健康で快適に働けるように

現在のお仕事について教えてください。

週に2日間はクリニックと病院で大腸内視鏡医として仕事をしており、残りの3日間は都内の外資系企業を中心に産業医の仕事をしています。もともとは外科医で、大腸肛門外科と大腸内視鏡を専門としていました。帰国子女で英語が得意だったこともあり、大学院生の時に最初は週1日だけ、外資系の金融企業で産業医を始めたのですが、それが週2日になり、週3日になり……と、紹介により次第に増えて、今に至ります。

産業医というのは、医師という専門的な立場から主に会社の環境に働きかけて、社員の皆さんが快適に仕事に取り組めるようにする存在です。私は、産業医とは会社と社員の間に立って両者の妥協点を見つけたり、部門間のコミュニケーションを高めたりする「ファシリテーター」のような役割を担う存在だと考えています。現在は大きい会社だと週２回、小さい会社では月１〜２回ぐらいの頻度で訪問し、一人あたり20分から30分程度の時間を取って、会社で働く皆さんと面談を行っています。

社員の皆さんから受ける相談は、体の健康についての悩みとメンタルヘルスに関する悩みが半々ぐらいです。最近は、親の介護や身内の病気の事などで相談に来る人もいます。ご本人の検査や治療について相談を受けたときは、希望があれば病院を紹介するようにしています。

産業医として意識しているのは、どのようなことですか？

私が意識しているのは、厚生労働省が提唱する「４つのケア」を俯瞰的に見て、企業と人をコーディネートすることです。「４つのケア」というのは、一つ目が社員の皆さん自身が自分をケアする「セルフケア」で、二つ目は上長等が行う「ラインケア」、人事部や産業医など社内のスタッフによるケアが三つ目で、四つ目は専門機関が提供する従業員支援プログラム（Employee Assistance Program: EAP）の活用や街の医師によるケアなど、社外の専門家によるサポートです。メンタルヘルス対策ではこの「４つのケア」がうまく連携して機能することが大切なのですが、これをバラバラに行ってしまっていて、うまく機能していない企業が多いように感じています。

企業の中では、社員の皆さんに、病院へ行く前に一歩立ち寄ってもらえる場所でありたいと考えています。例えば、腰が痛くて病院へ行こうと思ったとき、大学病院へ行くのがいいのか、街の小さなクリニックのほうがいいのか、迷うことがあるかもしれません。実際の医療現場では、腰痛程度で大学病院の外来に行くと、先生に嫌な顔をされた上、レントゲンやMRIなど希望通りの検査はしてもらえない可能性があります。また、検査を予約できたとしても１カ月先だったり、結果を聞くために何回も受診をしなければならなかったりすることもあります。大学病院は難しい病気の患者さんだけで手一杯だからです。でも、地域の整形外科クリニックに行けば、ちゃんと話を聞いてくれて、レントゲンやMRIなどの詳しい検査も比較的すんなりしてもらえる可能性が高いのです。社員の皆さんにはこのような話をして、病院やクリニック選びのお手伝いをします。

一般の方が持っている医療の情報は、まだ少ないのが現状だと思います。このようなときに病院や医師の事情を知っている医療従事者に一言でも相談できると、患者さんにとっても病院にとっても良い選択をすることができます。医療に関する知識や情報を社員の皆さんに伝え、役立ててもらえることは、産業医としてやりがいを感じる部分でもあります。

ストレスをためないために

働く人がメンタルヘルス不調に陥るきっかけは何ですか？

どんなに優秀・有能・有望な人でも、ちょっとしたことがきっかけでメンタルヘルス不調に陥ってしまうことがあります。私は毎年1000人近くの方と面談する中で、そういう例をたくさん見てきました。100人の社員がいれば、3人ぐらいはメンタルヘルス不調の人がいても不思議ではありません。休職者が一人、薬を飲みながら通院している人が一人、そして不調であることを会社に隠している人が一人という具合に。

メンタルヘルス不調に陥るきっかけはさまざまです。残業が多いとか、厳しい人事評価を受けた、などという人ばかりではありません。仲の良い同期よりもボーナスが低かったとか、「最近太ったんじゃない？」と言われたとか、人から見ると「そんなことで」と思ってしまうような事がきっかけでメンタルヘルス不調になるケースもあります。

