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障害者スポーツの力~下半身の自由を失う代わりに学んだもの~

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間もなくブラジル・リオデジャネイロで始まるオリンピックとパラリンピック。オリンピックより話題に上がりにくいパラリンピックですが、そこで活躍されている方々の生き方は、私たちに多くのことを教えてくれます。

私は1998年から、縁あって全日本車椅子バスケットボールチームのチームドクターを務め、シドニーとアテネで開催されたパラリンピックに帯同しました。車椅子バスケットの全日本チームドクターとなる以前にも、何度か障害者スポーツを見たことはありました。しかし、それがどういったものだったか、選手たちはどんな様子だったかなど、印象がまるでなかったのが正直なところなのです。

「印象がなかった」とは、はっきりいって興味が無かったということかもしれません。しかし、実際に私が車椅子の全日本チームに携わるようになり、その気持ちは一転しました。本来なら選手のケアにあたるべきスポーツドクターの私が、逆に学ばされることが多かったのです。

車椅子バスケットボールのチームには、じつにさまざまな人が集まっています。元Jリーガーで交通事故により半身不随になった選手。暴走族をしていて事故に遭ってしまった選手。生まれながらにして生涯を抱えている選手。骨肉腫で切断を余儀なくされた選手。

車椅子での生活を送ることになった事情はさまざまですが、彼らには共通点があります。それは皆、「なくした機能/持っていない機能を回復させるよりも、残った機能/持っている機能をいかに活かすか、よりよく働かせるか」という考えを持っていることです。

そして、この考え方こそ、人と比べるのではなく、自分の一番を目指すという「生き抜く力」の原点です。このように考えられることにより、彼らは“障害者”という枠から出てこられるようになります。

もちろん、そこに至るまでには、苦労や挫折があったはずです。それを乗り越えられたのは、苦労や挫折という心の負荷の後に、心に休養を与えてくれる何かがあったことで、超回復できたからに違いありません。それは支えてくれる人であったり、車椅子バスケットボールという目標であったりします。

私がチームドクターを務めたときの全日本メンバーで、かつてはJリーグのジェフ市原でプロサッカー選手として活躍していた京谷和幸さんの話をさせていただきましょう。

京谷さんは1993年、不慮の事故で下半身の自由を失ってしまいました。「命の次に大切にしていた」という脚の自由を失った京谷さんの当時の挫折感は、想像を絶するものがあったはずです。悲しみ、憤り、将来への不安。さまざまな感情が、ぐるぐると頭をよぎっていったことでしょう。

そのとき、京谷さんに安らぎを与えてくれたのが、かねてから交際をしていた陽子さんの存在でした。

落ち込む京谷さんに、陽子さんは「結婚しましょう」と持ち出しました。陽子さんという心の支えが、京谷さんに心の超回復をもたらしたのでしょう。現在は長女長男をもうけ、人生を力強く歩み続ける京谷さんはこう言っています。

「妻や二人の子どものためにも、誇れる夫、誇れる父になりたいんです」

もしかすると、五体満足で何の不自由もない男性よりも、ずっと頼れる夫、頼れる父親かもしれません。「心の超回復」が京谷さんを成長させ、「生き抜く力」が育ったのです。

京谷さんはまた、事故に遭う以前の自分について、このように語っています。

「自分が試合に出られなかったとき、『チームメイトがケガをすればいいのに。そうすれば自分が試合に出られるのに』なんて思ったことがありました」

京谷さんはこのことを自分の不随になった両脚を指差しながら、「自分にマイナスが戻ってきてしまいましたよ」と、今では笑い話として振り返っています。京谷さんが「仲間が失敗すればいい」「ライバルがダメになればいい」などというような気持ちを持つことは、もう二度とないでしょう。

プラスを与えればプラスとなって自分に返り、マイナスを与えれば結局は自分に戻ってくるという「ミラーイメージの法則」を体験し、学育したのです。

彼は病院のベットの上で、たくさんの仲間に励まされました。ときにはライバルであった人からも、たくさんの励ましをもらったのです。応援されることの喜び、ありがたみをヒシヒシと知ったに違いありません。下半身の自由を失う代わりに、京谷さんは多くのものを学びました。

障害をもつということは、何らかの自由を失う代わりに、何かを学ぶことができるのかもしれません。健常者と呼ばれている私たちも、障害者たちの生き方を見て、触れることによって、そこから何かを学べるはずです。それが「生き抜く力」のヒントになるはずだと、私は思っています。

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医師プロフィール

辻 秀一 スポーツドクター

エミネクロスメディカルクリニック
1961年東京都生まれ。北海道大学医学部卒業後、慶應義塾大学で内科研修を積む。同大スポーツ医学研究センターでスポーツ医学を学び、1986年、QOL向上のための活動実践の場としてエミネクロスメディカルセンター(現:(株)エミネクロス)を設立。1991年NPO法人エミネクロス・スポ-ツワールドを設立、代表理事に就任。2012年一般社団法人カルティベイティブ・スポーツクラブを設立。2013年より日本バスケットボール協会が立ち上げた新リーグNBDLのチーム、東京エクセレンスの代表をつとめる。日本体育協

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