仙台市にある「国立病院機構 仙台西多賀病院」。2019年度は年間800名以上ものパーキンソン病患者さんが受診し、仙台医療圏で最も多くのパーキンソン病患者さんが通院している医療機関です。院長の武田篤先生は、一貫してパーキンソン病の診療・研究に取り組んできました。東北大学からこの病院に転じた時「ここを“パーキンソン病のメッカ”にしよう」と、決意した武田先生。この地で神経難病治療に取り組むことへの思いや、病院経営で大切にしていることを伺いました。
◆転身して気づいた病院経営のやりがい
―武田先生は、大学病院でパーキンソン病を中心に脳神経内科医としてキャリアを積まれ、2013年仙台西多賀病院に着任しました。
着任当時の仙台西多賀病院には、私が専門とするパーキンソン病の患者さんが年間100名も通っていませんでした。私は、それまでのキャリアのほとんどを大学病院で過ごしており、管理職として病院運営に携わる立場になるとは予想もしていませんでした。しかし院長に就任するからには、「この病院を“パーキンソン病のメッカ”にしよう」と考えました。
それからは、パーキンソン病患者さんを1年に約100名ずつ増やしていき、2019年度は年間800名以上もの患者さんが受診されました。おそらく仙台医療圏では、パーキンソン病の患者さんが最も多く通ってくださっている病院だと思います。
―8倍に患者さんを増やしたのはすごいですね。なぜそこまで増やすことができたのですか?
患者さんの増加に伴い、看護師や管理栄養士、薬剤師やリハビリテーション・スタッフなど職員全体に「パーキンソン病はこの病院において主要な専門分野の1つだ」という認識が広まっていきました。そして熱心に勉強してくれるスタッフが増えたことで、病院全体でパーキンソン病にアプローチする体制が少しずつ形成されるようになってきたのです。そうした積み重ねからさらに、患者さんが来院してくださるようになりました。
このように多職種でパーキンソン病に取り組んでいることに賛同して、優秀な医師も集まってくるようになりました。特に、私の着任当時は4人だった脳神経内科常勤医は、現在では9人にまで増えました。
大学病院時代にも仲間を作って、診療や研究、勉強会をしていましたが、医師のみでの取り組みにとどまっていました。一方、当院に着任してからは、医師以外のメディカル・スタッフともコミュニケーションを取り、1つのチームとしてパーキンソン病患者さんに向き合っています。大学病院に在籍していた時には考えもしませんでしたが、多職種でチームをつくり、最先端の治療を取り入れて患者さんに還元していけることには、大きなやりがいがあります。
―先生にとって、大学病院から仙台西多賀病院に移られたことが、キャリアの上でのターニングポイントになったんですね。
まさしくターニングポイントですね。研修医の頃からずっといち臨床医としてキャリアを全うするものと思っていたのですが、この病院で管理職という新たな立場で仕事をする機会を与えていただいたことに感謝しています。
―院長として、病院経営で大切にしていることは何ですか?
管理職となると、やはり病院全体のことを考えなければいけません。病院は、患者さんのため、地域社会のため、そして働いている職員のために存在するもの。この三者の幸福の積分値を最大化していくのが病院の経営の目標であり、院長である私の役割だと考えています。患者さんにとって幸せであることはもちろん、地域社会のお役に立たないといけませんし、働いている職員も幸せでなければいけない。この3つが調和するように、なおかつ持続可能なように、組織を運営していくことは必ずしも簡単ではありませんが、だからこそやりがいと面白みを感じていますね。
―特に力を入れて取り組まれていることを教えてください。
2020年10月に脳神経外科を開設しました。これまでの脊椎を中心とする整形外科に脳外科が外科系診療科として加わったことで、脊髄と脳に対する外科的治療の専門家が揃いましたので、脳神経系の疾患に対する専門家集団として、内科的・外科的両面からのアプローチが可能になりました。この医療体制を今後はさらに充実させていきたいと考えています。
◆「人間」への興味から脳神経内科医を志す
―ところで先生が脳神経内科医を志したのはなぜですか?
小さい頃から科学が好きで、「子供の科学」という子ども向けの雑誌を隅から隅まで読んでいるような子どもでした。ただ10代後半になると、機械や物理よりも「人間」、特に脳や精神に興味が移り、東北大学医学部に進学しました。
脳神経内科の道に進んだのは、人間の思想や意識を生み出している脳という物体そのものへの興味からです。精神科か脳神経内科か迷いましたが、脳神経内科は脳という臓器に基盤を置き、より分子病態を重視した領域であると考え、臨床にも携われることから選びました。
―脳神経内科の中でもパーキンソン病を専門にされていったのはなぜですか?