でも詳しく話を聞いてみると、原因はそれだけではないことがわかります。既にいろいろなところで小さなストレスが積み重なっていて、そこでたまたま起こった些細な事をきっかけに破綻してしまう、という人も非常に多いのです。だからこそ、問題が小さいうちからうまく対処できることが大切です。

こういったことへの対処法は、学校でも会社でも教えてくれません。それを知らないためにメンタルヘルス不調に陥ってしまう人がいるのは残念ですし、もったいないと思います。そこを改善するためにも、不安やストレスに悩まない技術を世に広げ、元気な社員を増やしていきたいと考えています。

ストレスをためないためには、どうすれば良いのでしょうか？

私は、ストレスの大きさは「強度×持続時間」で表すことができると考えています。例えば、上司に怒られると思っていないときに突然怒鳴られたら、受けるインパクトは大きくなります。でも「最近の営業成績だともしかしたら……」というように少しでも構えていれば、怒られることも想定内に入るので、受けるインパクト、つまりストレスも和らぎます。これが「強度」です。

「持続時間」は、その状況がどれくらい続いてきたか、今後いつまで続くかということです。「今月はつらいけどあと１カ月したらプロジェクトが終わる」というように、自分なりに大変な期間がわかっていて先が見えている状況では、受けるストレスは少なくなります。また、お昼休みに机でお弁当を食べるのではなく、外へ出かけたり、定期的にしっかり有給休暇を取ったりと「時間を区切る」こともストレス対策の一つです。

ストレス対策では、「好きなことをする」ことも大切です。好きなことをしている時は、たいてい会社のことは忘れています。同じような労働環境で働いていても、好きな趣味を持っている人は元気いっぱいなのに、趣味がない、友達がいないという人は気分が落ち込みがち、というケースも多く見てきました。ストレスをためないようにするためには、「好きなことをする」時間も大切なのです。

企業内研修ではどのようなことをされていますか？

一般的に「会社のストレス研修・メンタルヘルス対策研修」というと、暗い、つまらない、辛気臭い、というイメージがあるのではないでしょうか。これだとメンタル不調に縁のない元気な人たちには響かないし、聞いてもらえません。企業内でメンタルヘルス対策講座を行って、「人事が言うから仕方なく参加した」と斜に構えて来た人が、講座が終わった後には「楽しかったです。次は部下を参加させます」と言ってくださる。そういうエンターテイメントのような明るく楽しい研修を心がけています。

企業研修は、睡眠に関する話の他、効率の良いダイエット法や筋肉を付ける方法など、体の健康に関するテーマから始めることが多いですね。「メンタルヘルスの先生」というイメージがつくと、産業医面談に来づらくなってしまう人がいるためです。はじめは体の悩みで面談に来たけれど、話をしていくうちに、実はメンタル面でも悩みがありまして……という人もいます。「気軽に相談できるように」ということを大切に考えているので、企業にいる時は「腰は低く、フットワークは軽く」を意識しています。

ストレス対策をカリキュラムに

今後はどのようなことを目指していますか？

2015年12月から、従業員数が50人以上の事業場に年1回のストレスチェックテストの実施が義務付けられます。大企業は人もお金もノウハウもあるので対策ができているところが多いのですが、中小企業では十分な対策にまで手が回らないのが現状です。そこで、中小企業で働く方たちにストレスチェックテストでのベネフィットを提供できないかと考えて、2014年7月に一般社団法人日本ストレスチェック協会を立ち上げました。

今後は日本ストレスチェック協会の活動を通して、不安とストレスに悩まない習慣を広げ、自分自身だけではなく周囲もケアできる人を増やしていきたいと考えています。日本では現在、年間約2万6000人が自殺しており、働いている人の52％が不安やストレスを抱えていますが、私は、10年後にはこれが半分になることを目指しています。その背景で、日本ストレスチェック協会が提唱する不安やストレスへの対処法が学校教育や企業内研修のカリキュラムに入っていたら、とても嬉しいですね。

○一般社団法人　日本ストレスチェック協会
http://jsca.co.jp/