福島県立医科大学 医学部 衛生学・予防医学講座の助教として、社会医学分野の研究と医学生教育を行いながら、地域企業の産業医業務にも従事する遠藤翔太先生。現在は「地域住民が気軽に集まれる場所」を作るための準備もされているそうです。その目的と、地域に対する想いを伺いました。
◆地域住民が自然と立ち寄れる場づくり
―現在の取り組みについてお聞かせください。
福島県立医科大学で社会医学分野の研究を幅広く行っています。また、福島医大の学部生に対して「衛生学・予防医学」の講義や実習を担当しています。大学外では産業医として、4つの事業場の嘱託産業医をしています。
他には、家庭医の妻と一緒に「医学生のキャリアを考える会」を開いたり、コミュニティスペース運営に向けた準備もしたりしていますね。コミュニティスペースは運営者も決まり、今春オープン予定でしたが、新型コロナウイルス感染症の影響を考えてオープンを延期しています。
―どうしてコミュニティスペースを作ろうと思われたのですか?
健康状態は必ずしも個人の選択の結果ではなく、社会的な要因によって規定されています。1人の人の健康問題を治療して解決することも大事ですが、私はその人の健康問題のもっと上流で起きている、地域の課題にアプローチしたいと考えていました。そんな時、島根県内で保健所所長を務めていた中川昭生先生と出会ったのです。中川先生は「住民主体の健康増進」を実践してきた方。健康問題を入り口に地域住民の方とコミュニケーションを取りながら、一緒に「どんな地域に住んでいきたいか」を考え、地域住民が主役の活動をされきて、福島県でも同様の活動を始められていて、感銘を受けたのです。
自分も「住んでいる地域で活動を起こしてみたいな」と思い、コミュニティスペースの運営を考えるようになりました。旅行で好きな景色を見にいくのと同じように、自分の住む地域でも、自分の好きな景色を作りたいと考えています。妻の専門である家庭医療との相性もよいですし。
―そこで得た情報を研究に活かしていくのでしょうか?
具体的にはまだ考えていません。早期発見早期治療のように、健康問題を抱えている人を見つけて介入していくことを考えているわけではありません。あくまでも、私も一住民としてふらっと立ち寄り、肌感覚で潜在的に健康問題を抱えている人がどのくらいいるのかを知ることができればいいと思っています。
今、医療や福祉に関連するプレイヤーが地域に出ていく活動は広がっています。私も医療・福祉が前面に出てくるのではなく、もっと生活に近いもの、「地域の中にいる人が自然と集まる場所」を増やしていきたいと思っています。
論文になるかどうかではなく、社会的な要請に応えて価値をつける。それが研究者として評価されるかはわかりませんが、活動の評価に関する部分であれば研究の経験も活かせると思っています。
◆家族のことも考えたキャリア選択
―ところで、どうして医師を目指したのですか?
高校時代は工学系の研究者や開発者になりたいと思っていましたが、研究職経験のある恩師に相談したところ「自分の好きなことを研究していくのはとても難しい」と、他の進路も考えるように強く勧められました。そんな時、医学部進学を目指す友人が「自分は将来、ピラミッドの調査チームに入りたい。でも、普通の研究者枠に入るのは難しいので、日本人医師枠での参加を狙う」と話していたんです。それを聞いて、医学部に進んだからといって、必ずしも臨床医になる必要はないことに気付いたんです。そして進路は大学入学後に改めて考えようと思い、医学部に進学しました。
―もともと夢だったこともあり、研究者の道へまっすぐと進まれたのですか?
それが、実際に入学してみると、大学ラグビー部の先輩方の影響も受けて、自分も外科系の診療科へ進むのかなという気がしてきて――研究系の勉強会に参加したり、学部生でMD-PhD制度(学部生のうちから博士課程の研究活動を開始する制度)の前期コースを履修したりもしましたが、初期研修修了間際までは外科系を志望していました。
―やはり研究に進もう、と思われたのはなぜですか?
プライベートな理由からです。妻は大学時代の同級生で、5年生で学生結婚をし、6年生で親になりました。初期研修は夫婦で同じ病院へ。研修中の子育てについて理解も配慮もしてくれる病院でしたが、子育てとの両立は大変で――。夫婦揃って同時に臨床医として後期研修に飛び込むことは、不可能ではないけれど子どもにしわ寄せがいくように思いました。
また初期研修中に、自分がこのまま臨床医を続けていくと、妻に負担をかけてしまうとの思いも湧いていました。妻は幼いころから「町のお医者さん」を夢見て、卒業後は家庭医を目指し、早朝から勉強に励むような努力家。一方の自分は、体育会系気質などから診療科を選択しようとしていました。どちらが臨床医に適しているかは明白で、彼女のキャリアを止めるようなことはしたくない、と思ったのです。
「じゃあどうしよう」と悩んでいたタイミングで、MD-PhDでお世話になっていた現所属の准教授から、「来年、助手のポストが1つ空くから、講座に戻ってきてスタッフとして働きながら、MD-PhDの続きをしてはどうだろう?」と声を掛けていただきました。病院勤務にはやりがいを感じていましたし、特定のスキルもない状態で助手になることには悩みました。しかし臨床医に戻りたくなったら、またゼロから研修医を再び始めようと考え、着任を決意しました。現在はワークライフバランスが取れていますし、充実しています。
◆地域住民が豊かさを感じられるように
―現在の活動を通して、地域の中でどのような存在になりたいと考えですか?
地域の人がほどほどの豊かさを感じられるような地域社会構築のために動いていける存在になりたいと考えています。そして地域の人が豊かに幸せになっていくことと、地域の企業が元気であることは両輪だと思っています。私は産業医でもあるので、産業医としてスキルアップし、地域の産業を守り、企業が利益を上げるための余力を与えられる存在となる。なおかつ、その人たちが幸せに暮らせる場を提供する、という循環が作れれば良いと思っています。私は研究者という立場ですが、研究者が課題解決に向けた行動をしてもいいのではないか、と思っています。
―臨床医以外を選択することについて悩んでいる医学生や研修医の方へ、メッセージをお願いします。
自分が社会とどういう接点を持っていきたいか、自分が影響を与えたい半径の大きさはどのくらいか、早い段階で見極めた方が良いと思います。そうすることで肩書に縛られず、好きなことに挑戦しながら生きられると思います。私自身は、幸福感がなんとなく伝わってくる距離感の人たちにアウトリーチしたいと思い、今のポジションで活動しています。
特に地方の大学にいると臨床医以外に進む人が極端に少なくて、孤立しがちです。しかし、それぞれが好きなように挑戦してもらえると嬉しいです。もし相談相手が必要なら、私でよければいつでも相談に乗りますから。
(取材・文 / coFFee doctors編集部) 掲載日:2020年10月6日