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「医療×物語」ナラティブの力で患者さんの幸せを支えたい

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2020年4月、コロナ禍で危機的状況に陥っている芸術家の方々を支援するため、若手医師・医療福祉・まちづくり関係者を中心に立ち上げた「”#SaveArts”プロジェクト」が、クラウドファンディングで総額10,231,000円の支援を集めました。同プロジェクトの発起人は「みんなのクリニック大井町」院長の年森慎一先生。医療と文化・芸術……?一見結びつきにくいですが、そこには家庭医として患者さんの本質的な健康や幸せを追求し続けている年森先生の、文化・芸術に対する思いと、医師ならではのねらいがありました。

◆医療だけでは「健康」は実現できない

―「”#SavaArts”プロジェクト」は、どのような経緯で立ち上げたのでしょうか?

私自身、学生・社会人時代に地元の地域合唱団で活動していたり、病院のクリスマスコンサートをしたり、今も趣味でギターを弾いたりするので、もともと芸術を大切にしたい気持ちはありました。また、文化・芸術の医療における可能性を以前から感じていたんです。演劇を通じたコミュニケーション教育に興味を持ち、ワークショップで知り合った劇作家の平田オリザさんのモデル授業に同行させてもらったこともありました。2019年には「まちづくり」を通して健康やケアを考える「ケアとまちづくり未来会議 in 豊岡」に実行委員として関る中で、メンバーや参加者との経験を通じて改めて文化・芸術のケアにおける重要性を認識しました。

その中でコロナ禍が起こり、文化・芸術活動の公演自粛や中止が相次ぎました。医療も大変な時期ではありましたが、これまで活動を共にした芸術家の方々の苦境を聞き、その現状に居ても立ってもいられず、平田さんたちに声をかけ、このクラウドファンディングを立ち上げたのです。

―医師の立場から、年森先生は文化・芸術と医療の関わりをどう捉えているのでしょうか?

文化・芸術の役割は、娯楽として以上に、医療や健康という観点からも重要だと感じています。医師の立場からみて大きく2つの意義があると考えています。

1つ目は、文化・芸術そのものがもつ力です。

まず、世界保健機関(WHO)が定義する「健康」は「身体・精神・社会的に満たされた状態」。つまり、身体だけが健康でも不十分で、心の豊かさや、社会とのつながりなどが担保されてはじめて「健康」であるといえます。

そのように健康というものを捉えると、文化・芸術には、医療だけではなし得ない、心の豊かさや社会とのつながりを満たす大切な役割があります。

私も中学生の時の合唱部で、老人ホームで演奏することがありました。その時におじいさんやおばあさんがとても喜んでくれたことを、今でも覚えています。また亀田ファミリークリニック館山で後期研修医として過ごしていた時にも、グループ内の医療センターで行われるクリスマスコンサートにも参加していました。観客は患者さんたちでしたが、みなさん本当にいい笑顔を見せてくれるんですよね。

ですから、身体的に健康ではなかったとしても、精神的な部分や社会的なつながりを高めることで健康を実現できるのではないか、という思いは昔から持っていました。そのことが、コロナ禍で活動がままならなくなっている文化・芸術活動の支援に踏み出す大きなモチベーションになりました。

◆演劇から学ぶ「ケアの物語的な視点」

―医師の立場からみて、文化・芸術の医療におけるもう1つの意義とは何でしょうか?

もう1つは、医療におけるケアの質を向上させる力があるのではないかということです。

カウンセリング、ケアの体系のひとつに、当事者の抱える問題を物語(ナラティブ)的な視点で捉え直す「ナラティブ・アプローチ」というものがあります。医療は科学であると同時に、対象は人間なのでひとりひとりの物語があります。歴史や背景も違えば価値観も違う。つまり、この物語を扱う力も重要な医療のスキルなのです。文化・芸術は、この基礎となる物語的・多角的な視点を育ててくれると感じています。

また、臨床でのコミュニケーションやマネジメントスキルを伸ばすのに、実は演劇などの視点が使えること。例えば、患者さんと向き合っているとき、現場を俯瞰するような感覚で自分たちの診療を分析します。その時に、あえて役割を“演じる”ようなことがあります。患者さん性格によっては「この人には近めの距離感で接する方がいいだろう」と考えて“孫”や“友人”のような立ち位置でふるまう事こともあれば、チームで難症例を向き合う時には「フォローアップしてくれる多職種がいるから自分はあえて厳格な立場をとろう」と考えて“お堅い医師”を演じるというケースもあります。

このような「配役」を意識しながら臨床でおこる“物語”をマネジメントすることは、舞台の演出とリンクするところがあるのです。私自身もこの演劇のスキルを採り入れようと、ワークショップなどに参加していた時期がありました。その中で、まちづくりに演劇の手法を採り入れている人とのつながりが生まれ、冒頭の「ケアとまちづくり未来会議」での活動につながった経緯があります。

―なぜ、そこまでナラティブ・アプローチに関心を持っているのですか?

ナラティブ・アプローチでは、相手が過去の経験から語る「物語」にフォーカスします。そこで重要になるのが、相手との対話を通じて「見えていなかったことを言葉にする」手伝いをすることです。当事者が語りを通じて自分自身を捉え直し、思考のバランスを取り、そして語りによって新たな自分を作っていく。その人自身も気づいていないような、価値観や大切にしているものなどを一緒に探し出せたとき、まるで1つのドラマを特等席で見せてもらったような感動を覚えます。

また私自身もそうですが、日本人は概して言葉にして伝えるのが上手ではないですよね。その場の空気を読んで黙ってしまうことも少なからずあります。恥ずかしい言葉、セリフじみた言葉であっても、大切なことはきちんと口にしなければ患者さんに伝わりません。心に形を与えるには、言葉にするしかないのです。

印象的だった出来事を挙げると、以前に筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者さんを診ていたことがあります。みんなに慕われている、本当に素敵なおばあさんでした。しかし、その患者さん自身は「私の人生、こんな最悪なことばかり……」と悲しんでばかりいました。

そこで私は、一緒に過去の思い出をたどり、その方が残してきたものを一緒に確認しました。最後に「この病気があったおかげで私はあなたと出会うことができました。不謹慎かもしれないですが、私はうれしく思っています」と伝えました。すると、泣いて喜んでくれて、その後とても前向きになってくれたのです。「言葉にして伝える」ことの大切さを改めて実感した出来事でした。

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医師プロフィール

年森 慎一 家庭医

愛媛大学医学部を卒業後、家庭医を志し、亀田ファミリークリニック館山(KFCT)で後期研修医として勤務。2019年4月、都市部での家庭医療の実践のために「みんなのクリニック大井町」に転じ、2021年3月院長に就任。
医師のフィールドに縛られず、異業種間交流やまちづくりのワークショップなど幅広く活動。2020年4月にはコロナ禍で活動を制限されている文化・芸術団体を支援する「"#SaveArts"プロジェクト」を立ち上げ、当初目標額の5倍を超える10,231,000円の支援を集めた。一方で省察的実践に関するコラムを学会誌に寄稿するなど、家庭医としてナラティブ・アプローチや省察的実践について精力的に発信している。

年森 慎一
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