医学教育を通して、県内の小児救急体制の強化とレベルの底上げに取り組む、野村理先生。小児科専門医・救急科専門医の取得や海外留学など、自身の強みを伸ばすキャリアづくりに努めてきました。現在は、母校の弘前大学大学院医学研究科 救急・災害医学講座研究准教授として、小児救急の卒前卒後教育に携わりながら、地域の救急搬送事例を減らすための「予防のための研究」にも取り組んでいます。野村先生に医学教育や小児救急への思い、若手医師がキャリアを形成する上でのアドバイスなどを伺いました。
◆「小児救急と救急医療の研究」医学生に伝えていること
―医学生にはどのような授業をしているのですか?
小児救急に関する授業や実技を学ぶシミュレーション教育を担当しています。学生たちに小児救急の知識や治療についての考え方、技術を身に付けてもらうのが目的です。
救急医学に関連する研究方法も教えています。弘前大学では、3年次の医学生が各科に配属されそれぞれの領域の研究方法を学ぶ「研究室研修」があります。私が所属する「救急・災害医学講座」では、この地域独特の疾病や外傷に着目し、その予防のための研究を行っています。研究知見は地域に還元するためのものです。治療だけでなく、疾病や外傷の予防も救急医学の大事な使命であることを伝えるのが狙いです。
―救急医療の研究はどのようにするのですか?
例えば、リンゴの農作業時に起こる高所墜落予防の研究では、弘前大学医学部付属病院高度救急救命センターに搬送された頚髄損傷を負った患者さんのデータを集め、そこからどのような経緯で事故が起きたのかを調べました。すると、はしごから落ちたか、乗用草刈り機の運転中に頭部をリンゴの木に打ち付けたかの、どちらかに原因があることが分かりました。そこで弘前大学理工学部からの協力を得て、りんご農作業をする人の体に慣性センサーという装置を付けて体の動きを記録し、どの作業工程で、どのような姿勢をすると体のバランスを崩しやすいのか調査しています。
墜落して頚髄を損傷し、最重症の場合には寝たきりになってしまうなど、農家の方の生活に非常に大きな影響を与えます。リンゴ栽培は青森県の主要な一次産業ですので、青森県民にとっても重要なテーマと考えています。集めたデータをさらに解析すれば、事故防止のための安全基準を提唱することも可能と考えています。
実は高所墜落に限らず、事故が起こるパターンは決まっています。小児のけがもそうです。経験として周知されてはいるのですが、学術的にきちんと検証されていないために、予防に至っていないのが実情です。このようなローカルな知見を1つずつ積み上げ、その成果を社会に実装していきたいと考えています。
◆小児科ではなく、救急科に籍を置く理由
―最初から小児科医を目指していたのですか?
医学部に入学したときから医学教育に興味がありました。もともと医療に関わるシステムづくりに関心が強く、授業を受けながら、こういうカリキュラムにすれば効率的に良い医者を育てられるのではと考えていました。
臨床については、当時、国内で医学教育をリードしていたのが総合診療医や家庭医などのジェネラリストの先生方だったので、自分もジェネラルな診療科に進むのだろうと考えていました。小児科を意識したのは、初期研修で肺炎の子どもたちを担当した時です。子どもたちは3〜4日で元気になり、その回復力とスピード感に他の領域では得られないやりがいを覚えました。その中でも、患者さんだけでなく、子どもを育てる社会全体との接点が多く、また、より短い時間で患者さんの状態を改善できる救急が自分には合っていると感じて、初期研修1年目で小児救急の道に進むことを決意しました。
―初期研修後の国立成育医療研究センターと都立小児総合医療センターでは、どのようなことを意識して学びましたか?
正直に言えば、当初は、故郷の青森に小児病院や小児集中治療室を作りたいと思い、それを学ぶために東京に行きました。しかし研修が始まり、大きく考えが変わったんです。
小児重症患者は、集中治療室に集約して治療を行うと、予後の改善につながることがデータで証明されています。その様子を目の当たりにした時、小児人口が少ない青森で小児専門施設をつくるのは現実的でないと考えました。
それならば小児救急の初期対応のレベルをしっかりと上げて、同時に東北他県や関東の施設に搬送できるようなネットワークづくりに注力しよう。そう考えながら修練を積みました。
―母校の弘前大学に戻って救急科に籍を置くまで、どのような決断をしたのですか?
もともと、故郷の医療環境を良くしたい思いで東京に出ました。しかし東京にいると、青森に戻っても、できることは限られるのではないか、東京にいた方が小児救急医のキャリアを積めるのではないか、など悩みが出てきてーー。
故郷に戻ると決めたのは、専門研修を終えてカナダのマギル大学大学院で医学教育学を学んだ時です。気候があまりにも弘前に似ていて、故郷を思い出すとともに、初心を思い出しました。
弘前大学に決めたのは、母校の卒前卒後の医学教育にも携わりたいと思っていたからです。小児救急医を増やすのではなく、初期研修医や小児科専攻医、救急科専攻医、当直を担当する他科の医師が抵抗なく小児救急患者を診られるようにすることこそが、青森の小児救急医療の底上げになると考えました。それを可能にするのは教育です。学生教育、初期研修、専門研修の中に小児救急の要素を取り入れて救急を底上げできるのは、大学しかありません。
小児救急は、小児科と救急科にまたがる領域なので、どこに所属するかは悩みどころでした。けれども、小児救急医学は小児科学の中のサブスペシャリティ領域というよりも救急医療体制の中で子どもをどう診療するかを追求するという学問だと考えていましたので、救急科に所属することにしました。
◆あえて困難な環境に身を置いて成長する
―若手医師がキャリアを形成していく上でのアドバイスをお願いします。
今後、従来の基礎医学や臨床医学だけなく、行政、起業など医師のキャリアの選択肢は多様化するでしょう。大事なのは、自分にしかできないことや、自分だからできることを意識してキャリアをつくっていくことです。私も、小児科や救急科の専門医を取ったり、留学のために英語の試験を受けたりしたことが、今のキャリアに生かされています。
キャリアの相談をする時は、一人の意見だけを聞いて決めないこと。たくさんの人の意見を聞き、自分が納得できる答えの人のアドバイスを参考にするといいと思っています。それでも迷ったら、リスクが高い方を取ることを勧めます。その方がより自分の人生を真剣に考えるし、準備もするので、途中で苦しい思いをしてもなんとか乗り越えられます。
―先生自身も、あえて困難な環境に身を置くために、国内ではなく外国の大学院を選んだのですね。
その通りです。英語の力がついたのはもちろん、予想もしなかった気付きや学びがありました。コミュニケーション力、周囲と関わる力、限られた時間で成果を上げる力など、日本人とは違うベクトルの、ソフトスキルが高い学生たちと接し、医学や子どもの教育についてもいろいろ考えました。
キャリアを選択する際には、自分の人生のことや家族のことなどで悩むと思います。私も、青森に戻る際には何度も家族会議を開きました。人生100年時代です。キャリアについても、100年生きる前提で考える必要があります。リスクを取ることには勇気が必要ですが、ダメだったら撤退して一旦安全な方に行けばいい。失敗を経験することも無駄ではないですし、自分の人生やキャリアについて真剣に考えるための場を持つためにも、若い先生方には既定路線ではなく、新しい領域やテーマ、誰もやっていないことにチャレンジして欲しいなと思っています。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2022年1月26日