自己肯定感が低く、「医師」に対してモチベーションが上がらなかったという加賀谷隼輔先生。患者さんたちとの出会いを通して意識が変わり、現在は「精神科患者さんが生きやすい世界にする」ことを目指して、臨床+αの活動をしています。どのような経験をして今に至ったのか、そして自分自身の経験から若手医師に伝えたいメッセージとは――?
◆SNSの影響力を活用し、精神科患者への偏見を解く
―現在、力を入れて取り組んでいることを教えてください。
2019年秋頃からTwitterやボイスメディア「voicy」を使って、精神医学や心理学についての情報を発信しています。おかげさまで現在、Twitterのフォロワー数は約1万8千人、voicyは1300人程です。
私の発信を見聴きして「救われました」と言われることが予想外に多く、正直ここまで反響があるとは思っていませんでした。もちろん直接顔を合わせて話すことも大事ですし、使い方には注意しないといけません。しかしSNSは、直接会える何十倍もの人に自分のメッセージを伝えられるので、非常に有効だと感じています。
―伝える対象は、精神科患者さんですか?
患者さんに向けてという側面もありますが、特にvoicyはどちらかというと、精神疾患に興味や知識のない人を意識しています。自分が病気になったことがない人は、医学知識を難しく発信されても聴きませんし、そもそも精神疾患について調べようともしません。voicyは、さまざまな分野の専門家や著名人の話すことをラジオのように聴ける仕組みになっているので、家事や車の運転、通勤中などに「ながら聴き」をしている方が多いそうです。そのような仕組みであれば、心理学や血液型など多くの人が興味を持ちそうな話をちりばめることで、精神疾患についても興味を持って聴いてもらえるかな、と思いました。
―精神疾患に興味や知識のない人に向けて発信する意図は、どのようなところにあるのでしょうか?
私のゴールは、精神科患者さんが生きやすい世界にすることです。
精神科患者さんには、3つの生きづらさがあると言われています。1つは「病気の症状」、2つ目は「薬の副作用」、そして3つ目は「周囲の理解のなさ」です。それぞれ同じくらいに辛いと言われています。
3つ目の「周囲の理解のなさ」の背景には、精神科患者さんへの偏見・固定観念があります。なぜこれらが生まれるかというと、単純に知識がなかったり、精神科患者さんと接したことがなかったりすることが原因です。そのため精神科患者さんは、「薬で治すなんて」「努力や忍耐が足りない」などと言われて苦しんでいます。
約30%の人が生涯のうちに何らかの精神疾患を患うと言われているなかで、誰でも自分や家族がメンタル面での問題を抱える可能性は十分にあります。精神科患者さんと健康な人たちが接する機会をつくることは難しいですが、健康な人たちに精神疾患についての正しい知識を与えることはできます。無知から生じる偏見・固定観念をなくし差別をなくすために、私は精神疾患とはどういうものかを伝えていきたいのです。
最近ではSNSでの発信だけでなく、教育の場で精神医学についてお話する機会も得ています。私大の心理学部の学生に精神医学の講義を行ったり、高校生向けに精神科の授業をしたりしています。精神科患者さんへの理解を広めていくために、志を持った方が育って仲間になってくれたら嬉しいですし、精神疾患の好発年齢である高校生のうちに精神疾患の知識を身に着けておくことは非常に有益だと考えています。
◆岩手・宮城・福島沿岸部、癒えない3.11の傷
―一方、加賀谷先生は現在、宮城県塩竈市の緑ヶ丘病院に勤務しています。地域医療に携わる中で感じる課題はありますか?
都市部とそれ以外の地域とでは、受けられる医療レベルに差があることが否めません。「この地域に暮らす人たちにも都市部と同等レベルの医療を届けたい」という思いで取り組んでいます。仙台市内の病院は医師数も多く、さまざまな取り組みをなさっている方も多いので、若手の自分には出る幕がないかもしれませんが、仙台市から離れると医師は少なく、自分が救える人たちの数が圧倒的に多いことが感じられます。
この地域ならではの課題としては、東日本大震災で津波の被害を受けている人たちの心の傷がまだまだ癒えていないことを、肌身で感じています。
2018年に緑ヶ丘病院に着任した当時、うつ病や不眠症などがなかなか治らない患者さんが多数いました。新任の医師として足りてない情報を聞いていくと、「津波で家族を失いました」「自分も津波に飲み込まれてギリギリ助かったけど、毎晩うなされています」などという話が出てきて――思っている以上に、隠れ被災者は大勢いることを知りました。その方たちを救っていくにはどうしたらいいかは、大きな課題ですね。
◆精神科医としての自覚が芽生えた瞬間
―ところで、どのような医師を志していたのですか?
恥ずかしながら私は、医学部受験を決めた時も医学部に入ってからも、非常にモチベーションが低く、志している医師像はありませんでした。高校が進学校だったので、周囲に流されて医学部受験を決めたのですが、勉強に身が入らず、2浪しました。しかも2浪目は医学部は難しいと思い文系学部に進路変更したのですが、うまくいかず、結局、国公立大の後期日程で出願した秋田大学医学部に合格し、進学しました。初期研修先を選ぶ時も、全く将来が見えていなかったので、幅広い診療科をまわれる病院に行っておけばなんとかなるだろうと思い仙台医療センターを選択しました。
医師としての志が芽生えたのは、ある精神科患者さんとの出会いがあったからです。
―どのような経験をされたのですか?
