医師3年目を終えた岩瀬翔先生は、東京都立多摩総合医療センターで家庭医療専攻医として研鑽を積むかたわら、地域活動にも積極的に取り組まれています。高校生の時から「医療を武器に理不尽と戦いたい」と考え続けてきた岩瀬先生は、どのような考えのもと、どんな活動をしているのでしょうか?
◆理不尽な状況で自分にできることとは?
―なぜ、医師を目指したのですか?
小学生の頃、新潟県中越地震で友人が被災し、なぜ理不尽なことで苦労を強いられるのか、理不尽な状況で自分にできることはないのかと思ったことが原点です。中学3年生の時には東日本大震災が発生。ボランティア活動に参加しましたがゴミ拾いしかできず、理不尽な状況での自分の無力さに悔しい思いをしました。
明確に医師を目指し始めたのは、高校1年生で自治医科大学のオープンキャンパスに参加した時です。へき地と呼ばれる地域では、希望した医療をいつでも受けることができない理不尽な状況があると知りました。今まで理不尽な状況は、戦争や貧困、災害などの特殊な状況下でのみ起こりうると思っていた私は衝撃を受けました。同時に、理不尽な状況下で医療が武器になるのだと感じたのです。医療を武器に理不尽な状況の人のために戦いたい。そう思い医師を目指しました。
地域社会の・地域住民に貢献できる医師を育成するというコンセプトに共感し、自治医科大学に入学。医療資源が乏しい地域でも、オールラウンドに診られる知識を持ちたいと考え、家庭医を専攻しました。
―在学中には、どのようなことに力を入れていたのですか?
自分の世界を広げたいと、大学2年生からAMSA(アジア医学生連絡協議会)に参加。さまざまな国の医学生たちと出会い、世界が大きく広がりました。また、大学4年生から日本支部の代表を務め、組織運営や仲間をいかに大事にするかについて考えさせられました。
また大学6年生の4〜11月には、フリーコース・スチューデントドクター(FCSD)制度という自治医大独自の制度を活用して、へき地医療や地域医療に従事されている全国各地の先生のもとを1〜2週間ずつ実習して回り、イギリスとオランダへも留学しました。離島医療やへき地医療にフルコミットする時に必要なスキル・視点・能力とはどのようなものかを問い直したいという思いからでした。
―全国各地での実習や留学では、どのようなことを学びましたか?
なぜ糖尿病のコントロールがうまくいかないのか、なぜ薬を決められた通りに飲むことができないのか――その原因は患者さんの生活している環境にあることを、学生実習の時から感じていました。診察室の中だけでは患者さんの人生には寄り添えません。地域で出会った先生方からも、白衣を脱いで地域や患者さんと深く関わり、患者さんの生活をよりよいものにすることが大事だと、改めて教えていただきました。また、健康の社会的決定要因(SDH)という考え方を教えていただきました。
2019年当時は日本にまだあまり伝わっていませんでしたが、イギリスではSDHを解決するための社会的処方が実施されていると知り、それを学ぶためにイギリスへ留学。イギリス南西部にある人口3万人弱の小さな町・フルームで、社会的処方を始めた医師の家にホームステイし、生活を共にしながら、どのような市民性でどのような社会的処方が形作られてきたのか肌で感じました。とてもリアルで貴重な経験でしたね。
オランダでは、社会的処方の結果として本当に人間の寿命が伸びるのか、幸せな人生とはどう描いていくのか、ウェルビーイングとポジティヴヘルスという主体的な幸せのあり方を学びました。
◆既存コミュニティ社会包摂化のきっかけづくり
―大学卒業後には、地域活動を始めたそうですね。具体的にどのようなことをされてきたのですか?
