生まれ、兵庫県出身。三重大学医学部に進学し、2015年に卒業。初期研修は、医療法人沖縄徳洲会湘南鎌倉総合病院にて修了。現在は、公益社団法人地域医療振興協会練馬光が丘病院にて総合診療科と救急科の後期研修中。

中西 貴大
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