◆脳外科に留学、気付けば整形外科の助教授に
―現在の活動について教えてください。
2012年からカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)脳神経外科に留学し、関連施設の高度救命救急センター(Zuckerberg San Francisco General Hospital)に併設された脳外科の研究ユニット(Brain and Spinal Injury Center、通称BASIC)に所属しています。そこでは脳挫傷から脊髄損傷まで、基礎研究から臨床研究まで、幅広い治療研究を行っています。大御所の3名の上司から多くのことを学びながら、私自身は「神経可塑性」の研究をメインに、「治療に貢献できる研究をしたい」という思いから、多発外傷の研究にも発展させています。
さらに整形外科医としての経験を買われ、カリフォルニア大学の脊髄損傷コンソーシアムに参加し、再生医療の前臨床試験にも携わっています。そして多発外傷の研究で整形外科の研究チームとの関わりが増えたことをきっかけに、気付けば整形外科にも所属するようになり、2020年に整形外科でAssistant Professorに就任しました。現在は、脳外科と整形外科の2つの診療科に所属しています。
―研究のメインテーマである「神経可塑性」とはどういった性質なのでしょうか?
「神経可塑性」とは、神経が元の状態に近い状態に回復する潜在的な能力があることを指します。要は、治療回復の根源にある現象ということです。私はこの概念を留学前、国立障害者リハビリセンターで学んだのですが、当時「神経をつなぐシナプスに可塑性が存在し、良い可塑性が生まれると回復が良い」ということが分かってきました。そこで「可塑性の病態を解明し、治らない怪我である脊髄損傷の治療につなげられないか」と考え、研究できる環境を探し続け、UCSFの上司の一人に国際学会で運命的に出会い、留学することになったのです。
―留学して約10年、この先もずっとアメリカで研究を続ける予定ですか?
どこであろうと、必要とされる場所で結果を出す覚悟でいます。これにはUCSFで学んだ「多様性」が大きく関係しています。なぜならUCSFにはさまざまな人種の方がいて、固定概念もなく、非常に風通しがいい。利害が一致すれば、誰かと共有・共感・共鳴しやすく、仕事がしやすい雰囲気があるのです。そのため医工、産学、国際連携などが非常に進み「仕事はどこでもできる」という考えになってきました。
こちらでは医師の職種も、製薬会社、医療機器開発会社への就職、MBAを取得して医療経営やコンサルタントに特化するなど、多彩な道があります。臨床医が全てではなく、医師の働き方には多くの選択肢があるのです。しかし何を選ぶにしろ、医師としてのマインドは同じ。ですから私は、領域や分野、場所に固執せず、変化を柔軟に受け入れ、医療の発展のために他分野の方と役割分担することを心がけています。いわゆるチームサイエンスや超学際的アプローチと言われているものになり、実現のために水平的な人間関係を常に大事にしています。
◆“病の原因”を解明したいと考えるように
―なぜ、整形外科医を目指されたのですか?
私は幼少時病弱で、就学前に咽頭扁桃(アデノイド)の切除手術を受けました。しかし手術中、あまりの痛みに長年診ていただいていた耳鼻科の先生を蹴飛ばしてしまったのです。でも先生は笑顔で「痛かっただろう、よく頑張った」と褒めてくださった。それが記憶に残り、自然に医師を志すようになりました。
外科医を目指したきっかけは10代の頃。プラモデルを組み立てたり、家電を分解したりと物を作る作業が得意だったので「自分の手で治療したい」という気持ちが大きくなり、外科系に進みたいと、医学部入学前から考えていました。ただ慈恵会医科大学入学後は正直、整形外科学を勉強した記憶がほとんどなく、神経生理や神経科学にも苦手意識があり、整形外科だけは避けたいと思っていました。
しかし5年生の病院実習で人工膝関節の手術を見て、そのダイナミックかつ緻密さに感銘を受けたのです。さらにアメフト部で腰を痛め、腰椎椎間板ヘルニアを発症。腰痛はもちろん、坐骨神経痛にも悩まされた経験から、整形外科が身近になり、整形外科医の道に進むことに決めました。
―大学卒業後のキャリアについて教えてください。
慈恵会医科大学では当時、卒業生の多くが附属病院に入局していました。ですが私は、学生時代にアメリカ各地を旅した経験から「この地で働きたい」という想いが非常に強くなっていました。そのため「医師になって早い段階で留学したい」と考えていて、それを実現できる医局を探しました。そして整形外科医だった叔父に相談したところ、東京大学整形外科を強く勧められ、入局に至りました。
5年間で6カ所の関連病院を回り、東京大学大学院に進学します。6年目で大学院に進学するのは、外科医としては早すぎるのではないか、と思われるかもしれません。しかし私は臨床を経験するうちに「治らない理由」を考える習慣ができていました。そして「病の原因を解明したり、治療の選択肢を増やすことを仕事にしたい」と思うようになったのです。
加えて、大学院入学前に医局の勉強会に積極的に参加し、臨床研究にも関わらせていただき「具体的に分からない状態をどう解明したらいいのか。何を発見したら出口につながるのか」を目の当たりにしていました。そこから疾患に対する考え方や視点が大きく変わり、外科医としてあえて手術をしない患者さんに携わっていこうと考えたこともきっかけになっています。
―大学院進学後は、どのように留学を勝ち取られていかれたのですか?