在学中はひたすら知識をインプットしていたので、それをどうアウトプットするかが社会人になってからのテーマ。学んだことを少しずつ実践し、自分の経験として落とし込んでいます。
都立広尾病院で初期研修を始めたのが2020年で、ちょうどコロナ禍に突入し、気軽に遠出することができませんでした。将来の派遣先である伊豆諸島で活動をしたかったのですが叶わず、まずは自分の住む地域で学んだことを活かしていこうと、同院のある渋谷・恵比寿を中心に活動を始めました。
最初の活動は、まず自分がお気に入りの店を見つけること。そうして地域を知っていきました。また、地域包括支援センターで商店街の人や大学教授を紹介していただき、この地域で行われている活動について教えてもらいました。また、「渋谷のラジオ」に出演したり、恵比寿のローカルWebメディア「恵比寿新聞」の編集長が始めたよろず相談所「ふくみみ」で、相談員として定期的に地域の人の相談に乗ったり。リーチできた人は少ないですが、出会った人が幸せそうな顔をしていて、少しずつですが社会的処方の効果が出ている感覚があります。
これから離島で研修を受けるために渋谷を離れますが、私がいなくなったとしても私が提案してきたケア的要素はこれからも根付いていくと思います。というのも、すでにある活動の中にお邪魔させてもらい、社会的処方の視点を持って「こんなことをしてみたらどうですか?」とアイデアを提案し、根付く仕掛けづくりをしてきたからです。
自分でゼロから活動を始めてしまうと、自分がいなくなったときに続かなくなってしまうリスクが高いですが、既存の活動の中に仕掛けてきたからこそ、非常に持続可能性が高くなったと感じています。また、既存の活動やコミュニティに医療者として関わり、ケアの視点を提供したことで地域の方達が「自分たちの活動が地域の健康や幸せにつながっているんだ」と気付き、社会包摂的になるきっかけにもつながりました。
渋谷を離れることは寂しいですが、自分がいなくなった後もほとんどの活動が継続していて、「離島に会いにいく」と言ってくれる人もいます。「地域のため」と思って活動を始めましたが、自分が1番渋谷・恵比寿を楽しみ、つながりを”処方”してもらって育ててもらいましたね。
―地域活動において何が重要だと考えていますか?
医療者が地域活動をゼロから立ち上げる必要はありません。地方創生やまちづくりという言葉が定着し始めてきている今、どんなへき地においても地域を盛り上げようと頑張っている人はいます。地域について知りたいという目線でいると、自ずとそのような人に出会うことができるので、まずはその人たちと仲良くすることから始めるのがいいのではないでしょうか。
そうして、既存の団体や活動の中で自分の取り組みたい要素を提案してみて、少しずつ浸透させていく。そうすれば、自分が離れたとしてもケアとまちがつながる仕組みは続いていくでしょう。
また、活動の中で、社会的処方の知識や自分のビジョンを押し付けることはしないようにしています。そうではなくて、医療者がいることで、どのような人に場を開いていけばいいのか、どういう立場の人がこの場を必要としているのか、どのような考え方が大事なのかを考え直すきっかけになってくれればと思っています。
私の立場上、まだ同じ地域に何年も腰を据えることができません。それを踏まえた上で、どう地域に関わっていくかが大事です。活動を始めた時は持続可能性について意識していませんでしたが、今は1番のテーマになっていますね。
◆理不尽な立場の人に寄り添い、一緒に悩んでいきたい
―今後の展望はどのように思い描いていますか?
医師4年目となり離島へ派遣されます。15歳のオープンキャンパスに参加した時から目指してきたフィールドに、ようやく辿り着くのだと楽しみにしています。
価値観が揺さぶられることはあっても、根本にある「理不尽と戦いたい」という思いは変わらずに持ち続けてきました。ただ、形は少しずつ変化しています。以前は、理不尽な立場にいる人たちは弱い人で、何かしてあげたいと強く感じていました。しかし理不尽な立場にあっても強く幸せに生きる方達と出会い、どんな状況でもその人の幸せを信じて寄り添い、一緒に悩んでいきたいと思うようになったのです。
何をしたいかではなく、誰としたいか。してあげるのではなく、自分がまず楽しみながらできることを探していく。それを意識して具体化したのが、渋谷での3年間の活動だったと感じています。
離島へ行っても、まずは島のことを住民の方々に教えてもらい、一緒に活動したいと感じる人に出会ったら、ラブコールを送って一緒に取り組み内容を考えていきたいですね。これから1年ずつ、いくつかの離島を巡ることになるので、私がいなくなっても持続する人を癒していくような活動を、診療所の外に作ることが目標です。
―最終的な目標は何でしょう?
私の最終的なゴールは、理不尽な状況でも、人々が自分らしい幸せを見つけられる価値観と能力を世界に広めることです。そのために、健康の社会的決定要因(SDH)と呼ばれるさまざまな要素からその人の価値観と向き合い、その人の幸せは何であるか考えることが大事だと思っています。健康の社会的決定要因(SDH)に起因する病気を完全になくすことはできないかもしれませんが、そこに対して何ができるのか悩みながら試行錯誤していく。その過程を楽しんで言語化していきたいと思っています。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)取材日:2023年3月7日 掲載日:2023年7月12日