医師6年目の向川原充先生は2019年、日本の臨床現場を離れ、次なるステップとしてハーバード大学ケネディ行政大学院に進みます。グローバルヘルス領域に携わりたいと考え続けていましたが、キャリアパスには悩む点、想定通りにいかなかった点もあったようです。どのようなキャリアパスを選択し、グローバルヘルス領域に進もうとしているのでしょうか。
◆WHOインターンがキャリアパスの転機
―グローバルヘルスに興味を持ったきっかけから教えていただけますか?
父が主に海外を拠点とするエンジニア、母が英語教師だったので、語学を使って海外で働くことが仕事だと思っていました。そのような家庭環境が影響したのか、もともと将来は外交官になりたいと考えていました。一方で、小学生の時に祖父が亡くなった際「人の死に目をちゃんと見ておきなさい」と言われたことがずっと頭の片隅に引っかかっていて、高校生の時に、何をするにもまずは医療現場を見ておきたいと、医師を志すことを決めました。
ですから、東京医科歯科大学入学時から、国際×医療の領域で何かできないかと考えていて――いわゆるグローバルヘルス領域ならその両方が実現可能なのではないかと考えたのです。
―それで大学4年生の時に、WHOのインターンに参加された。
そうですね。WHOのインターンは、地域事務局とジュネーヴの本部の2種類に大きくわけられます。ジュネーヴの本部では、各国の現場から上がってきた情報を基に、さまざまなことを判断していく部署が多いと思います。
私は2カ月間、WHOのヘッドクォーターと呼ばれる本部でインターンしました。物事が決まっていく様子を目の前で見られたのは、自分にとって非常に大きな経験でしたね。というのも、当たり前ですが現場から入ってきた情報を前にして、何が大事なのかを考え判断する力が、自分にはまだないことを痛感させられたからです。一度臨床現場をしっかりと経験し、その上で最終的に国際機関の本部に行きたいと思うようになりました。これが、インターンに参加して一番大きな収穫でしたね。
当時は、とにかく早く物事を決める現場で働きたいと思っていて、卒業したらすぐにでもWHOなどの国際機関に行きたいという思いが強かったですから。でもインターンに参加したことで、まだ行くべきタイミングではないことが分かり、最終的な目標は変わらないものの、自分の中でキャリアパスが少し明確になったように思います。
―それで、初期研修は沖縄県立中部病院に行かれたのですね?
そうですね。臨床現場の経験が必要だと思い、初期研修を受けることにしました。沖縄県立中部病院を選んだ主な理由は、日本や世界の医療現場で活躍されている先生方に中部病院出身の方が多い印象だったのと、学生時代にお世話になっていた先生が、日本で研修を受けるなら中部病院がいいと明確におっしゃったからです。そして見学に行ってみて、非常にハードな環境でしたが、その分、短期間で成長するには適した環境だと思ったこと、メンターの先生や信頼する友人の勧めがあったことで、迷わず中部病院をマッチングの第一志望にしました。
◆いつ臨床を離れるか悩んだ
―思い通りの研修はできましたか?
臨床の力をつけるという当初の目的は明らかに達成できたと思います。一方で、臨床現場に出てみたことでいくつか思うところもありました。
例えば、救急外来には毎日何十人何百人と患者さんが来ていますが、そもそもこんなに多くの人が救急外来に来なくて良いように何か手を打てなかったのかと疑問に思いました。このように、現場で起こっていることに対して、その原因や制度上の課題にも目が向くようになりました。
―2019年、ついに次のステージへ進むとのことですが……。
2019年8月からハーバード大学ケネディ行政大学院に進み、公共政策学(国際関係論専攻)の修士過程で学びます。1年目は政治・経済・統計など基本的なことを学び、2年目は引き続き学びながらも1年間、ハーバード大学からのインターン生として、1つの組織に所属しながら政策提言などを行う予定です。
―医師6年目のタイミングにしたのはなぜですか?
正直、タイミングについてはギリギリまでかなり悩みました。実は大学院に合格したのは1年前で、そのタイミングで行くこともできたんです。
グローバルヘルス領域に進むという目標は変わりませんでしたが、初期研修が始まった時点では、臨床現場で得られることは数年間で全て得て、完璧に理解した上で次のステージに行こうと思っていました。ところが、臨床現場での経験を積めば積むほど満足感を得られることはなく、奥が深く、分からないことも増えて――。満足感を得られるまでやり続けるべきなのか、どこかで区切りをつけなければいけないのか、分からなくなった時期もありました。
そんな時ある先生から、「完璧に理解しているという自負があると、人は間違えるし、何より現場はすべてそれぞれに異なるから、わかったつもりで現場に赴くことのほうが危ない」と言われ、むしろ常に分からないことを前提に現場に出るべきであることを教わりました。それで、どこかで臨床には区切りをつけていいんだと思えたことが1つ。
そして、沖縄県立中部病院の研修の特徴とも言える離島研修を終えてから次のステップに進みたいと思ったことがもう1つの理由です。振り返ると、それは次のキャリアを見据える観点からも、とても大きな意義がありました。
初期から引き続き後期も沖縄県立中部病院で研修をしていて、最後の1年は宮古島唯一の基幹病院である、県立宮古病院に赴任しました。離島に赴任したことで、病院の外の地域との関わり、行政との関わりが多くなりました。麻疹などの感染症対策はもちろん、外国人患者診療に関する課題などを通じて、医療の現場から行政へアプローチする経験を得ることができました。こうした経験は、行政や社会の論理を垣間見るためにも不可欠だったと思います。
◆今後の展望は2通り
―今後の展望としてはどのように思い描いていますか?
自分の中では2通り考えていて、臨床現場で課題を同定し、それらの課題を公共政策学の理解に基づき解決していくか、現場ではなく研究者としてそれらの取り組みをリサーチし、世の中に発信していくか、どちらかをやりたいと考えています。
医療は社会にとって不可欠です。その医療をうまく社会の中に組み込んで、医療を通じて社会システムを再構築していくことに現場で携わる。あるいは、社会科学とデータサイエンスを融合して医療にアプローチした研究をする。このような研究はあまり行われていないと思うので、そこに関われたらとも思います。
いずれにしてもまずは、ケネディ行政大学院に進んでどのような経験を積み、どんな気持ちの変化があるかによりますし、その先はご縁で決まってくると思っています。
(インタビュー・文/北森 悦)