福島県立医科大学の會田哲朗先生。総合内科医を志し、沖縄で地域医療など総合診療の経験を幅広く積みました。2017年に母校の福島県立医科大学に戻り、総合内科の設立に参画。総合診療・総合内科の臨床、研究、後進の教育と、アクティブに奔走しています。「福島から総合診療・総合内科の魅力を発信できる存在になりたい」と熱を込めて語る會田先生に、総合診療・総合内科のジェネラリストを志したきっかけ、沖縄での研修医時代、そして総合診療医としてのキャリアビジョンについて伺いました。
◆ジェネラルマインドの高い沖縄で研鑽を積む
―どのような経緯で総合内科医を志したのですか?
大学5年生の実習先を検討する時期に、太田西ノ内病院(福島県郡山市)の総合診療科医長だった成田雅先生(現・沖縄県立中部病院感染症内科)に出会ったのが大きなきっかけです。幅広い病気の患者さんに寄り添いながら診療する姿に、成田先生の人間的な魅力も相まって興味を持ちました。
もう一人影響を受けたのは、菅家智史先生(福島県立医科大学地域・家庭医療学講座講師)。家庭医療の専門家である菅家先生の、地域に根ざしてさまざまな患者さんと接する姿勢を見て、ジェネラルな医師の必要性とやりがいを感じました。
もともと医師を志した動機のひとつに「新しいことをどんどん学んでいきたい」という想いがあったので、幅広い領域を学び続ける必要がある総合診療・総合内科の道に進もうと決意しました。
―その後、初期研修先として沖縄県立中部病院を選びました。
沖縄県立中部病院は成田先生のご出身で、他にも総合診療・総合内科の分野では著名な先生方が多く在籍していました。
5年生の時に見学に行ったのですが、研修医が主体的に動いていて、目を輝かせながら臨床に前のめりになっている。自然と「ここで勉強したい」と思えて、同院を研修先に決めました。
結果として同院は、総合診療・総合内科を学ぶ上で非常に有意義な環境でした。まず、国際保健や途上国支援など多様なバックボーンをもった人材が集まっていたので、彼らと接する中で医師としての視野が広がりました。
加えて、同院はもともと僻地医療や離島医療を目的に設立された病院なので、専門医も含めた全員がへき地・離島派遣を経験します。その地域的な必然性から、専門に関係なく全ての医師がジェネラルマインドを持っています。どの診療科の先輩方からの学びも、総合診療医を目指す上で大きな財産になりました。
―沖縄県立中部病院、ひいては沖縄の地は、総合診療を学ぶ上でベストの環境だったのですね。
そうですね。医師4年目の時、週2回担当していた外来では神経内科と膠原病の専門外来を掛け持ちし、病棟では感染症内科や血液内科の患者を診ていた時期もありましたね。総合内科医としてさまざまな経験を積むためには、まさに最高の環境でした。また4年目に内科のチーフレジデントも務め、当時約90人いた研修医の指導や研修内容の向上、病院の品質改善や安全管理などにも携わらせてもらうことができました。
それらの経験が、今の自分の強みになっているのです。思い切って東北を離れて沖縄に行って、本当によかったと思っています。
◆母校で総合内科を設立、沖縄での学びを還元
―その後、沖縄県立北部病院に勤務した後に、福島に戻ります。
研修医5年目に沖縄県立北部病院に派遣され、僻地医療に従事しました。当時、内科には循環器内科、消化器内科、腎臓内科の医師しか在籍しておらず、内科系のその他の疾患は全て私が担当していました。守備範囲が広い上に希少性の高い病気も診なければならず、非常にチャレンジングかつタフな職場でしたが、この経験も貴重な財産となりました。
ちょうどその時期に、福島県立医科大学の濱口杉大先生(現・診療科部長)が同大学で総合内科を立ち上げるという話を耳にしました。人間的にも魅力のある方で、一度お会いしただけで「この人と一緒に働きたい」と思いました。母校で総合内科の立ち上げに関われることにも縁を感じて、2017年に母校に戻る決断をしました。
既に前年の2016年には総合内科が立ち上がっていたのですが、開設当初は外来診療のみ運営していました。翌2017年に私ともう1人の先生が加わり、病棟をオープンさせ、外来、病棟、コンサルテーションと体制を拡充していきました。今日の総合内科の土台づくりに参画することも貴重な経験となりました。
―総合内科の開設後、総合内科医を志望する学生も増えているのでしょうか?