研修医の頃、パーキンソン病患者さんに対して「ドラッグホリデー」という、当時としては画期的な治療が行われていました。投薬を2週間ほど止めて、いったん全ての薬の効果がない状態にしてから、再び薬を投与すると薬の効果がより安定化し高まる、という仮説から行われていた治療法です。現在では薬を休止している間に、怪我や誤嚥による肺炎、下肢静脈血栓のリスクが高くなる危険性があるだけで、薬効が改善する効果はないと証明されたため、行われていません。
しかし当時は、投薬再開後に状態が劇的に改善していく患者さんの様子に、衝撃を受けました。今思えば、症状が以前よりも改善したわけではなく、ドラッグホリデー前の状態に戻っただけなのですが、動けるようになった患者さんから、「ありがとう」と言っていただけることが嬉しかったのです。難治性の疾患が多い脳神経内科領域において、パーキンソン病治療のやりがいと可能性を感じて、パーキンソン病を専門にしたいと考えました。
◆「最先端の医療現場にいる」という誇り
―地域医療に対する先生の思いをお聞かせいただけますか?
仙台医療圏では、75歳以上の後期高齢者の人口が今後の10年で2倍近くに増えると見込まれています。それに伴って、後期高齢者の医療ニーズも増加しています。そのため「このような地域の医療ニーズに応えていかなければいけない」という意識があります。
当院で何ができるのかを考えたとき、1つは、増加する一方の認知症に対するケアが適切にできる病院にしたいと考えました。そして院長に就任した翌年の2015年、仙台市から「認知症疾患医療センター」の指定を受けました。
またもう1つは、パーキンソン病を中心とした神経難病を専門としているので、神経難病の初期診断から進行期まで一貫して診られる病院にすることを考えています。医療相談室の職員を増やすなどして、神経難病の患者さんの在宅療養の支援ができるような体制づくりを進め、診断から治療、療養までをトータルでサポートできるようにしていこうとしています。
―今後の展望はどのように描いていますか?
以前は治らないと言われていた、筋ジストロフィーや脊髄性筋萎縮症といった神経系変性疾患に対する遺伝子治療薬が承認されるなど、近年、さまざまな新薬が展開されてきています。そのような最新情報を可能な限り集め、患者さんに還元していきたいですね。
また、もし現在の医療で治療が難しい場合には、リハビリテーションで疾患による障害を克服したり、患者さんとご家族の幸せが最大限になるようなサポートをできる体制を目指していきたいと考えています。院長に就任後、リハビリテーションスタッフは2倍近くまで増員して来ました。また2016年、東北地方では初めて「ロボットスーツHAL」を導入。最新のリハビリテーションを提供できるようにしました。
高齢者医療や神経難病医療は、積極的な医療を提供できない・しても意味がないと捉えられがちですが、実は最先端の医療技術が最も求められる分野だと考えています。積極的な治療ができず、根治が難しい状態であっても、諦めずにあらゆる手を尽くすことが必要で、だからこそ最先端の医療技術が求められるのです。
スタッフにも「難病医療は、最先端の医療現場だ」と話しています。そこに興味と誇りを持っているので、優秀なスタッフが集まってくれているのだと思います。ですから今後も継続して、最先端の情報や治療法、技術を集め、患者さんや地域全体へ提供していきたいですね。
―最後に、進路やキャリアの選択に悩んでいる若手医師へのメッセージをいただけますか?
やはり、自分が興味を持ってやりたいと思える分野を選択することです。これまで「こっちだったら楽そうだ」「こっちの方が得をしそうだ」という思惑でキャリアを選択し、「こんなはずじゃなかった……」と後悔している人をたくさんみてきました。「私はこれが好きだ!」と思える方を選べば、仮に上手くいかなかったとしても「好きで選んだのだから仕方ないな」と思えます。
私も後悔するのが嫌だから、岐路に立つたび、好きな方、興味が湧く方を選択してきました。当院への着任は自分から応募したものではありませんでしたが、ずっと好きで続けてきたパーキンソン病を中心とする専門分野のおかげで、結果として、病院の管理運営という新たな仕事に出会い、チームを作ることができたと思っています。
今だから言えるのですが、大学病院でのキャリア継続が困難となり、失意の中にあった時に、ヘレン・ケラーの「幸福の扉がひとつ閉まると、別の扉が開く。しかし、閉まった扉をいつまでも見ていると、その脇に開いた別の扉が目に入らない」という言葉に出会ったんです。そのときはあまり気に留めていなかったのですが、実際にこの病院に来てみて、今では「これがヘレン・ケラーの言う『別の開いた扉』だったんだな」と思っていますね。
ですからぜひ、自分の好きな分野に進んで、その分野を一生懸命勉強していってください。そうすれば、一日一日の変化は決して大きくはないけど、年月を経て、必ず大きな財産になりますよ、と若手の皆様には申し上げたいですね。
(取材・文/coFFeedoctors編集部) 掲載日:2020年1月19日