大学院に在籍中、東大医科学研究所に国内留学をしました。そこでは、がんやゲノム研究で有名な中村祐輔先生が「DNAマイクロアレイ」という希少な解析装置を使って研究をされていたのです。そして、この装置で骨肉腫の治療標的となる分子を探索し、治療につながるか否かを解析することが私の研究テーマになりました。
今思えば、このように臨床に近い研究に携わったことと、中村祐輔先生が外科医であると同時に研究者だったことに、非常に大きな影響を受けました。外科医が研究職に就いているのは、当時の日本ではまだ珍しく、そのような働き方を知ると共に、研究による発見が製薬会社の治験に進む流れを間近に見て「自分もそういうところで医療に貢献したい」という想いが強くなったのです。
こういった経験から大学院卒業後は「やはり研究で留学したい」と初心に戻り、当時の上司の紹介で、国立障害者リハビリセンターで研究のポストをいただきました。そこで研究をしながら、留学準備を進めることになったのです。
ただ同センターでは、脊髄損傷という神経科学領域の研究に従事することに。苦手意識のあった専門領域に転向したことで、かなりのカルチャーショックを受けましたね。ですがこの経験が、過去に固執せず「何でも受け入れよう」という柔軟なマインドを培ってくれ、課題を克服したことにより病態への理解を深めることができました。そして「留学する」という気持ちを強く持ちながら新しい研究領域に取り組んだ結果「神経可塑性」という研究テーマに出会い、UCSFへの留学へとつながっていきました。
◆留学で恐怖や劣等感を克服し、豊かな人生を
―後進が海外に挑戦できる環境作りにも取り組まれているそうですね。
最初はサンフランシスコベイエリアで、ニーズに合わせて日本人研究者のコミュニティを立ち上げたり、もともとあったコミュニティの幹事を務めたりしていました。医師や研究者、起業家といった職種別、あるいは整形外科や脳外科といった分野別に特化したコミュニティがありながら、双方に行き来がなかったため、個々の存在意義を尊重しながら持続的に発展するためにつなげていこうと考えたのです。より充実した留学生活を送るために、留学生同士がコミュニケーションでき、サポートし合えるのはもちろん、これから留学する方たちの準備をお手伝いできる組織にしようと考えて運営してきました。現在はアメリカ全土だけでなく、大陸を越えて6000人以上の日本人研究者をつなげる「海外日本人研究者ネットワーク(UJA)」という組織で理事を務め、次世代の留学促進から多様なキャリアの推進、留学生と帰国者の支援といったさまざまな活動をしています。
―コミュニティ運営に積極的に携わられている背景には、どのような想いがあるのですか?
移民の国であるアメリカでは、日本人はマイノリティでコミュニティも小さく、どうしても個人での活動が中心になるので、なにかと限定されがちです。一方、同じアジアでもマジョリティな中国人は大きなコミュニティを持ち、母国からの支援を受けやすいため活躍の幅が広く、昨今の経済成長を支えるグローバルな環境が整っていると感じます。日本人としてそこに悔しさがありました。
またUJAの活動の一環でアンケート調査をしたら「情報がない」「英語が苦手」「アメリカ人が怖い」など、留学を戸惑う真相が見えてきたのです。こういった戸惑いに対して、せめて現地から正しい情報を発信し、誤解なくきちんと留学を判断できるようにしていきたいという思いがあります。そうやって留学生を増やし、日本が決して“ガラパゴス”ではなく、グローバルな国として、海外でもマイノリティではない立ち位置になってほしいというのが切なる願いです。
―森岡先生の考える留学のメリットは、どのようなことでしょうか?
医師としてのキャリアアップはもちろん、一人の人間として自分の人生を考えた時に、見えないものや知らないものに対する不安や苦手意識、あるいは恐怖や劣等感、そういったものを抱えたまま医療に従事しつづけることは、もったいないのではないでしょうか。
海外で生活すると職業にとらわれることなく一個人として新しい文化に触れ、新たな価値観に遭遇します。それを理解することにより、これまでの固定観念から解放されて視野が広がり、抱えてきたネガティブな感情や思考を見事に克服できます。そして、相手を知り、アップデートされた己を知ることによって度胸が据わります。結果、人種や場所などにとらわれずコミュニケーションが取れるようになり、躊躇なく国際学会での英語のプレゼンテーションや質疑応答ができるなど、グローバルな活動ができるようになるのです。
それと同時に、私がそうだったように、多様性を学ぶこともできます。日本人はほぼ単一人種なので、残念ながら国内では学びきれません。異なる文化的背景や価値観をもつ相手を受け入れ、適応することによって自分の価値観が変わり寛大になれ、お互いに尊重しあえることで信頼関係が生まれます。身を持って多様性を体験することは自分自身の成長にもつながり、一人の人間、医師としての人生が豊かになることに、ぜひ価値を見出してほしいと思います。
―最後に、若手医師へのメッセージをお願いします。
研究や留学は、医師そして外科医としての成長を止めるものでは、決してありません。私は今、海外で研究を経験することで、病を異なる視点から学ぶ、稀有な機会を得られています。私が長期留学中なので、マインドがアメリカ寄りになっていると思われるかもしれませんが、実は自分の中では全く変わっていないのです。
私が卒業した慈恵会医科大学の理念に「病気を診ずして病人を見よ」という言葉があります。それは臨床医向けの言葉としても受け取れますが、私は研究者として、その理念でずっと仕事をしてきました。場所や立場、手段は違っても、医療の進歩に貢献して、患者さんに還元できるということをぜひ覚えておいてください。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部) 掲載日:2022年9月6日