総合診療はまだマイナーな分野で、学生の多くはまだまだ専門医志向が強いと感じています。ただ、その中でも総合内科を目指してくれる先生は少しずつ増えています。現在は専攻医が9人います。
一方で、総合診療・総合内科の医師を増やすことも大事ですが、まずは「臓器別の専門医がジェネラルマインドを持つ」ことが、総合診療の理念を普及させる上ではインパクトが大きいと個人的には考えています。そこで、総合内科に来る研修医にジェネラルの楽しさややりがいを伝えたり、あるいは私たちがそれぞれの専門科の先生とお話させていただきながら、ジェネラルマインドの醸成に努めているところです。
―福島県立医科大学では、学生の教育も積極的になさっていますね。
学生に対するアプローチとして、2017年に臨床推論勉強会を立ち上げました。私が臨床推論についてさまざまな症例をもとに教えながら、ジェネラルな視点やマインドを身につけてもらう試みです。
開始当初は数人でしたが、次第に30人ほど集まってくれるようになりました。しかし、このまま私自身がサークルをやっていくのは継続性がないと思い、2018年から学生たちに運営を任せるように。現在は、「GIM student福島」(GIM:General Internal Medicine=総合内科)という学習サークルを学生たちが立ち上げ、彼ら主体で運営しています。
こういった活動を通じて、専門医であってもジェネラルマインドを持った人材を増やしていく。かつ、同時並行で総合診療・総合内科を志望するジェネラリストを増やしていく。この両面で、人材育成に取り組んでいます。
◆バトンを受け継ぎ、福島を総合診療の先進地に
―先生の今後のキャリアビジョンを教えていただけますか?
この東北・福島から、総合診療・総合内科の重要性や魅力、先進事例を、国内のみならず世界に発信できるような存在になりたいと考えています。
私自身は臨床が好きで、スタンスとしては生涯臨床医であり続けたい。一方で、多くの患者さんから学ばせてもらったことを自分の中だけに留めておくことはもったいないとの思いもあります。
沖縄で学んだ多くのことを福島に持ち帰ったように、今度はここ福島で学んだことを世の中に還元していく。そのために、自分自身のキャリアとして、臨床と研究の両方に軸足を置いた「アカデミック・ホスピタリスト」を目指しています。
臨床と研究、両方の指導ができるような立場、少なくともその入口に、5年後には到達していたいですね。今年度からは大学院に入り、途中で海外大学院での勉強もできればと思っています。
将来的には市中病院で総合内科の立ち上げも経験したいです。大学病院では複雑性の高い困難症例を多く診ることができますが、患者さんの社会的な背景まで診たり、コモンディジーズやコモンディジーズの非典型的な症例を診たりする機会は、市中病院の方が多い。市中病院での経験もまた大学病院で活かされると考えています。
福島は濱口先生をはじめ、ここ数年で総合診療・総合内科の高名な先生方が集結する稀有な県になってきています。私も先輩方の恩恵を受け、その流れに乗らせてもらっていますが、今度は私たちが先輩方からバトンを引き継ぎ、後輩を育成するような立場になっていく。また、その和を臓器別専門科の先生たちにも広げていきたい、という使命感を持っています。
―若い医師へのメッセージをお願いします。
私自身は福島の医療を良くしたいと思って沖縄に出ました。そこには色んな目標に向かって励んでいる方たちとの出会いがあり、同じ医師でも視点や視野はさまざまであることを知り、世界が広がりました。自分に何が向いているかは、簡単には分かりません。だからこそ学生や研修医のうちに外に出て、見識を広げると良いのではないかと思います。
学内外の同年代医師と話していると、専門分野や組織を問わず、「私はこの臓器の専門なのでそれ以外は診られません」とは言えない時代に入ってきていることが、共通認識になっているとわかります。
もちろん私たちは日々、専門医の皆さんを頼りにしています。専門医がいなければ医療は成り立ちません。しかし専門領域に留まらず、そこにジェネラルマインドをプラスすることで、より多くの患者さんをハッピーにすることができることを、若手医師や医師を志す皆さんにはお伝えしたいですね。
(取材・文/coFFeedoctors編集部) ※2021年4月20日