宮城県石巻市にある石巻赤十字病院に、専属産業医として勤務している荒川 梨津子先生。医療機関の専属産業医という珍しいキャリアを歩むことになった経緯や、どのような想いを持って今の活動をされているのか、そして若手医師へのメッセージを伺いました。
◆石巻赤十字病院の専属産業医としての取り組み
―現在、石巻赤十字病院に専属産業医として勤務されています。具体的には、どのようなことに取り組んでいるのですか?
2017年4月に石巻赤十字病院の専属産業医として着任し、現在は主に3つのことに取り組んでいます。1つは、メンタル面での不調を抱えている職員のケア。もう1つは、医師の長時間労働の改善。そして、有害業務による健康障害を避けるための管理体制づくりです。
医療機関の場合、職員のメンタル面での不調は、患者さんに不利益が及び、医療機関がリスクを負うことになります。そのため職員のメンタル・ケアに、特に多くの時間を割いています。
医師の長時間労働については、かねてから前院長の金田巌先生が問題視されていて、専属産業医を置くことになったきっかけの1つでもあります。厚生労働省が進める医師の働き方改革でも挙がっている改善点については、ほとんど全て行いましたが、それでもなお医師の長時間労働が改善できたとは言えず。非常に難しい課題だと感じています。
有害業務による健康障害を避けるための管理体制づくりというのは、ホルマリンなどの化学物質や放射線による健康被害を避けるため、きちんとチェック項目を作って管理・運用していくチームづくりのこと。例えば放射線については、放射線技師は管理についての教育をしっかり受けていますが、医師や看護師には専門的な教育がなされていないこともあり、管理のあいまいさがありました。そこで、関連するスタッフを巻き込みながらチームづくりを進めています。
ありがたいことに、興味を持って積極的に関わってくださるスタッフの方も出てきて、最初は私1人で進めていたのですが、今は放射線技師、保健師、看護師が衛生管理者(労働衛生を管理する立場の者)の資格を有し、共に管理・運用の仕組みづくりを進めているところです。
―医療機関の専属産業医は珍しいと思います。どのような経緯で着任されたのでしょうか?
実は、私は石巻赤十字病院で初期研修を修了しました。その後、東北大学の産業医学分野の博士課程に進んだのですが、その間も非常勤で健診を担当していて、ずっとつながりがあったんです。一方で、2018年3月まで石巻赤十字病院の院長を務められていた金田巌先生は、ずっと専属・専従の産業医を置きたいとおっしゃっていました。そんな折、私に東北大学の産業医学分野への入局を勧めてくださった矢内勝先生(現院長補佐)が私のことを推薦してくださって、着任に至りました。
―あまりロールモデルがいないキャリアですし、迷いませんでしたか?
「やってみたい」という気持ちと不安の両方がありましたね。
石巻赤十字病院で初期研修医時代を過ごして、当院の医師には、産業保健の観点からは問題視されるハードワークを楽しみ、自らの生きがいと感じていたり、そのような働き方が当たり前と思っていたりするような方が大多数であることを感じていました。顔なじみである私が産業医として入っていって、長時間労働を減らすための取り組みを推し進めるのは、お互いやりにくさを感じるだろうなと思いました。
しかしハードワークが放置され続けることは良くないことですし、良く知っている方たちだからこそ、ここで働く皆さんのために役に立ちたい、とも思ったので着任を決めました。
―労働環境としての医療機関の課題はどのようなことだと感じますか?
産業医としての立場から見ると、医療機関は一般企業と比べて、産業保健への意識が低いと感じています。先程お話したように、化学物質による健康被害についての認識が甘かったり、自分の健康に興味の薄い方が多い印象も受けます。また、メンタルケア対策も十分とは言えません。課題にあふれているからこそ、1つずつコツコツと啓発や体制づくりを進めていきたいですね。
◆葛藤の末選んだ産業医の道
―ところで、なぜ産業医の道に進まれたのですか?
