「理不尽な戦争、その現実に目を背けながら生きたくないと思った」そう語るのは、現在湘南鎌倉総合病院で外科医として日々研修に励む野間口侑基先生。自身も経験した阪神淡路大震災や東日本大震災での復興支援の活動から、非常事態でも貢献できる外科医を志します。ラグビーで磨き上げたタフさを生かし、紛争地での活動を志すその背景とは――?お話を伺いました。
◆非常事態でも活躍できる医師になりたい
―医師を目指した理由を教えてください。
私は神戸市で生まれ、3歳の時阪神淡路大震災を経験しました。当時、ガスや電気が止まり兄と一緒にタライに水を張ってお風呂に入っていたことをよく覚えています。その後、小学校では震災教育を受け、高校生の時には、『神戸在住』という漫画に出会いました。この作品は、東京出身の女の子が神戸に移住し、その日常を描いたもの。作中では主人公の友達は阪神淡路大震災で被災しており、その友達の彼氏が学生ボランティアをしていて。災害ボランティアから見た震災が鮮明に描かれていました。子供心にすごく感銘を受けました。この作品を読んだことも、自分が震災のような非常事態で、何か力になれる人間になりたいと思うようになったきっかけの1つです。
また、もともと父が国境なき医師団へ積極的に寄付をしていたので、そこで活躍する医師達がかっこよく思えて。それもあって過酷な環境で活躍する医師を目指すようになりました。
―医学生時代は、どのような活動をされていたのですか?
医学部1年生の3月に東日本大震災が発生し、自分はラグビー部に所属していたので、部活のオフと学校の休みが重なったタイミングで気仙沼市へボランティアに行きました。そこでは、主にがれき撤去等のボランティアに参加していました。現場での直接の経験をしたことで、非常事態の中でも特に災害のというものに興味が集中するようになりました。
その後、気仙沼で出会った仲間が「底上げ」というNPO団体を作ったのですが、その立ち上げに協力しました。当初の活動は、急性期のサポートに特化していましたが、徐々に被災地のニーズは変化し、現在では東北の高校生たちが実現したい夢を応援する活動をしています。この活動を通じて、医療とは違ったアプローチの手段に触れて、このまま医師になるかどうかを悩んだこともありました。
◆外科医とラガーマン
―悩みながらも、なぜ紛争地で活動する外科医になろうと決意したのですか?
災害現場で活躍する医師を目指そうと思い、災害の中でも解決できるものは何だろうと考えた時「戦争」が頭をよぎりました。確かに、紛争となると医師ではなく政治経済的なアプローチの方が役に立てるのではないか、とも思いました。しかし、実際に現場に立って活動したことのない人にはなりたくなくて。そして現場に行くのであれば、医師として現場に立ちたい、と初心に帰ったのです。
さらに医学部5年生の時、イラク戦争の現地で活動されていた方とお会いする機会がありました。その際に現地の活動のお話や、紛争についてのお話を聞かせていただいて。日本で普通に医師として生きていたら聞けないような内容ばかりでした。紛争解決という一見現実味の湧かない世界で、現実から目をそらさず果敢に立ち向かうその人の姿を見て、将来自分もこの世界に入りたいと思いました。
また、外科を選んだのはやはり外科的な処置が必要な場合が紛争地で多いと聞いたからです。今私が所属している湘南鎌倉総合病院での研修は、多岐にわたる疾患を学ばせていただいています。紛争地のような過酷な状況でも、医療を施すことができる外科医になるため、当病院での専門医研修を選び日々研さんを積ませていただいております。
―2017年に初期研修を終えて、今年から後期研修を受けられているそうですね。2018年の1年間はどのような活動をされていたのですか?
その1年間は、海外に渡っていました。最初の半年間は、ラグビーのためです。実は5年生の3月に、1カ月間だけニュージーランドへラグビーをするため留学をしていました。当時、上から2番目のグレードからプレーをして、過酷な環境で大変な思いもしましたが、コーチやチームメイトからある程度の評価をもらう、成功体験もありました。そのため、大学卒業後は医師に専念するつもりだったのですが、もう少しチャレンジしたいという気持ちも芽生えました。そして、体力と金銭面を考慮し、初期研修後に今度は1シーズン通してプレーするため、再びニュージーランドに行きました。自分より体格の大きな選手がひしめく中で必死に食らいつき、シーズン後半からは1番上のグレードにスタメンで出場することができました。この経験で自分のラグビー人生に対して、ある程度の納得を得ることができました。
残りの半年間は、アフリカで民間療法の研究に協力したり、ヨルダンの難民キャンプへ医療支援に行ったりしました。アフリカでは、現地の薬草による民間療法の研究のお手伝いをしていました。我々日本人が受けているような医療を受けられる人は、世界にはほんのわずか。それ以外の人のほとんどは、満足に医療を受けられず、薬草などを使った民間療法に頼らざるを得ないのが現実です。また、短い期間ではありましたが、台湾のNGO団体の活動に参加し、Zaatariキャンプというシリア難民の暮らすヨルダンの難民キャンプで1週間ほど医療活動を行いました。
学生時代に心残りだったラグビーを納得いくまでプレーし、またアフリカやヨルダンで現場の経験をしてみて、改めて自分は外科医としてそういった現場に立とう、と再確認することができました。
◆ノーサイド精神で紛争に立ち向かう
―今後の展望を教えてください。
私の最終的な目標は、紛争地の症例をきちんとした臨床研究へ昇華させたいと思っています。そのためにまずは、紛争地の劣悪な環境であっても対応できる臨床力と、そしてそこでの症例を研究へ還元していける能力を、磨いていきたいです。私の理想の外科医は、オペができて病棟も見られて臨床研究もできること。そういった外科医が紛争地へ行くことは価値のあることだと思います。ですので、今は理想の外科医になるべく修練して、自分が役に立てると思ったタイミングでできるだけ早く現場に出たいと思っています。
―最後に、野間口先生の原動力はどこからくるものなのでしょうか?
小説家の村上春樹さんがエルサレムで行ったスピーチでの言葉が近いかもしれません。その中で「高く、堅い壁と、それに当たって砕ける卵があれば、私は常に卵の側に立つ」という言葉があります。ここでは、壁とは爆弾やシステム、卵は非武装市民を指しています。自分も同じく、卵の側に立っていたいと思うのです。
世界は不平等で、理不尽な目に遭っている人がたくさんいます。その一方で、自分は恵まれた国でのうのうと生きているだけ。私はその現実から目を背けずに生きていきたいと思います。ですから、自分が納得のいく人生を送るために、そういった理不尽さに挑み続けたい。これが自分の原動力です。ラグビーで培ってきた身体的、精神的なタフさを生かし、これから戦傷外科医として活躍していきたいです。
(インタビュー・文/coFFee doctors編集部)※掲載日:2020年3月24日