それこそ最初は、精神科に進みたいとは全く思わず、自分には外科系か産婦人科が合うような気がしていました。日常生活で精神科患者さんと接したこともなかったので「精神科の患者さんは、なんだかちょっと怖い」くらいの印象を持っていました。
ところが研修プログラムで必修だった精神科研修で、精神科病棟に長期入院している患者さんと接してみると、皆さんとても優しいんです。夢に向かって着実に進んでいたのに統合失調症を発症してしまい全てを諦め長期入院している方や、10代で統合失調症を発症して長期入院している子どもを看病し続けるお母さんなどから苦労話を聞いて――そこから精神疾患について勉強してみると、統合失調症という病気1つをとってみても、人種や性別、年代なども関係なしに、100人に1人程度の割合で発症することを知りました。
生活習慣が悪いわけでもなく、ごく普通に生きてきたはずの人が、自分の精神や未来を全て奪われ、世間の偏見や固定観念からさまざまな差別を受けていることに、頭を殴られたような衝撃を受けました。同時に、精神科を回る前に自分自身が偏見を抱いていたことに恥を感じるようになりました。
さらに医療者の中にも精神科患者さんに対して偏見があること、それに異を唱えることができず同調してしまっている自分に激しく違和感を覚えるように――。そうして初めて、自分が精神科医になって精神科患者さんの味方側になればいいのではないか、と考えたのです。
実は初期研修を経て産婦人科に進もうと思っていたので、急に精神科に行くと言い出した私に対して、周囲の人はとても驚いていました。そして東北大学病院精神科に入局。そこで出会った1人の患者さんによって、初めて「医師」としての自覚が芽生えました。
入局後間もなく、飛び降り自殺を図って救急搬送されてきた20代の女性を担当することになりました。彼女は家族間でものすごい葛藤を抱えていて、常に自殺願望があり、精神科病棟に移ってきましたが、感情を抑えることができず、少しでも思うようにならないことがあると大暴れして泣き出す状態でした。
当時の私はどうしていいか分からず、夜間まで病棟にいて、ずっと話をしていました。先輩医師からは「距離が近すぎる」と忠告されましたし、今の自分ならそうすべきではないと思えますが、当時は何とかして救いたいという気持ちの方が強かったんです。
医師としてどのように接するべきか勉強しながらも、「医師というより1人の人間として本当にあなたのことを救いたい」というメッセージを伝えていった結果、良くなって退院されました。そして私が大学病院を離れる時「先生のおかげで本当に命が救われた。私は変われた」と言ってくれたのです。
それまでの私は常に周りの人に頼りきりで、感謝されたことはありませんでした。この時、初めて人の役に立てたと思えたのです。外科医のように直接命を救ったわけではありませんが、自分の行為によって間接的に救われた命がある。人生の方向転換をさせることができた。そのきっかけになれたことが本当に嬉しく、自分でも役に立てるんだと思えたことで意識がガラリと変わり、「医師」としての自覚が芽生えましたね。
◆心の動きに従ったキャリア選択を
―最後に若手医師へのメッセージをお願いします。
医療とは離れますが、実は2017年4月から1年半、世界一周旅行をしました。もともと海外に興味があったものの学生時代は金銭的に余裕もなく、医師になってからは時間的な余裕がなく、ハードルは高かったのですが、東日本大震災と父の急死を通し、世界が突然変わってしまうこと、人生が突然終わってしまうことを目の当たりにして。医局に入局した年に決心し、5年かけて準備を進めて実現しました。
お話ししてきたように、それまでの私の人生は、本気で何かを実現しようとしたことがない人生だったので、初めて自分で決めたことを叶えられたのが世界一周旅行だったんです。この経験によって、ものすごく自己肯定感が高まり、自分に自信を持てるようになりました。ですからまずは自分がやりたい、叶えたいと思っていることをやりきる経験をし、自分に自信を持ってほしいと思います。
近年、診療報酬が下がり、医師も余る時代が来るかもしれないなど、若手医師にとってネガティブなニュースが増えました。損得勘定で判断し、守りに入った方がいいのではないか、という思考になりがちかもしれません。しかしこんな時代だからこそ、小さく収まらないでほしい。やりたいことを探すときには、違和感や引っかかりが大事です。そこで人生が大きく変わる可能性があります。私の場合は精神科患者さんへの偏見でした。自分の心に従って何が起こっても後悔しない、キャリア選択をしていってほしいですね。
最後に今、自分はダメな人間だと思っている人へ。場所を変えるだけで劇的に変わることもあります。私自身も自分はダメな人間だと思っていたのですが、精神科という場所に来たら、自分の強みが活かされてモチベーション高く仕事ができています。場所というのは、診療科かもしれないし、地域かもしれない。病院の規模かもしれません。自分が輝ける場所は必ずあります。そういう場所を探すのに、遅すぎるということはありませんし、場所を変えることは逃げではありません。
もう医師なんてしたくないと思っているなら、一旦医師を辞めても全く問題ありません。また医師がやりたくなったら戻ってくればいい。医師はそれができる仕事です。自分のやりたいことを突き詰めて考え、それが叶えられる、自分の輝ける場所を探してほしいと思います。
(取材・文/coFFee doctors編集部) 掲載日:2020年12月1日