幼少期から体が弱く医師が身近な存在だったことと、人の役に立てる仕事に就きたいと思っていたことから、気付けば医師を志していました。産業医という道は、大学進学を具体的に考えるまでは知りませんでした。しかし父が小さな会社を経営していて、幼いころから家で仕事の話や従業員の方についての話を聞く機会も多かったですし、父が仕事場で大怪我をしてしまったことがあり、働く人の健康を守る存在である産業医という仕事に興味を持ち、産業医科大学に進学しました。
―初期研修は石巻赤十字病院で受けられたとのことですが、この病院を選んだのはなぜですか?
産業医という仕事に興味を持って産業医科大学に進学したものの、なりたい医師像としてイメージしていたのは、かつて自分がお世話になった小児科の先生でした。大学6年間で医学を学ぶ中で、やはり小児科医になりたいという思いが強くなっていったんです。そんななか、石巻赤十字病院で研修されていた先輩から「ここなら多くの経験を積めて、すごく良い研修を受けられるよ」と聞いたので、石巻赤十字病院を選びました。
―最終的に、小児科医ではなく産業医を選ばれたのはなぜですか?
そこにはとても強い葛藤がありました。先程お話したように産業医に興味はありましたし、一番身近な労働者、つまり病院職員の方々の苦悩やハードな働き方への疑問も感じていて、「本当にこのままでいいのだろうか」とも思っていました。でも、やはり初期研修の過程で味わった臨床現場での楽しさも捨てがたかったんです。
最終的には、家族が病気になり宮城県内に留まりたいと思ったこと、縁あって東北大学の産業医学分野に入局できたことから、「やるからにはしっかり産業医としての役割を果たそう」と心を決めて、産業医の道に進むことにしました。
◆石巻全体の働く人を支えたい
―今後は産業医として、どのようなことを実現していきたいと考えていますか?
私が実現したいのは、病院職員の方々が自分の健康も考えながら働いてくれること。そして管理者の方々にも、そのような視点を持って業務させることを意識していただくことです。特に医療機関では、患者さんの病気や健康には視点がいきますが、自身の健康は二の次にしてしまう医療従事者が多いように思います。しかしハードな仕事である分、自分たちの健康を担保しなければ継続して働くことができませんし、職員の不調は患者さんの不利益につながりかねません。ですから患者さんの健康を守るためにも、病院全体の健康意識を上げていってもらうことが重要だと思っています。
また、猫の手を借りたいくらい忙しいのに、臨床に携われるはずの医師を1人、専属・専従産業医として置いてもらっているからには、当院の産業保健の質を向上させ、継続させられるような仕組みを作っていきたいですね。
そしてゆくゆくは、石巻市全体の働く人々の健康を支えたいと思っています。私は2011年4月に、石巻赤十字病院での初期研修をスタートしました。社会人としてのスタートの地であるためか、この地域にはとても思い入れがあり、東日本大震災前のようなにぎわいのある町に戻ってほしい、震災前から今までこの地で頑張って働いている人々の力になりたいという思いがずっとあります。
医療機関の産業保健が他の業界に比べて遅れていると言いましたが、医療業界以外でも産業保健への意識の程度は、企業によってさまざまです。特に中小企業ではそこまで手が回らず、産業保健分野でやるべきことがなされていないことは多いです。ですから例えば、石巻にある企業の嘱託産業医をたくさん持つなどして、労働者の健康を支える活動ができればと思いますし、それは長い目で見れば地域医療の質の向上にもつなげられるのではと思っています。
◆自ら考え決めたらなら、いつか納得できる日が来る
―最後に若手医師へのメッセージをお願いします。
「自分の道はこれしかない!」と思っていたのに、違う道を選択せざるを得ない時はあると思います。そんな時は、自分にとって大事なものを並べて優先順位をつけてみたり、どのような道が今とその先の自分にとって良い選択なのか、改めて考えてみたりしてください。そうすれば「これだ!」と思っていた道以外にも、納得できそうな道が見えてくると思います。そして自分で考え決めた道なら、頑張って進んでいれば、楽しさを見いだせると思いますし、納得できる日がいずれやってきます。
私にとって産業医という道は、当初思い描いていた医師像とは大きくかけ離れていました。でも結果論ではありますが、産業医という道を選んだことは間違っていなかったと思えています。仕事のことだけでなく、自分の人生全体を俯瞰して進む道を選んでいってほしいなと思います。
(取材・文/coFFee doctors編集部) ※掲載日:2020年12月8日