医師4年目の亀谷航平先生は、現在沖縄県立中部病院で感染症内科医を目指し研さんを積む傍ら、病気の正しい知識を一般の方たちへ伝えるため啓発活動に尽力しています。そんな亀谷先生は、初期研修で出会った高齢女性との出会いをきっかけに、感染症内科医への道を進むことになります。そして、活動を通じて、実現したい理想の社会像とは――?
◆初期研修での衝撃的な出会い
―なぜ、医師を目指したのですか?
昔からさまざまなことに興味を持つ好奇心旺盛な子供で、将来は探求心が尽きることのない仕事に就きたいと考えていました。大学生の時、バックパッカーとして世界中を旅しましたが、行く先々で様々なバックグラウンドを持つ人達と接する中、人とコミュニケーションをとることが好きな自分に気がつきました。そして知的好奇心を満たし、かつ継続的に人に関わることができる仕事として、医師を目指しました。
―医学部を卒業して沖縄県立中部病院へ。初期研修の印象的な出来事はありましたか?
初期研修1年目で感染症内科のローテーションをしていた時のことです。両足が蜂窩織炎で歩けなくなった身寄りの無い高齢女性を担当したことがありました。抗菌薬治療を終え、介護タクシーに乗せてようやく自宅退院となりました。すると、自宅の階段が上がれず、たった3時間後に救急車で病院へ帰ってきてしまったのです。その患者さんと共に現場に向かうと、そこは貧困層の方が多く住むマンションで、幅が狭くとても急な階段がありました。家族のいない高齢女性が、たった1人でその階段を上がるのは不可能なことでした。さらに1カ月の入院で自宅のライフラインは全て停止していましたが、両足が不自由な方である上、料金の不足分を支払うこともできません。
自分はそういった背景を全く知らず、足だけを診て帰してしまった――。そして目の前の病気だけを診ていては、本当の意味で患者さんを救うことにはならないのだと痛感しました。この経験から、社会システムの狭間で苦しんでいる人たちを救いたいと感じるようになったのです。
◆ちがいを認め、リスペクトする
―背後にある社会的背景にもアプローチするため、感染症内科を選ばれたのですか?
当院の感染症内科は、他のどの科よりも患者さんを全人的に診ています。患者さんを1人の「人間」としてリスペクトする姿勢を持っているのです。感染症内科に入院される患者さんは、社会の中で何かしら上手にいっていない点が存在することが多く、それが感染症という表現型で医師の目の前に現れます。そのため社会歴聴取に極めて重点を置いており、「お風呂ではどうやって体を洗いますか?」「タバコ/泡盛の銘柄は?」「ペットの種類・名前は?」といった非常に詳細な事柄まで、全て患者さんの大切な情報として問診します。こうして、患者の生活背景を頭の中で生き生きとイメージすることが可能となります。
例えば泡盛も、安い「久米仙」と高価な「残波プレミアム」では生活レベルの差が伺い知れますし、ナイロンタオルで両脚をゴシゴシと洗うきれい好きな高齢女性には、「そこまで頑張って洗わなくても良い」と指導するだけで蜂窩織炎の再発防止となります。また、詳細な社会歴聴取が正しい診断に結びつくことがあります。戦時中にフィリピンのジャングルを逃げ回った人は、高齢になって結核や糞線虫症を発症するかもしれません。また猫ひっかき病は、ペットとどのぐらいの親密度でいるかまで聴取しないと検査前確率が判断できません。このように、社会背景から患者の身に起こったことを解き明かし、治療と予防にまでつなげてしまう感染症内科のアプローチの仕方に魅了され、今の自分があります。
―臨床以外にも積極的に活動をされていると伺いました。
今年3月、仲間と立ち上げたKurikindiesという団体で、ミャンマーの子供たちと日本の子供たちが歌やダンスなどを使って交流するイベントを開催しました。言語も文化も異なる子供たちが、お互いの「ちがい」を認め合う体験を通じて、グローバル人材に成長するお手伝いをすることが目的です。この開催に際しての資金はクラウドファンディングでご支援いただきました。
Kurikindiesは、南米エクアドルに伝わる寓話に登場するハチドリの名前が由来となっています。小さいことでも自分にできることを積み重ねていく大切さを説いたお話です。交流の中で、ミャンマー・日本両国の子供たちが、言葉は通じ合えなくても初日からすぐに打ち解けていたのが非常に印象的でした。相手に歩み寄って対話し、お互いの「ちがい」を国境・人種を超えて認め合える。戦争のない理想的な世界の縮図を見た経験でしたね。
―今年の2月には、アフリカで医療支援ボランティアに参加されたそうですね。
Taiwan Rootという世界各地で短期医療支援を行う台湾の団体に参加しました。私が訪れたのは、アフリカ南部のエスワティニ王国(旧・スワジランド)という国で、世界一HIV感染率の高い(※2017年当時)場所です。
医療チームは私を含めた6名の医師と、看護師、薬剤師、医学生含め25名ほど。薬剤や治療器具などを入れた箱を大量に台湾から持っていき、小学校をクリニックにして大量のエスワティニ人患者を診察しました。検査はごく簡単な採血ができるのみでしたので、基本的には自分の聴診器1本で診ることになります。こうして9日間で2500人ほど対応しました。
特に衝撃的だったのは、「様子がおかしい」と姉に連れてこられた14歳の女性。数週間前から下痢が続いており、虚弱で目線も合わない。もしや、と思い口腔内を覗いてみるとカンジダと思われる白苔がびっしり。HIVスクリーニング検査は陽性であり、真陽性を強く疑いました。我々のキャンプの外でテントを張っていたPEPFAR(アメリカ合衆国のHIV/AIDS支援機構)職員にHIV感染症の疑いとして紹介をしました。
HIV感染症は性感染症ですので、コンドームによる予防が必要不可欠です。スワジランドは2004年の15-49歳のHIV感染率が42.6%(※世界銀行調べ)にも及んだ場所ですが、肝心のコンドームはどこの薬局を探しても見つかりませんでした。避妊具そのものが手に入らないというのは、医療が介入する以前の問題であり、無力感のあまり途方に暮れました。短期間では何も世界を変えられないことを思い知った貴重な経験でした。
◆感染症診療を通して、戦争のない未来が見えてくる
―今後の展望を教えてください。
教育的、経済的、社会的な問題が原因で感染症に苦しむ人を少しでも減らすため、正しい医学知識の啓発活動をさらに広げていきます。最近のライフワークは、高校生を対象とした性感染症やHIVについての講演で、今年度は3回にわたって行いました。社会における本当の問題は、病院の外にあります。私は医師だからこそ、病院の中に閉じこもるのではなく、積極的に外部へ発信していく使命があると考えています。
―活動を通して、どのような社会にしていきたいですか?
いずれは「感染症診療を通じて、戦争のない世の中を作りたい」と思っています。一見、感染症診療と戦争は関係がないように思えますが、患者さんがなぜその感染症になったのかを紐解くことで、その裏に隠された社会的な問題を見つけ出すことにつながります。そして社会的な問題は、突き詰めるとお互いの無理解が背景にあり、それは戦争の引き金にもなります。患者さんを1人の人間としてリスペクトしていくことに、戦争をなくすヒントが隠されていると思っています。Kurikindiesの伝説のように、私は私にできることを積み重ねていきたいと思います。
(インタビュー・文/岩田 真季)※掲載日:2020年1月21日