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現地に赴任した女性医師が語る! エボラ体験記リベリア編[4]

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古くから伝わる埋葬の風習を変えた、エボラの流行。支援スタッフのためにゲストハウスを再オープンしたオーナーの一言とは。


エボラのメッセージは確実に国内に浸透していた。

エボラ拡大につながった理由として、もともと脆弱だった医療システム以外に、地元の埋葬の風習が挙げられてきた。この地域では死者が出ると遺族が遺体を洗い、同じ部屋で寝食を共にするという風習がある。しかし患者体内のエボラウイルスは病状進行とともに増えるため、エボラで亡くなった場合には接触による感染のリスクが極めて高いとされる。今回のエボラ流行によって、この埋葬の風習をやめさせる必要があった。

長い内戦の歴によって、政府に対する不信感の強い地域である。人々が慣れ親しんだ風習を変えさせる困難は想像に難くない。実際にマージビ郡内でも隠れて遺体を埋葬するケースが見られていたが、適切に遺体を処理する埋葬チームが機能し、連日のように遺体の処理にあたっていた。

中心地から離れた僻地の村でも、塩素で消毒された手洗い用の水を入れたバケツが設置されているのが非常に印象的だった。リベリア人にとって握手は大切な挨拶のようだが、滞在中、握手をしたりハグしたりしている人を見たことは一度もなかった。このように今回のエボラ流行は、人々の習慣をも確実に変えていたのだ。

リベリア滞在中、直接患者の医療に従事することはなかったが、マージビ郡のエボラ対策チームとともにさまざまな地域に足を運んだ。一日が終わると、マージビ郡の中心地にあるゲストハウスに宿泊した。一度はエボラの流行のために閉鎖を決意していたそうだが、援助に来る外国人スタッフのために再オープンしたという。

私が戻ると、毎日のようにオーナーが「くれぐれも感染しないように気をつけてくれよ」と声を掛けてくれた。当初は純粋に心配をしてくれているのだと思ったのだが、ある日しみじみと私の顔を見つめてこう言った。

「キミが感染しても、アメリカに搬送されて最先端の治療を受け、きっと助かるだろう。でも俺たちが感染したら、ただ死を待つだけなんだから」

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医師プロフィール

小林 美和子 感染症内科

世界何処でも通じる感染症科医という夢を掲げて、日本での研修終了後、アメリカでの留学生活を開始。ニューヨークでの内科研修、チーフレジデントを経て、米国疾病予防センター(CDC)の近接するアメリカ南部の都市で感染症科フェローシップを行う。その後WHOカンボジアオフィス勤務を経て再度アトランタに舞い戻り、2014年7月より米国CDCにてEISオフィサーとしての勤務を開始。

小林 美和子
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