秋田大学医学系研究科教授の野村恭子先生。帝京大学で長く公衆衛生学の研究に携わってきましたが、2017年、東京を離れ縁もゆかりもない秋田の地に移ります。医学者人生を左右する大きな決断にも「秋田は公衆衛生学者にとって、やりがいのあるフィールド」と明るく語る野村先生。その決断の背景にある思いと「20年間、自殺が死亡理由の第1位」「30年後には半数が65歳以上に」など、多くの課題を抱える秋田県で取り組む、健康増進や医療人材育成について伺いました。
◆課題先進県・秋田は公衆衛生研究の「宝庫」
―公衆衛生学の研究に携わるようになった経緯をお聞かせください。
祖父が開業医をしており、小さい頃から祖父の医院によく出入りしていたこともあって、自然と医師を志すようになっていました。
理想の医師像は、何でも診ることのできる「町のお医者さん」。心も体も診られるようになりたいとの思いから、大学では内科と心療内科の専門医を取得しました。しかし1人の医師としては、生涯でせいぜい千人くらいしか関わることができない。一方、公衆衛生の医師になれば何千、何百万人の健康に資する研究ができる――そう考え、公衆衛生学の研究に転向しました。
―13年間、公衆衛生学の研究拠点として在籍していた帝京大学を離れ、2017年に秋田大学に赴任しました。どんなきっかけがあったのですか?
当時、秋田大学では公衆衛生学の教授が7年もの間ずっと不在でした。私が大学院生だった時に准教授をされていた方が秋田大学で衛生学の教授をされており、「公衆衛生学の教授選に出てみないか」と、私に声をかけてくださったのです。
―どうして、縁もゆかりもない秋田に赴任しようと決断したのですか?
帝京大学でも「女性医師・研究者支援センター室」を立ち上げ、女性医師のエンパワーメント向上に取り組むなど、仕事は充実していました。一方で、もっと地域に根ざした公衆衛生の活動がしたいとの思いを持ち続けていたので、私にとっては非常にありがたいお話でした。
秋田県は、公衆衛生的な課題が山積している県です。20年間、自殺が死亡理由の第1位。加えて、がんや脳卒中も多い。こう言うと語弊があるかもしれませんが、公衆衛生学に携わる者としては事例の“宝庫”なのです。
研究に必要なさまざまなデータが入手でき、地方自治体やNPOなどの関係機関とも、すぐ肩を叩けるくらいの距離感でスピーディーに活動を進められる。この地に来て4年が経ちますが、おかげさまでとても恵まれた環境にいると実感しています。これまでの医学者人生で、最も幸せでやりがいを持って働けているかもしれません。ただ、寒さにはまだ慣れていませんし、寒さは少し苦手です(笑)。
実は家族を東京に残し、単身で秋田に移りました。私のチャレンジを後押ししてくれた、夫をはじめとする家族にも感謝しています。
◆「1人10役」の医療人材を育む秋田モデルを
―現在取り組んでいることについてお聞かせください。
秋田県庁や協会けんぽなどと一緒に、健康増進のプロジェクトを進めています。
協会けんぽには約20万人の組合員が加入しているのですが、業種や職種によって酒やタバコの摂取量が多いなどといった生活習慣の傾向が見られます。そういった業種・職種にピンポイントで介入をかけ、生活習慣病を改善する取り組みをしています。具体的には、トラック協会などの業界団体と連携して、健康データを分析しながら生活習慣の改善や、居眠り事故を減らすための施策を検討しています。
秋田県庁とは、自殺対策や循環器病対策に取り組んでいます。「しょっつる文化」に代表されるように、秋田県民はしょっぱいものが大好き。このような味覚は子供の頃から形成されるので、大人になってから食習慣の改善を求めてもなかなか難しいところがあります。そこで、子供の段階で早期介入するため、地元医師会と連携して、医学教育に子供の栄養指導を採り入れる活動に取り組んでいます。
―秋田大学では、医学生を指導する教育者の立場でもあります。
教育にも熱意を持って取り組めています。私が公衆衛生学の研究に転向した理由でもありますが、研究ができると、より多くの人の健康増進に寄与できます。例えば新しい診断の手法を研究し発表すると、それを現場の医師や保健師が実践してくれる。自分の論文1本で十万人、百万人規模の患者さんの健康増進に寄与することができるのです。これこそが公衆衛生研究のやりがいだと思っていますし、そのことを若い学生にも伝えています。
その際に強調していることが二つあります。一つは、現場でどういう問題が起きているのかを観察し、問題を拾ってくる姿勢。もう一つは、研究をやりっぱなしにしないこと。業績のために研究をしている方も少なくないと思いますが、「現場を変える研究」でなければ意味がないと考えています。地域住民や現場の医療者に必要とされるからこその医学研究ですからね。
―秋田県は、医療人材が少ない地域でもあります。
おっしゃる通りで、ただでさえ少ない医療人材も今後の人口減少に比例して、これからますます減っていくことが懸念されます。
しかし、専門分野に関係なくプライマリ・ケアができて、それでいて公衆衛生マインドを持った医師を育成すれば、1人で10役こなせるくらいのマンパワーを発揮できます。そのような医療人材育成の「秋田モデル」を確立して、少ない人数でも何とか県民の健康を守れるようなネットワークを作りたいと考えています。
秋田大学としても今後3年から5年の間で、プライマリ・ケアができて公衆衛生マインドを持った医師を育成していきたいですね。その点で当大学は専門の垣根が低いので、さまざまな診療科の先生と膝を突き合わせて議論できます。専門性の垣根を超えたネットワークができるのが、東京の大きな大学にはない魅力ですし、今話したような医師を育成する上での強みですね。
◆公衆衛生を学べば活躍のフィールドは広がる
―今後のキャリアについてお聞かせください。
キャリアには大きく「外的キャリア」と「内的キャリア」があります。私は大学に長く身を置いてきたので、キャリアといえば職位やポジションがずっと頭にありました。これは「外的キャリア」ですね。
対して「内的キャリア」というのは、自分の「生きざま」です。私がキャリア形成において意識しているのは、この「内的キャリア」を自分で納得できるようにしていくこと。自分の人生を、自分でオールを持って、自分の意志でデザインしていくこと。このことに尽きます。
私にとっては、「どれだけ人の役に立ったか」と思えるかどうかが大事です。母子保健でも精神保健でも、がんでも循環器でも、どんなテーマでもいいので、とにかく多くの人の健康維持・増進に努める。自分が社会にどれだけ貢献できたかによって、後々自分の人生を振り返った時に「本当にいい人生だったな」と感じられるのではないでしょうか。
―若い医師へのメッセージをお願いします。
読者の中にも、さまざまな専門の先生や医学生がいらっしゃると思いますが、公衆衛生とは、どの科にも通じる幅広い学問です。
現場で臨床医を何年も続けていると、必ず壁に突き当たります。社会的なシステムだったり、患者さんが抱えている個人的な問題だったり――。でも医学の教科書には一つも答えは書いていない。そういった答えのない問いに対する解決法を、理論立てながら考えていく研究こそが、公衆衛生学という学問です。
実臨床の経験に公衆衛生の研究ツールが加われば、医師として活躍できるフィールドは広がります。それは必ずしも医療界や大学にとどまらず、国際分野にも、感染症の分野にも活躍の可能性はあるのです。若い世代の方々が、1人でも多く公衆衛生の研究に興味を持ち、公衆衛生マインドを育んでくれることを願っています。
(取材・文/coFFeedoctors編集部) 掲載日:2021年3月16日